第32話 盾
第32話 盾
ついに魔獣が、アステリアに踏み込んだ。エマを狙うかのように暗い影が集まって来る。
エマに覆いかぶさるように襲い掛かる黒い魔獣を、ヴィクトールはいとも容易く剣で切り裂いた。
「やるな、ヴィクトール」
「魔獣討伐は慣れている。エマ、心配するな」
ヴィクトールは、言葉通り、風魔法や火魔法、剣を巧みに使いこなしながら、次々に現れる魔獣を切り裂いていく。ルシアンは、ヴィクトールが攻撃に専念できるように三人に結界を張ってくれている。
襲い掛かる魔物の数は相当なものだが、ヴィクトールに切りつけられ倒れる魔物たちも物凄い数だった。
ヴィクトールが魔物を相手にしている間、次々と人々は安全な場所へ避難していた。カイルが用意したのだろうか、兵士たちも続々と集まって来たし、カイルまでもが剣を握っていた。
「カイル、お前は指揮官でいろ」
「ルシアン殿下にまで戦わせて、私が引っ込んでいるわけには行かないだろう」
「気にしないでいいのに」
「そうは行きません」
緊迫した戦いの中で、3人はいつもの態度を崩さなかった。冷静に、次々と魔獣を倒していく姿は、周囲にも勇気を与えていた。兵士たちの士気も高まっていた。
順調にも思える討伐だったが、あまりに次から次へと訪れる魔物に、いつまで持つのかが不安になった。
このまま、なんとか逃げ切れるだろうか……。
何か、打開策はないだろうか。ケイティは、繰り返し浄化魔法をかけているが、効き目は弱い。教皇たちも魔法で襲い掛かろうとする魔獣を辛うじて跳ね除けている。
ケイティの浄化魔法の効きがこんなに弱いなんて。通常の魔物ではないということだろうか。
このままいたずらに浄化魔法を使い続ければ、魔力が枯渇してしまうだけだ……。
楽し気にも見える表情で混乱する会場を見る枢機卿を、エマは見た。
おそらく、あの男がこの魔獣を操っている…――。
だとしたら…――。
「ヴィクトール様! 私に策があります。このままケイティの方へ向かえますか?」
ケイティのいるステージまでは400メートル程離れていた。
通常であれば5分もかからない距離だが、魔物が溢れるこの混乱した状況では動くに動けない。
無茶を言っているのは分かっていた。
でも、この方法にはケイティの力が必要だった。
「……分かった。任せろ、エマ。ルシアン、東へ走るぞ! 結界を緩めるな」
「分かった。任せろ」
「エマ! このまま一気に行くぞ!」
ヴィクトールの合図で3人は走った。ケイティに向かって。
必死に走った。
ヴィクトールは絶対に魔獣を倒してくれる。
ルシアンは絶対に私たちを守ってくれる。
そう信じていたから、全力で走ることができた。
とにかく、急がなければ……。
ケイティのいるステージにあと一歩というところだった。親とはぐれたのか、小さな子どもが身を隠すようにステージの影に隠れていた。声を押し殺して泣いている。
エマと目が合った瞬間、子どもが安心したように飛び出して来た。
「だめ!」
エマは飛び出して来る子どもを守ろうと、ルシアンが張っている結界から飛び出た。
「「エマ!」」
ヴィクトールとルシアンの声が重なった。
結界から飛び出たエマを狙う魔獣が動きを速め襲いかかったが、エマの髪飾りの魔力が発動し、魔獣たちは一瞬のうちに吹き飛ばされた。
エマは飛び出て来た子どもを抱きかかえると、ルシアンの張る結界の中に飛び込もうとした。
その瞬間、巨大な魔物がギラリとエマを睨み、エマと子どもに向かって大きな鉤爪を振るった。
エマの髪飾りに付与された魔力は発動しなかった。
ルシアンに習った闇の攻撃魔法を放つが、エマが放った力は魔獣には大きなダメージは与えられなかった。それどころか、エマの攻撃魔法にカッとなったように魔獣が天に向かって激しく吠えた。
魔物の爪が、エマの白い頬を僅かに掠めた。エマの頬から真っ赤な血が流れるのが分かった。
子どもを抱えながら魔物の攻撃を交わしたエマだが、再び魔物が立ち上がりエマの前に立ちはだかった。
――もう、ダメなの……。
エマと子どもを覆い隠すほどの大きな影が包んだその瞬間、その影がエマの前でドシーン…と音を立てて倒れた。ゆっくり倒れていく魔物は、目を大きく見開いたまま動かなくなっていた。
魔物の背後からは、剣を振り下ろしたヴィクトールが現れた。
――ヴィクトール様……。
「エマ! 早くこちらへ」
ヴィクトールが倒れるエマをぐっと引き寄せ、その隙にルシアンが子どもを抱きかかえた。
ルシアンは怯える子どもの頭を撫で、立ち上がったエマに預けた。
エマと子どもはルシアンの結界の中に戻った。
エマとケイティはあと3メートルほどの距離だ。
「ケイティ!」
「お姉さま」
「私に策があるの。力を貸して!」
浄化の力を放ち続けるケイティは、疲れ果てているだろうが、それを感じさせないほどの力強さでエマを見た。
「はい! もちろんです」
「エマ、ステージに上がれるか」
「はい、大丈夫です」
エマがステージに上がろうとした瞬間、魔獣たちは何かを察したのかエマに向かって集まって来た。
――これは……なに?
