第36話 闇に魅入られし者
第36話 闇に魅入られし者
先日の魔獣討伐で負傷した兵士たちは、教会に集められケイティの治癒魔法を受けていた。その多くは回復していた。が、今回の魔獣たちが闇魔法の影響を受けたことが関係しているのか、治癒が遅いものもいた。治癒が遅いものにはエマが作った薬も使われた。
「お姉様が作った薬の効果は本当にすごいわ!」
ケイティは感心したようにエマに言った。
「私はケイティみたいに治癒魔法だけで治療することはほとんどできないから……」とエマが言うと、ケイティは「私の魔法が効かなかった人も、薬で少しずつ回復しているみたい」と笑った。
「そう、それは良かった」
「兵士たちも、お姉様に会いたがっていたわよ」
ケイティとエマは、あの場に居合わせた者たちには、すっかり“光と闇の聖女”として認識されているようだった。「聖女」扱いに慣れないエマは、ノクス領でのときと同様に少しだけ居心地の悪さを感じていた。聖光教会の中でも様々な立場がある。私を屠ろうとした者も、教会関係者なわけだし。今回の魔獣討伐も、考えてみれば私がいなければ起こらなかったと考えられてもおかしくはない。この歓迎ムードに、いつ手のひらが返されるのか、恐ろしくも思っていたのだ。
――でも、兵士様の回復状況も気になるし、今度様子を見に行こうかしら。ヴィクトール様の容態も安定したし、ケイティだけに任せっぱなしというのも……。
「エマは会う必要はない」
病人の振りをやめたヴィクトールが、騎士服を身にまといエマの後ろから当たり前のように口を挟んだ。そんなヴィクトールをケイティは呆れたように見る。
「ヴィクトール……」
「エマをそんな男たちの前に晒すなんて、許すわけがないだろう」
「そんな男たちって……。ヴィクトール、あなた何を言っているの?」
「いかがわしい男たちの前に、なぜエマを晒す必要があるんだ?」
「いかがわしいのは、お前だろう。ヴィクトール」
冷静にツッコミを入れるルシアンに、ヴィクトールは一瞬言いよどんだ。
「私は……エマの婚約者だ」
「いかがわしい婚約者殿は、自分の物差しで考えるから狭量になるんじゃないのか。別に男だからと言って、ヴィクトールのような妄想をしているわけじゃない」
先日の件で旗色の悪いヴィクトールは、ルシアンの嫌味にバツが悪そうに押し黙った。
勝ち誇ったルシアンが、エマの横に座ると、エマの傍らで「エマ、私は紳士そのものだ。安心してくれ」とそっと囁いた。その様子にヴィクトールはエマの両耳を後ろからふさぐと、「貴様が一番安心できないんだ」と睨んだ。
ヴィクトールはルシアンを隣国の皇太子だということを忘れているのか、最早「貴様」呼ばわりしている。ルシアンもなんだかんだで、ヴィクトールを気に入っているようなので、気にしなくていいのかもしれないけれど。
「まあ、ヴィクトール。そんなにイライラするな。どちらにしても、エマの準聖女認定式の準備も進んでいる。この前の件で、国民からも強い声が上がっているんだ」
カイルがルシアンとヴィクトールの争いに口を挟んだ。
「あの光の柱は、ディベリアからも見えたというから、ルーク王国では知らないものはいないだろうな」
「そうですか……」
いまは歓迎されている声が多く聞こえてはくるが、「目立つな」という祖父の教えも相まって、正直言えば注目されるようなことは気が乗らない。枢機卿のように、とまでは行かなくても、同じような心持ちの人はいるはずだ。ケイティはエマの様子から何かを察したようにカイルに聞いた。
「枢機卿様のことはどこまで分かったの?」
「ああ……そうだな。調査では枢機卿の生育環境が大きな影響をもたらしたのではないかと考えられている」
「生育環境?」
「ああ。枢機卿の家は、厳格な原理主義の家なんだ」
エマはその事実に、枢機卿の心に巣くった孤独を考えざるを得なかった。聖光教会の原理主義者の家に、忌み嫌われる闇魔法を持つ子どもが誕生した。私の場合は、お祖父さまがいたし、お祖母さまだって、エドワードやレイヤード、ナタリーだって、私の力を知って認めてくれていた。どうこの力と向き合うべきかを教え導いてくれる人がいた。でも、枢機卿はどうだったのだろう…――。だからと言って、この結果を招いたことが許されるわけではないけれど、同じ闇魔法を持つ者としては同情を禁じ得ない。
「枢機卿に……一度、お会いすることはできるのかしら」
エマがぽつりとつぶやいた。
ケイティもエマのつぶやきに反応するように「私も一度彼に会って話がしたいわ」と言い出した。
カイルは二人の申し出に頭を抱えたが、ため息をつくと「……あとで許可を取る」と言った。
