【番外編①】ヴィクトールの我慢(ノクスへの道 アフターストーリー)
第40話 ノクスへの道 関連エピソードです。
エマ…本作主人公。闇魔法や薬学を駆使し活躍する。準聖女に認定された。
ヴィクトール…本作主人公。氷の貴公子。エマの婚約者。
レイヤード…エマの幼馴染。エマの護衛騎士。
ナタリー…エマの侍女。
アステリアからリュクノール領までは、馬車で四日ほどの道程だ。
「ヴィクトール様。見てください、あの鳥。とっても変わった羽の色だわ」
「どれ。ああ、あれはカザリドリだな。渡り鳥だ。リュクノール領ではあまり見ないかもしれないな」
「とってもきれい。そういえば図鑑では見たことが。あんなに大きいんですね」
エマはカザリドリが飛ぶ姿にうっとりしている。
青とピンクのグラデーションが尾羽が遠目からも鮮やかだ。
「幸福の鳥ともいわれている。見られてラッキーだったな」
「そうなんですか!」
ヴィクトールの言葉に、エマは素直にはしゃいだ。
往路の車内ではずいぶん緊張していたが、こうしてヴィクトールが近づいても今は身体が強張ることはない。カチコチに緊張しているエマも可愛かったが、こうして信頼してくれているのも嬉しい。
――アステリアの街中も、興味津々に見ていたな。
エマは領内で過ごすことが長かったからか、領外のことはあまり知らない。
「新婚旅行は外国に行くのもいいな」
「え?」
「どこか行きたい国はある?」
エマはヴィクトールを振り返った。
予想以上に近い距離にヴィクトールがいたことに気付き、エマが顔を赤らめる。
こういう反応が可愛くて、分からない振りで「ん?」とほほ笑む。
エマはヴィクトールから視線を外しながら「新婚旅行も、行けるんですか?」と言った。
「当たり前じゃないか」
「でも、ご政務もお忙しいんじゃ……。アステリアに長居してしまいましたし」
――エマがノクス領にいたときは、確かに魔獣討伐や政務に追われて結婚準備もあまり進まなかったな。
私も領地経営の補佐役に慣れないこともあり、政務には時間がかかった。
しかし、ノクス領の魔獣の討伐もずいぶん何故か今はずいぶん落ち着いている。
新婚旅行も行けない夫だと思われているのは、なんとも不甲斐ない。
「そんなの、すぐに終わらせるよ。エマは私と出掛けたくないの?」
「そんなっ……。ヴィクトール様とだったら、どこでも楽しいです」
エマは最近、恥ずかしそうに好意を示してくれる。
シャイなエマが、こうして思いを口にしてくれることは、ヴィクトールの気持ちを満たした。
「ねえ。エマ、どうして下を向くの?」
「え……」
「顔、上げて」
エマはおずおずと顔を上げた。
ヴィクトールはそんなエマの顔を捕らえ、そっと顔を寄せた。
目を閉じるエマを見て思わず笑みが溢れる。
――本当に愛らしいな。私の婚約者は。結婚が待ち遠しい。
ヴィクトールは素直に閉じられたエマのまぶたにちゅ…と優しく口づけた。
「私も、エマとだったら、どこへ行っても楽しい」
耳元にそっと囁くと、エマの美しい紫の瞳にヴィクトールが映った。
「式が終わったら、どこへ行くかゆっくり決めよう」
エマは嬉しそうに頷いた。
◇◇◇
「え? 一部屋? ですか?」
朝はあんなに良い天気だったのに。急に大雨に降られてしまった。
カザリドリは幸運を呼ぶのではなかったのか……。
あの鳥も、雨に降られまいと急いでいるところだったのか。
「この大雨で急にお泊りになる方が多くて……」
恐縮したように、フロントデスクの男は身を縮めた。
ナタリーは、肩を落としてヴィクトールに首を振った。
――ここも、ダメか……。
馬車の旅は予想外のこともある。予定していた宿泊先に着けないこともあるし、そういったときに常に貴族用の宿が抑えられるわけではない。今回は久しぶりにそういう状況に見舞われてしまった。
「どうしましょう……」
「隣の庶民用のものは二部屋空きがあるようです」と、レイヤードは言った。
使用人たちは皆、先ほどから近隣の宿泊先に懸命に確認を取ってくれている。
が、ちょうど良い宿泊先が中々決まらずにいた。
――……困ったな。
