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不気味令嬢は、氷の貴公子に溺愛される  作者: 青海きのこ


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第3話 呼び名

第3話 呼び名


人の口に戸は立てられぬ。とはよく言ったものだ。

いや、覚悟はしていたが、こんなことになるとは…――。

先日の診療所の一件で、ノクス領に聖女が現れたと騎士たちの間で噂になっているらしい。


「ヴィクトールが騎士たちから話が漏れないように抑えているから安心してね」


奥様は、ヴィクトールとそっくりなアイスブルーの瞳で優しく微笑んだ。

その横には、熊公爵ともいわれる豪傑なノクス辺境伯が楽しそうに大きな声で笑った。

聖女もどきの力や闇魔法のことが広く知られると、面倒なことになるのは火を見るよりも明らかだ。

だから、ノクス家の対応は、エマにとっては有難いものだったし、彼らがこの力を政治利用する素振りを感じなかったことも信頼できた。


「しかし、わが娘にそんな力があるとは、素晴らしいことだな」


正式な結婚はまだだが、熊公爵は既にエメリンを娘のように思ってくれているようだ。

目尻に刻まれた皺が親しみやすい人柄を思わせた。

闇魔法の件は、騎士たちの噂を耳にしたノクス辺境伯様に、問われ事情を説明することとなった。

ご夫婦は豪胆なタイプなようで、私の魔法も、髪も、瞳も、全く気にしていないようだった。

考えてみれば、ヴィクトール様も、「氷の貴公子」というあだ名の通り最初は近寄りがたさを感じたものの、いまはそんなことはない。

領地に来てからは、使用人や騎士たちにも慕われていることがよく分かった。

王命とは言え「不気味令嬢」と言われる私との婚約を受け入れてくれただけある。一介の貴族とは器が違う。

さすがは辺境を任されるだけある人物だと、接してみて初めて思った。

こういう方々ばかりだったら、エマの社交嫌いも少しは緩和されたかもしれない。


「それにしても、ヴィクトールはまた討伐なの? こうしてエメリンがノクス領に来てくれているっていうのに、全く…」

「最近市街付近の森での出現も増えているからな」


ヴィクトール同様、ノクス辺境伯様も騎士たちと討伐に参加されるという。

当たり前のように領民たちを守る姿を見ると、同じ貴族として身を正さなければならないと思わされる。

ヴィクトールは今日も討伐に参加している。

辺境伯夫人が苦々しくこぼす通り、遅々として結婚の準備は進んでいないが、エマはあまり気にしていなかった。


「お気になさらないでください。ヴィクトール様がお忙しいことは心得ております」

「でも、婚約者をこうも放っておくのは」

「放って置かれているわけではおりません。本日もお部屋にお花をお贈りくださって」


毎日ヴィクトールが花をくれるから、いまや離宮は春のようだった。


「あの子は朴念仁だから。一体誰に似たのかしら」と、奥さまは隣をちらっと見て、ふふふと笑った。素敵なご夫婦だ。


◇◇◇


「この部屋が花で埋もれる頃には、結婚の打ち合わせが進むのか」


レイヤードは、ヴィクトールが贈る花を忌々し気に見ながら、吐き捨てた。

私の両親は、聖女の力を持つケイティに付き添い、ずっとタウンハウスで暮らしていた。

今も王太子の婚約者となったケイティのサポートで忙しいようだ。

私や弟のエドワードは、幼少期から両親と離れ、領地のカントリーハウスで祖父母に育てられた。

エドワードは、高齢となった祖父母を思い、長期間家を空けることを嫌った。

今回の随行も、家族の誰も付いてくることができなかったため、レイヤードがついて来てくれることになった。そ

ういう事情もあり、レイヤードは、私がこの家で粗末に扱われないよう、気を配ってくれている。


「レイヤード、そんなに心配しなくても大丈夫よ。魔物の出現は仕方がないことだもの。

それに、魔物討伐より逢瀬を重視する男性の方が、信用ならないわ」


「そうですよ。こうして毎日お花を贈ってくださって、お嬢様へのお気持ちの表れじゃないですか」とナタリーも続けた。

部屋には珍しい花々が並ぶ。

