【番外編⑥】レイヤードの敗北
第2話、第3話、第9話、第10話辺りのエピソードと関連します。
「ほら、レイヤード。エドワード様に挨拶なさい」
リンドン伯爵領は、リュクノール領に隣接している。エドワードと年の近い俺を利用して、父はリュクノール家と少しでもお近づきになろうと画策していた。
父のそういう打算的なところは好きになれず、俺はあまり気乗りしていなかった。
――俺のことはいつも興味なんてないのに、こんなときばっかり……。
同い年のエドワードは、レイヤードににっと微笑むと「あっちで遊ぼう」と声をかけてくれた。レイヤードに手を引かれてリュクノール家の庭園へと向かった。
「姉さん!」
庭園で一人植物を摘んでいた少女が顔を上げる。
「エドワード」
「リンドン家の子だって。一緒に遊ぼうよ」
少女の目はレイヤードを捉えた。
その瞬間、レイヤードは胸を撃ち抜かれるのが分かった。
――か、可愛い……。
「……リンドン伯爵家が次男、レイヤードです」
家庭教師に習った通りの自己紹介をした。
緊張して少しぶっきらぼうになってしまった。
でも、少女は気にする素振りはない。
にこっと花のような笑顔を見せると、「私はエメリン。エドワードの姉よ。エマって呼んでね」と言った。
その瞬間、レイヤードは自分が恋に落ちたことを自覚した。
その後は、何かというとリュクノール領に入り浸り、家族以上にエマやエドワードと過ごした。
「これ」
「わあ、すごい。こんなに薬草が……! これ、セージウッドね。この前図鑑で見たものだわ。すごい、レイヤード。こんなにどうしたの?」
「この前、リンドン領でたまたま見つけたんだ。エマが言ってたと思って」
差し出した薬草の花束にエマは夢中になった。エマが喜ばせようと思って、珍しい薬草をリンドン領の森でずいぶん探した。結構大変だったけど、エマの笑顔が見られるなら本望だった。
エドワードが、エマが夢中になっている花束を意味ありげに覗き込んだ。
ちらっとエドワードがレイヤードを見る。
「なんだよ」
「別に。大変だっただろうなって思って」
「たまたま見つかったんだ」
「たまたまね」
「なんだよ」
「別に。レイヤード、言っておくけど、姉さんはこの手のこと、相当鈍いよ」
「……――」
分かっていた。エマが自分に向けられる感情に鈍いことは。
それとなく、エマに好意を寄せていることを何度も伝えようとしたが、全てが空振りに終わっていた。
「エドワードも、レイヤードもアカデミーに通う年なのね」
「姉さんも通えばいいのに」
「私には必要ないもの。社交も苦手だし……」
「必要ないってさ……。姉さんだってそのうち結婚だってするだろう」
アカデミーは若い貴族の男女が集まる。女性はダンスや裁縫など、いわゆる花嫁修業といったことも習うし、婚約者探しをする人も多い。
「私は……――。それはいいの。エドワードが家督をついたときには、独立しているから心配しないでよ」
エマはエドワードの問いかけに、プイッとそっぽを向いた。
「独立するって、なに?」
思わずエマの腕を掴んでいた。エマは、将来どうすると思っているのか。
「え……。それは、薬師として。やっていけるようにって……考えているけど」
エマは自信がないのか、もごもごとレイヤードに答えた。
「薬師としてって……。お祖父さまじゃないんだから。姉さんは、確かに腕は良いだろうけど、女性なんだよ?」
エドワードは、エマを軽く窘めていた。
「もし、エマの相手が見つからなかったら、俺と結婚すればいい」
エドワードとエマの姉弟喧嘩に、レイヤードは一石を投じた。
「レイヤードと?」
エマはきょとんとレイヤードを見た。レイヤードは真面目にエマに頷いたが、エマはそんなレイヤードの言葉を同情か、冗談だと思ったのか、「ありがとう」と言った。エドワードは同情するように、レイヤードを見ていた。
また、空振り。エマに、レイヤードの気持ちが届くことはないのか。
アカデミーに通っている期間は、エマと会えなくなるのが辛くて、辛くて、理由をつけては手紙を出しまくっていた。でも、エマからの返事はいつも薬草や研究の話ばかりで、 レイヤードの想いが届くことはなかった
