第34話 献身
第34話 献身
エマが目を覚ましたのは、翌日の昼過ぎだった。
身体中が重く、魔力も空っぽだったが、ヴィクトールの様子を聞くと居ても立ってもいられなかった。 「お嬢様、まだお身体が……」
ナタリーの制止を振り切り、エマは彼の部屋へ向かった。
「エマ、少しは寝たらどうだ? そんなんじゃ、また倒れるぞ」
目覚めてから、ヴィクトールの傍から片時も離れないエマに、ルシアンが声をかけてきた。
「ルシアン殿下、ありがとうございます。でも、ここにいたいの……」
ルシアンは使用人から預かったエマの食事をベッドサイドに置くと、労わるような目でエマを見た。
「あまり無理をすると持たない。君が倒れたら、ヴィクトールがうるさいだろ」
ルシアンは軽口を叩き、エマの頭を軽く撫でた。いつもなら、ヴィクトールが青筋を立てて怒りそうなものだが、いまのヴィクトールは静かに目を閉じていた。
「少し何か食べろ」
エマは頷くと、ルシアンはそっと部屋から出て行った。
あれからヴィクトールは、王宮のベッドで横になったまま意識を取り戻すことはなかった。
王宮の医師もヴィクトールの状態を確認したが、成す術がなかった。
「心音も、脈も、正常です。あとは……ヴィクトール様の生命力を信じて待つことしかできません」
力なく医師はそう告げた。
エマはその医師の言葉に、希望を見出していた。
ヴィクトールの生命力次第なのであれば、彼は絶対に目覚める…――。
そう、固く信じていた。
眠り続けるヴィクトールに、口移しで薬を与え、身体を拭き、話しかける。
魔獣の傷跡を少しでも薄くできるように、中和の力を放ち続けていた。
眠るときも、ヴィクトールが目覚めたら……と言って彼の部屋で椅子に座ったままうたた寝をする程度だった。このままではお嬢様が倒れてしまうと、ナタリーが何度もヴィクトールの部屋に顔を出し、看病をするエマを気遣った。レイヤードも、ルシアンも、カイルも、ケイティも、エマとヴィクトールの様子を代わる代わる見に来ていた。誰もが彼の目覚めを待っていた。
しかし、あれから1週間が経ったいま、彼は目覚めることはなかった。
――考えてみたら、こんな風に彼の寝顔を見るのは初めてだわ。
いつも、ドキドキさせられてばかりで。初めて出会ったときの胸の高鳴りを思い出していた。
「最初は紳士だと思ったの。私には勿体ない紳士だって……」
濃紺の髪、アイスブルーの瞳。表情は冷たく見えた。けれど、私に差し出された手は、ロマンチックではなかったけど誠実なものだった。だから、よく分からない男性との政略結婚も、怖いとは思わなかった。
ノクス領に行ってからは、気が付いたら彼の虜になっていた。診療所でエマを守ってくれた。私の身を案じて髪飾りをくださった。髪飾りの魔石が紫ではなくピンクだったのは、彼の優しさだということに後になって気づいた。
エマは自分の指にはまったタンザナイトを見つめた。朝の日の光に照らされて、紫にも青にも見える。
「ヴィクトール様、いつお目覚めになるの?」
エマは小瓶の薬を自分の口に含み、ヴィクトールに口移しで薬を飲ませた。
ヴィクトールの唇は柔らかかった。あの、熱い口づけを時折思い出していた。
アイスブルーの瞳が、熱く燃えがあるのを思い出していた。
ヴィクトールの瞳が見たい。
エマはルシアンが運んでくれた朝食を口にした。
◇◇◇
「枢機卿に操られていた大司教たちは、少しずつ正気を取り戻しているようだ」
「操られていたときのことは覚えているのか?」
「記憶は途切れ途切れのようだな」
「枢機卿の余罪は、相当ありそうだ」
「枢機卿はどうしている?」
カイルはルシアンの問いに首を振った。
「これほどのことを起こした男とは思えない状態だ。牢獄の隅で、誰に話しかけているのか一日中何かをブツブツ言っているよ」
彼自身、もう闇の世界の住民になっているのかもしれない。
「彼の処罰は裁判で決まる。極刑は免れないだろうが……死の前に、彼が行ったことを明らかにしなければならないだろう」
枢機卿は、魔獣をも操りアステリアを壊滅させてでも、エマを屠ろうとした。
一体彼はいつからそんな闇に魅入られていたのか。
大罪を犯した彼に、安易な死を選ばせてはならないとカイルは考えているようだった。
ヴィクトールの部屋に、皆が集まり、その後の状況をカイルが話してくれていた。ルシアンと密かに共謀していたこと、闇魔法のことを秘匿していたことをカイルには責められた。それ以上に宥めるのが大変だったのはケイティだ。ケイティだけが、何も知らされていなかった。「いつも私だけ何も教えられていない」と涙目で怒るケイティを、カイルが慰めていたが火に油を注いでいた。
「ケイティ、ごめんなさい。あなたのことを思って知らさない方がいいだろうと思っていたけど、そんなの私たちの勝手よね」
エマの闇魔法のことも、ケイティが聖女だったから知らせなかった。
エマの身が狙われていることも、ケイティが聖女だったから知らせなかった。
聖女には一点の曇りもあってはならない。
ケイティを不安にしてはいけない。
勝手な私たちの思い込みが、ケイティを孤独にしていたのだろう。
私はケイティと比較されるのが嫌で、彼女と向き合うことを避けて来た。
けれど、私のそのような態度が彼女をどれ程傷つけて来たのだろうか。
「ケイティ、ごめんなさい」
エマは目に涙を溜めているケイティに、頭を下げた。
ケイティは、エマをぎゅっと抱きしめた。はじめて、ケイティとエマは抱き合った。
このとき、はじめてエマは彼女を妹だと思えた。
ヴィクトールが目覚めたら、喜んでくれるかしら?
ふと、眠るヴィクトールを見ると、ヴィクトールのまぶたが微かに動いたような気がした。