気候が違うと、こんなに植物が違うのか。

見慣れない花の香りを嗅ぐと、成分を分析してみたい気持ちになった。


「どうせなら、薬草も贈ってくださると嬉しいんだけど」


私のつぶやきに、レイヤードもナタリーも呆れたように私を見た。

窓の外を見ると、立派な庭園もある。

奥様に庭園散策も勧められたし、こんな広大なお庭だもの。初めて見る薬草の一つや二つすぐに見つかりそうだ。


「ねえ、レイヤード」


レイヤードは私の問いかけに全てと察し、頭を抱えた。


◇◇◇


ノクス家の庭園はさすがだった。

美しい大輪の花々はもちろんのこと、ガラス温室には各国の珍しい植物が揃っていた。

「すばらしいわ!」と歓喜の声を上げると、庭師は誇らしく頷き、植えられている植物の説明をしてくれていた。

お花が好きな普通の令嬢と違うのは、植物の毒性や効能、味などにも興味を持っていたところか。

しかし、庭師はそんなエマの質問に、水を得た魚のごとく生き生きと話し続けた。


「この花は土壌によって色を変えるところが面白い点です」

「まあ、土壌で色を変えるなんて素敵ね」

「こちらの花は香しいですが、根を口にすると食中毒や皮膚炎を引き起こすとも言われています」

「まあ、そうなの」


エマは初めてみるレンジアという花の根を想像した。

根には毒成分が含まれるようだが、葉や花はどうだろうか。

毒と薬は紙一重ともいうし。

子どもの頃からの癖か、初めて見る植物は徹底的に分析をしたい衝動にかられる。

薬師の家系の性ともいえるかもしれないが、こんな「性」を持っているのは、私と祖父くらいだろう。

エドワードも、祖母も、研究者肌ではない。

エマは、花に夢中になるあまり、ドレスが汚れることも気にしていなかった。


「エマ、裾が…」


レイヤードが私のドレスの裾に付いた土をほろってくれた。


「レイヤード、ありがとう」


「自領じゃないんだぞ」と、レイヤードは私のおでこをポンと叩き、軽く窘めた。

いつだっただろう。

一緒に遊んでいたレイヤードが、私の背を抜いたのは。

時の流れの早さを感じながら、エマはレイヤードを見た。


「ヴィクトール様!」


温室の戸の前に立つヴィクトールに庭師が驚いたように呼び掛けた。いつからそこにいたのか。

花に夢中になって全く周りが見えていなかった。私はレイヤードを傍らに置き、ヴィクトールに礼をした。

「打ち合わせが進まず申し訳ない。エメリン」と、ヴィクトールが歩み寄った。


「とんでもないことでございます。ヴィクトール様に置かれまして、ご機嫌麗しゅう」

「残念ながら、あまり麗しくはないな」


連日の魔物討伐の疲れだろうか。

厳しい顔をしたヴィクトールは、後ろに控えるレイヤードをチラリと見た。


「ずいぶんと親しい護衛騎士をお連れなんですね」


その声は穏やかだったが、なぜか空気がひやりとした。

先ほどの様子を見られていたのか、ヴィクトールはお手本のような笑顔を浮かべながらエマに言った。

慣れないヴィクトールの美しさに、エマはよく分からない圧を感じていた。

何か、誤解なさっている?


「彼は…幼馴染で」

「リュクノール侯爵領の近くというと、リンドン伯爵領か。

…――というと、次男の、レイヤード卿でしたか」


ヴィクトールのさすがの記憶力、洞察力にエマは舌を巻いた。

幼馴染だと言っただけで、そこまで分かるとは…。


「ご挨拶が遅くなり、申し訳ございません。リンドン伯爵家が次男、レイヤードと申します。

この度は、エドワード様に代わり、エメリン様の護衛騎士として随行させていただきました」

「そうでしたか。それは…。

レイヤード卿はアカデミーの成績も優秀だと聞いていますし、騎士としての腕前も相当なものだとも」

「身に余りあるお言葉です」

「エメリンも…――。いや、エマもあなたが一緒にいて安心してることでしょう」


ヴィクトールは、初めてエマを愛称で呼んだ。

エマは突然の愛称呼びに、胸が高鳴るのを感じた。

エマはヴィクトールに突然エマはヴィクトールの名を呼ぶのですら、照れてしまうのに、ヴィクトールは眉一つ動かさなかった。

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