エマと一緒になりたいという思いが年々膨らんでいく一方で、自分とエマが一緒になることは難しいことも分かってきていた。だとしたら、せめて傍にいられる仕事に就きたい……。
その願いを叶える一心で、アカデミーでの勉強を頑張った。
◇◇◇
「エメリン嬢の護衛騎士?」
父と兄は、卒業後に決めたレイヤードの決断に眉を潜めた。
「お前、アカデミーでの成績は良かっただろう。なんだってまた」
「どうせ騎士なら、王宮騎士になった方が箔が付くだろう」
リュクノール家とお近付きになりたがっていたくせに、エマのことは軽視する。
「別にいいだろう。エマも護衛を必要としているようだし」
「だからって……。ケイティ殿の護衛の口はないのか?」
「聖女の姉の護衛について何の得があるんだ?」
――本当に話にならない。この二人と血がつながっていると思うと絶望する。
「自分の食い扶持は自分で稼げれば良いと言ってたではありませんか。私は兄上のスペアなんですから。王宮騎士になんて泊をつけてよいのですか?」
リンドン伯爵家の後継なんて、頼まれてもやりたいとは思わない。
が、後継の立場を守りたい兄にはこのくらい言っておいた方がよい。
兄は忌々しげに私を見ると、「まあ、レイヤードは好きにしたら良いのではないか」と手のひらを返した。本当に我が兄ながら、俗物的だ。父もその後は強くは否定しなかった。
「では、私はエメリン・リュクノールの護衛騎士になります」
ようやくこのどうしようもない生家とお別れできる。
レイヤードは清々しい気持ちで宣言した。
◇◇◇
「レイヤード、本当に反対されなかったの?」
「大丈夫だよ。伯爵家の次男なんて、いてもいなくても大した問題ではないんだから」
「そんなこと」
実際レイヤードを精神的に支えてくれていたのは、エマをはじめとするリュクノール家の人たちだ。そういう意味では、父の打算には感謝している。
「卑屈になっているわけじゃないさ。自由で良いって意味。それより、婚約者殿は大丈夫なやつなのか? 結婚準備で婚約者を辺境に呼びつけるなんて」
年頃のエマに、ついに婚約者が現れた。
ずいぶん遅かったくらいだ。覚悟はしていたが、胸が締め付けられるような思いだ。
まあ、婚約者が現れなくても、エマは俺の思いに気づくことはなかったんだが。
自分の思いが一人から回っているものだということは、レイヤードは痛いほど分かっていた。
自分を“男”として意識させようと、試みたこともあったが、エマとの関係は良くも悪くも変わらなかった。
それでも、エマへの思いを断ち切ることはできなかった。
だったらせめて、エマには良い相手と結婚してほしい。
幸せになれるまで見守るつもりだ。
その覚悟でエマの護衛騎士に立候補した。
「氷の貴公子」なんて呼ばれている男が、どんなヤツなのか。
大方政略結婚で仕方なく……と言ったところなのだろうが、エマがあまりに理不尽な扱いを受けるようであれば、エマを説得して婚約を破棄させるつもりでいた。
婚約を破棄したあと、相手がいなければ自分が手を挙げればいい。
エマだって、よく分からない男より自分の方が安心するはずだ。
あのときは、そう思っていた。
◇◇◇
診療所で出会ったエマの婚約者は、そのあだ名の通りの男だと思った。
呼びつけたにもかかわらず、政務を理由に結婚準備もままならない。
このままエマを軽んじるのであれば、トレラー卿の耳にも入れた方がよいと思っていた。
ところが……。
どこが「氷の貴公子」だというのか。
温室でエマのスカートの汚れを払っていたのを見られたときは、背筋が凍るような視線を向けられた。今まで政務を優先していたというのに、一体何なのか。エマは自分のものだと言わんばかりの視線をあの氷の貴公子が向けてきた。
茶会の日の挑発も、見事にかかり、「出番はない」とはっきりと宣告された。
周りの男を牽制するかのような髪飾りを贈ったかと思ったら、エマを揶揄っているふりをしながら堂々と溺愛している。
エマは相変わらずの鈍さで気付いていなさそうだが……。