◇◇◇
城の牢獄に足を踏み入れるのは、初めてだった。地下に降りて行くに従い、辺りはどんどん薄暗くなっていく。兵士により厳重に見張られている牢の前にカイルが立ち止まった。そこは、枢機卿の牢だった。
「カイル殿下」
しわがれた声が聞こえる。エマの位置からは枢機卿の姿は見えないけれど、その声が彼のものだというのはすぐに分かった。あのとき、あのステージの上で、エマを糾弾した男の声そのものだった。ヴィクトールはエマの手をぎゅっと握った。エマは大丈夫だというようにヴィクトールを見た。
「枢機卿様」
ケイティが、牢の前に一歩進み、枢機卿に声をかけた。
「聖女様、どうしてこんなところに……」
ケイティの姿を見た枢機卿は眩しそうにケイティを見た。懐かしい目をしている。
「あなたに……、どうしてこんなことを起こしたのかを、直接聞きたかったの。あなたは私を教え導いてくれる存在でもあった。そのあなたがどうしてこんなことをしたのか……」
ケイティの瞳が潤んでいるように見えた。過去と決別しようとするように、ケイティは枢機卿にきっぱりと告げた。
「どうして、ですと……? 何を言っているのです?」
枢機卿は、ケイティの問いに心底何を言っているのかが分からないという顔をした。
「あなた様のためです。この世界は一世一代の聖女によって守られるべきだ。偽りの聖女など、この世界に有ってはならない存在なのです」
「偽りの聖女だなんて……何を」
「あなた様には何度もお話してきたはずです。この国の建国には、女神と光魔法が深く関わっております。闇に取り込まれていたこの地を救ったのが、女神様であり、あなたはその女神様のお力を今世で唯一継いでおられる方なのです。あなたの御姿、その力が何よりの証拠。あの偽物とは違う……」
ケイティは枢機卿の言葉に顔を歪めていた。
「枢機卿」
エマはケイティを押しのけて、枢機卿の前に一歩前に出た。
枢機卿はエマの姿を見た瞬間、わなわなと震え出した。
「不吉な……! なぜお前がここに。お前が聖女様の姉であるというのも許せぬのに。偽聖女として国を混乱に陥れるとは誠に許しがたい所業……」
枢機卿は興奮したように、牢を叩いた。ヴィクトールが警戒したが、エマは怯まなかった。
「この国を混乱に陥れたのは、私ではなくあなたです」
「何を言っている……! この闇の女めがッ」
「枢機卿……。あなた自身、闇魔法の使い手でしょう? なぜ、あなた自身を否定するようなことをするの?」
枢機卿は、一瞬エマの言葉に悲痛に顔を歪めたような気がした。見て来なかった自分の傷を突き付けられたような思いだったのかもしれない。取り繕うように、枢機卿は大声を上げた。
「……わ、私が、闇の使い手だからなんだと言うんだ! 私は聖光教会のために、ルーク王国のためにこの身を捧げて来た。この身はどうなってもよい! 聖女様、あなたをお守りするために、全て捧げたのです! お前とは違う。私は聖光教会の枢機卿として、一信徒として……」
言葉の端々に、理屈ではない何かが滲み始めていた。
「私は何も間違ってなどいない!」
枢機卿の声が次第に甲高くなっていく。
「聖女さま……聖女さま……」
誰に話しかけているのか、ぶつぶつと呟き始めた。
その瞳には、もうこの世界は映っていないようだった。
その様子を見て、カイルは首を振った。
もう彼はこの世界の住民ではなくなっているのかもしれない。
いつから闇に魅入られてしまったのだろうか…――。
エマは闇魔法の恐ろしさを感じていた。
◇◇◇
「エマさま!」
地下牢から外へ出ると、外は明るい陽射しに包まれていた。先ほどまでの枢機卿とのやり取りが、嘘のように感じられる。外ではルシアンと子どもがエマを待っていた。エマに駆け寄ってきたのは、あのときの子どもだった。元気そうにエマに向かって走って来る。
「エマ、ロイという。君に会いたがっていた。ちょうど教会に来たから連れて来た」
あの後、親にも会えて無事に過ごしているとルシアンには聞いていた。あのとき怯えた顔をしていた子はすっかり元気になったようだ。
「元気そうで良かったわ」
エマは微笑むと、ロイは照れたように笑った。
「エマ様、あのときはありがとう」
「どういたしまして。賢いのね」
エマは子どもの頭を撫でた。
「エマ様、これ……」
ロイは小さな手で握っていた1本の花をエマに手渡した。
「まあ! くれるの?」
ロイは照れたように頷いた。
「ありがとう」
エマがロイをぎゅっと抱きしめる様子を見たルシアンが、ヴィクトールに「まさか子どもにまで怒ってないよな」と言ったのが聞こえた。