いま準聖女として注目を集めるエマを、警備が手薄な庶民用の宿泊先に泊めるのも不安だ。しかし、貴族用の宿泊先に一人で泊めるのも持ってのほか。
――一晩中、私がエマの部屋の前で待機しているか。
こうして悩んでいる間に、どんどん空室も埋まってしまう。早く決断しなくては。
ヴィクトールが考えあぐねて居ると、エマが「あの……」と口を挟んだ。
「レイヤードが見つけてくれたお部屋に、私とナタリー、ヴィクトール様とレイヤードで別れてはどうでしょう?」
「……え?」
「お部屋の数も足りないようですし……」
「しかし、レイヤードが見つけてくれた宿泊先は、警備が心配だ。それに……」
「お嬢様、私はお嬢様が宜しければ良いのですが、男性お二人で一部屋というのは少々窮屈ではないでしょうか。ヴィクトール様も、レイヤードも背もお高いですし」
ナタリーがヴィクトールの気持ちを代弁してくれた。
レイヤードもヴィクトールと同部屋では気も休まらないだろう。
ナタリーの言葉に、レイヤードもうんうん頷いている。
――まあ、私は野営もするから正直どこでもいいのだが……。
考えてみれば、エマのいう案も悪くはない。
警備は心配もあるから、レイヤードと交代でエマの部屋の前に待機すればいいか。
「いや、エマが言うことも」
「そうだわ! お嬢様とヴィクトール様がここにお泊りになれば良いのです」
ヴィクトールがエマの意見に賛同しようと口を開いた途端、ナタリーが閃いたとばかりにとんでもないことを口にした。
「ここでしたら、一部屋といってもお部屋も広いですし。もう一つベッドを入れていただければいいのですわ。警備もしっかりしています。そもそも、ヴィクトール様が傍にいらっしゃるなら、お嬢様の身も安心ですし!!」
「いや……しかし……ナタリー。結婚前の男女が」
「お嬢様、ヴィクトール様は紳士的な方ですし」
「で、でも…――。私はナタリーと同部屋の方が……」
「そう言っていただけるのは侍女冥利につきますが、私では何かあったときお嬢様の身を危険に晒してしまうかもしれません。それは私としても不本意です」
ナタリーはきっぱりとエマに言った。
侍女としてそれでいいのか。男と同部屋など、主人を身の危険に晒すとは思わないのか。
ヴィクトールを信用してくれているのは、有難いが……。
ヴィクトールとて、エマと同部屋になるのは二の足を踏んだ。
「ヴィクトール様だって、レイヤードと同部屋よりいいですわよね」
「いや……いいとか、悪いとかの問題では……」
ナタリーは常識的な侍女だと思っていたが、こんなときに限ってなんだってこんな奇抜な案を押してくるんだ……。
「あの……。お部屋の件ですが、お決まりでしょうか」
先ほどナタリーに対応していたフロントが恐縮しながら声をかけてきた。
ほかにも宿泊予定者がいるのだろう。
ナタリーは自分の案に自信満々の目を向けている。
レイヤードはナタリーの勢いに押されている。
エマは戸惑っているように下を向いている。
ああ、もう……。カザリドリが幸運を呼ぶだなんて、迷信もいいところだ。
――迷っている暇はない。これ以上エマを不安にさせるわけにはいかなかった。
「エマ……。私は部屋の前にいるから、ここで構わないか?」
エマは小さく頷いた。
◇◇◇
「あの……ヴィクトール様」
部屋の扉を開け、エマがヴィクトールに声をかける。
「本当に中にお入りにならないのですか?」
「ああ、気にしないでくれ。別に魔獣討伐のときに野営もしているし、一晩くらいここで過ごしても全く問題ない」
ヴィクトールはエマに言った通り、エマの部屋の前に椅子を置いて座っていた。
「でも……宿泊客の方にも見られていますし」
「別に気にしなければいい」
「お眠りにならなくても、お風呂もありますし。旅の疲れを癒しては……」
エマはヴィクトールに何度目かの声をかけてきた。
「ヴィクトール様、お部屋も広いですから」
「エマ、気にしないでゆっくり休んでくれ」
「そんな……。気になります! お願いですから!!」
エマは頑ななヴィクトールに困っていた。
――エマにいくら頼まれたって、ダメなものはダメだ。
宿泊客がチラチラとエマとヴィクトールの様子を見て行く。