ヴィクトールの行動は誰がどう見てもエマに懸想している男のそれだった。
エマの願いを聞いて馬車に同乗したときも、忌々しげに俺を睨みつけていた。二人っきりになれないイライラなのか、あからさまな敵意を向けてくる。まあ、自分も大分挑発したから、敵意を向けられても仕方ないのだけど。エマへの態度と雲泥の差だ。
「レイヤード、剣の鍛錬か」
アステリアへの移動中、早朝鍛錬をしていたら、ヴィクトールが声をかけてきた。
「はい。移動ばかりだと、身体がなまるので」
「そうか。熱心だな。君はアカデミーでも優秀だったと聞くし、一度手合わせ願えないか?」
ヴィクトールが微笑みながら、レイヤードに申し出た。
氷の貴公子の微笑みなど、レイヤードにとってはただの不敵な笑みにしか見えない。
「……私では、相手にならないと思いますが……」
「そんなことはない。私の婚約者の護衛騎士がどの程度の能力かも知っておきたい」
レイヤードは断ることができなかった。
ヴィクトールとの手合わせは、手合わせとは思えない殺気を感じた。
剣を握る手に痺れを感じる。
王宮では事務的な仕事が多かったと聞くが、ノクス領では魔獣討伐に明け暮れていた。
さすがというか……太刀のキレが格段に違った。
剣術の稽古ということで、魔法は封じて剣一本で練習しているが、これで魔法まで使われたら一溜まりもない。
「さすがアカデミーで優秀と言われただけあるな」
レイヤードはヴィクトールの剣を必死で抑えているというように、ヴィクトールは余裕の様子でレイヤードの実力を推し量っている。
――くそ、舐められている。
レイヤードは最後の気力を振り絞って、ヴィクトールに挑んだがあっさり交わされ、眼の前に切っ先を突きつけられた。
「感情的になると、剣は鈍る」
そう言ったヴィクトールは、悔しいことに汗一つかいていなかった。
「しかし、さすがの実力だったよ。レイヤード」
「ヴィクトール様に言われると、嫌味にしか思えません」
「そんなことはない。君は私の大切な婚約者の護衛騎士だ」
なんだか妙に強調してくる。
「あまり力不足であればやめてもらうことも考えていたが、まあ及第点だな」
「ありがとうございます」
「エマの身の安全のために、鍛錬を怠るな」
「はっ」
「それと……。護衛騎士と主人との距離は守るように」
「は?」
「騎士の基本中の基本だ。いくら優しい主人だとしても、君はただの護衛騎士だ。主人に触れていいわけはない」
「……はい」
「エマが戸惑うだろうから、愛称呼びは許してやるが、エマとの距離はしっかり守れ。さもなくば……」
ヴィクトールが、レイヤードに冷たい視線を送った。
背筋が凍るかと思った。
「はっ! 承知しました」
「分かればよろしい。レイヤード、朝食にしよう。皆が待っている」
レイヤードはヴィクトールの後ろについて朝食の席についた。
「レイヤード、また稽古をしていたの?」
エマはレイヤードににこっと笑いかけた。ヴィクトールがその様子をじっと見ている。
レイヤードはその視線に冷や汗が流れた。
「あ、ああ……」
レイヤードはエマから少し視線を外した。
「少し手合わせをしてもらったんだ」
ヴィクトールがエマに微笑むと、エマの隣に座った。
「まあ、そうだったんですか。ヴィクトール様、レイヤードは子どもの頃から剣術も得意だったんですよ」
「そうなんだ。確かに良い腕だと思ったよ」と、ヴィクトールはエマに微笑みかけている。
エマ……やめてくれ。それ以上、何も言わないでくれ。
レイヤードは、ヴィクトールの愛の重さを、身をもって知った。
エマへの愛は誰にも負けないと思っていたが……。
……恐ろしい方だ。
でも、これだけエマに執着しているんだから、きっと……。
レイヤードはヴィクトールには叶わないと、心の底から分からされた。
剣の実力も、エマへの愛の深さも。
でも、何より――エマを幸せにできる力が、自分にはない。
伯爵家の次男じゃ、エマの婚約者にはなれない。
ヴィクトールなら、エマを王都の貴族から守れる。
あの強さなら、エマをあらゆる危険から守れる。――ああ、これで良かったんだ。
なんとなく、晴れ晴れとした思いだった。