ステージの端を見ると、枢機卿が魔獣を怪しい目で見続けている。
――この男、思念一つで、魔物の動きまで操っているというの?
枢機卿の闇に魅入られる瞳を見て、エマは背筋が凍った。
ダメ、ここで怯むわけには……。
エマに襲いかかる魔獣たちを、ヴィクトールが次々と倒していく。
ヴィクトール様が抑えてくれているうちに、なんとか……。
ケイティとの距離は、あと1メートルほどのところまで来ていた。
駆け寄ろうとした瞬間、エマの動きが止まった。
不安気な顔の子どもが、エマのスカートを握りしめたまま、エマを見上げていた。
また、一人になると思ったのだろう……。
「大丈夫、必ず戻るから。……ルシアン殿下」
「ああ」
ルシアンは、エマのスカートを握りしめる子どもの小さな手を解くと、その手を握った。
エマはその様子をほっとした思いで見た。
再び駆け上がろうとした瞬間――……。
エマを阻止しようと3頭の巨大な魔獣が迫っていた。ヴィクトールが剣で斬りつける。ルシアンが、結界を維持しながらも攻撃魔法を放つ。二人が魔獣を倒している瞬間、また新たにエマに襲いかかる魔獣の影が忍び寄った。エマの3倍はある大型の獣だった。目はおかしなほどギラギラと赤く光り、雄叫びを上げている。雄叫びを上げる口からはダラダラとよだれのようなものが滴っている。闇を切り裂くような雄叫びが、まるで仲間を呼び寄せているようだった。
「エマ……!」
先ほどまで別の魔獣を切りつけていたヴィクトールが、エマの前に立ちはだかった。
それはまるで、エマの盾のようだった。
襲いかかる魔獣から守るように、ヴィクトールがエマを包み込んだ。
ヴィクトールの背に、巨大な魔獣の鉤爪の痕が、深く残っていた。
「うっ……」
「ヴィクトール様!!」
「ヴィクトール!」
悲鳴にも似たエマの声が響いた。その声に反応するように、ルシアンも二人を見た。
ヴィクトールが、苦しそうに膝を折りながらも、エマの頬に優しく触れ微笑んだ。
まるで、エマを安心させるようとしているようだった。
「いや……、ヴィクトール様……」
「行け、エマ。私は大丈夫だ」
ヴィクトールは、ふらつく足でぐっと足を踏ん張っていた。
「行け!」
エマは零れそうになる涙を必死にこらえて、ケイティの下へ駆け上がった。
視界の端で、襲いかかる魔物を最後の力を振り絞るように倒し、倒れていくヴィクトールが見えた。
子どもを抱きかかえたルシアンが慌てて駆け付け、ヴィクトールの周囲に結界を張っていた。
大丈夫。
ヴィクトールは大丈夫。
だって、私を離さないと言ったじゃない。
何があっても、私を離さないって。そう、言ったじゃない。
だから、いま私がすることは、彼に駆け寄ることじゃない。
エマはケイティの手を取った。