まるで痴話喧嘩でもしているように見えるのだろうか。
「もう……。ヴィクトール様、意地悪しないでください」
困り果てたエマの目が、うるうると潤んできた。
「意地悪ではないんだ、エマ。これが一番君の身の安全を守る行動だ。分かってくれ」
「そんな……」
エマはヴィクトールの頑なさに肩を落として部屋に戻った。
と思うと、椅子を出してエマまで部屋の前に座り始めた。
「エマ! それでは私がここにいる意味がないじゃないか」
「ヴィクトール様が頑固でいらっしゃるからいけないのです」
「頑固なのはどっちだ」
お互い見つめ合った。
――似たもの同士ということか……。
「負けたよ」
ヴィクトールは椅子から立ち上がり、エマの椅子と共に部屋に入った。
◇◇◇
――やっぱり部屋に入ったのは間違いだった。
客室係には部屋の隅にもう一台のベッドを入れてもらった。
自分の手を縛ってでも、エマの身を危険に晒すつもりはなかった。
なかった……というのに。
風呂から上がって来たら、エマが果実酒を飲んでぽやっとした顔をしている。
「エマ……?」
エマの傍らにあった瓶を持つと、1本ほぼ空になっていた。
夜会のときに酒は飲んでいたから、普通には飲めるのだろうが……。
なんだってこんなときに限って、1本丸々飲んだりするんだ。
「あ、ヴィクトールさま。お風呂、きもちよかったですか?」
いつもよりも舌足らずな口調が心許ない。
「エマ、飲みすぎだ。なんだってこんな……」
エマから果実酒の瓶を取り上げた。
「あ!」
「あ、じゃない。何を考えているんだ」
――私の理性を試しているのか。
「だって……――。ヴィクトールさまといっしょだとおもったら、おちつかなくて……」
「だから外にいると言っただろう」
「やっ」
エマが急にヴィクトールの首に抱きついて来た。
夜着越しにエマの温もりを感じる。
――勘弁してくれ。
「いっしょにいてほしかったんれすけど。……ヴィクトールさまがおふろにはいってるとおもうと、はずかしくなって……。ちょっときんちょうをほぐそうとおもって」
ヴィクトールとて、同じだ。エマの風呂上りの姿など、目の毒以外の何ものでもない。
こんな風に、無防備に酒に酔った姿も……。
「君は私がどれだけ我慢していると思っているんだ」
ヴィクトールは、エマを抱き上げながら、エマをベッドまで運んだ。
そっとエマをベッドに置き、ヴィクトールが身体を離そうとすると、エマの手がヴィクトールの腕を掴んだ。
「ヴィクトールさま、わたし……ヴィクトールさまがすき、です」
「ああ、私もだ」
こんなに心がかき乱されるのは、後にも先にもエマ一人だ。
だからこそ、エマを大切にしたい。
そう思っているのに、エマはヴィクトールの理性を打ち砕こうとしているのか。
これ以上触れたら、もう戻れない。分かっているのに、エマの指は離れなかった。
エマがヴィクトールを抱きしめ、口づけをした。
うるんだ瞳がヴィクトールを捕らえている。
「くちにしてほしかったんです」
「え?」
「今日、ヴィクトールさま、くちびるにしてくれないから」
――馬車でのまぶたへほ口づけを思い出した。
エマの可愛い要求に、ヴィクトールの理性がガラガラと音を立てて壊れるのが分かった。
「エマ……」
ヴィクトールはエマの期待に応えるべく、小さな唇を思う存分貪った。
エマの口内は果実酒の甘い匂いがした。
ヴィクトールの目が、エマの白い首筋を捕らえた瞬間、エマの寝息が聞こえた。
「エマ……?」
エマは子どものようにスヤスヤ寝ている。
――……なんかこういうこと、前もあったな。
ヴィクトールは、スヤスヤ眠るエマに布団をかけた。
――まったく、私の婚約者はとんでもない聖女だな。
ヴィクトールは、エマの寝顔をながめながら眠れない夜を過ごした。
「カザリドリは幸運を呼ぶ……か」
昼間に見た渡り鳥を思い出した。
エマからの口づけを思い出し、「まあ、確かに……幸運を呼んだな」とヴィクトールはエマの安らかな寝顔を見ながら呟いた。
翌日、何も覚えていないエマに、「昨夜はずいぶんと大胆だったね」と耳打ちしたところ、真っ赤になって硬直したので、しばらく揶揄うのをやめられなかった。




