第26話 特訓(ヴィクトール視点)
第26話 特訓(ヴィクトール視点)
「エマ、波動を感じるか」
「はい」
「これが私の力の波動だ」
ルシアンがエマの両手を握り、自分の魔力をエマに送る。
ヴィクトールは、先ほどから二人のやり取りを傍らで見ている。
――気に入らない。
ヴィクトールの顔には、はっきりとそう書かれていた。
ルシアンのブレスレットも、ルシアンとの魔法の訓練も、狭量だの何だの言われても、気に入らないものは気に入らなかった。
しかし、ルシアンが施すものは、エマを守るためのものだと分かっているので、なんとか自分を抑えて我慢している。
本当はあのブレスレットも、引きちぎってやりたかった。
エマの両手を握るあの手も、斬り落としてやりたい。
エマはあの後、自分自身の魔力を高めたいと言い出した。別にエマの魔力が少なくとも、ヴィクトールが守るのだから問題ないのだが、エマは存外頑固だ。今日から魔法の特訓をすることになった。エマは闇魔法の中和という特殊な活用方法には長けているのに、攻撃や防御といった基本的な活用方法は疎かった。特に攻撃魔法はほぼ使えない。
そのため、仕方がなく、ルシアンに教えを乞うこととなった。
表立ってできることではないので、アステリア近くの森へ行き、ヴィクトールが結界を張り特訓をしている。
ルシアンもエマも同じ闇属性であるため、魔法の使い方を教えるのに向いている。
ヴィクトールはエマとは属性も違う。
私が闇属性でないことをこんなに恨めしく思う日が来るとは……。
ルシアンの教えをエマは素直に聞いている。ルシアンもエマの真剣な思いが伝わっているのか、不埒なことはせず、指導に専念しているようだ。
しかし、仕方のないことではあるが、エマの身体に触れるのが許せなかった。
エマに触れるのは自分だけでいい。
あの小さな手も、華奢な身体も、愛らしい唇も……。
すべてヴィクトールのものだと主張したい思いに駆られたが、ぐっと堪えた。
ルシアンに何か言っているエマの唇の動きを目で追いながら、昨日の口づけを反芻していた。ヴィクトールを信頼するようにまぶたを閉じた姿も、ヴィクトールの口づけに慣れないのか、唇を離したときの、あのぼんやりとした姿も、どれもこれもが煽情的にヴィクトールの気持ちを掻き乱した。
図書室で口づけをしたときは、抗えなかった。腕の中で意識を失うエマを抱き締め、自分のものになったような歪んだ思いに満たされた。意識を失うエマを抱えて、喜びを感じるなんて我ながら異常だと思ったが、もうどうしようもなかった。
「ヴィクトール様、そんなに監視しているとエマも集中できませんよ」
レイヤードが、ルシアンとの特訓を見ていたヴィクトールの横に来て忠告をしてきた。
「監視ではない。見守っている」
「その顔で?」
「どんな顔で見守ろうと私の自由だ」
エマを見ると、確かにヴィクトールの視線を気にするようにチラリとこちらを見ていた。
「本当に愛らしいな」
「……見ないでいることができないんですか?」
「不可能だ」
レイヤードは最近ヴィクトールの言動に挑戦的な目を向けることはなくなったが、呆れたような様子を見せる。
「何か文句でもあるのか? “弟”君は」
「いえ、“姉”が幸せなら結構です」
レイヤードはエマの様子を静かに見つめた。
「あまり見ると、私も刺されかねないので離れて控えております」
レイヤードはヴィクトールに礼をすると、エマの護衛騎士なはずなのに、エマから一定の距離を置いて待機した。
エマとルシアンの訓練はそろそろ2時間が経つ。エマの体力を考えるとそろそろ限界か。
声をかけようとしたところで、エマが小走りにヴィクトールに駆け寄った。
「ヴィクトール様、この森で薬草を摘んで行っても宜しいですか?」
「薬草?」
「はい。一応闇魔法対策のものを作っておきたいと思って」
「作るって、どこで作るんだ?」
さすがに王宮の研究所は、理由も言わずは使えないだろう。
「タウンハウスにお祖父様が使っていた道具が少し…」
リュクノール家のタウンハウスか。確かにそれならありそうだが。
エマはヴィクトールに許しを乞いに来たが、答えを聞く前に決めていたようだ。
「エマ、薬草を摘むのは構わないが結界の範囲も限られる。私から離れないように」
エマはパァッと明るい顔で笑った。
「はい、ヴィクトール様」
やっぱり、可愛い。ヴィクトールはエマの唇を貪りたくなる衝動を抑え、紳士の笑みを浮かべた。
◇◇◇
訓練を始めて四日後、レイヤードを伴ってリュクノール家のタウンハウスを訪ねた。
「久しぶりだね。エマ」
「元気にしていた?」
「はい。変わりなく」
「ケイティからは、王宮で会った話は聞いていたが、こっちには訪ねて来ないから忙しいのかと思っていたよ」
「ええ。ちょっと色々ありまして」
「ノクス卿も一緒にお越しくださって、光栄に存じます」
「急に訪問してしまい、申し訳ございません」
「いつでも構いませんから」
リュクノール侯爵夫婦は、エマにもヴィクトールにも穏和な態度を崩さなかったが、どこか余所余所しさも感じていた。
久しぶりに会った娘への態度とは思えなかった。自分の母であれば、エマを玄関で抱き締めただろう。でも、リュクノール侯爵夫妻とエマの距離は常に一定に保たれていた。近付かず離れず。その距離感がヴィクトールには不思議だった。エマの幼馴染みであるレイヤードを伴っているというのに、彼のことをよく知らないのか、ただの護衛騎士と思っているような対応だ。
エマにはあまり関心がなかったということか。
エマの自信のなさがどこから来るのかと不思議に思っていたが、こういったところにもあるのかもしれない。
エマは両親に儀礼的な挨拶をして、2階へ上がった。
祖父の部屋というと、トレラー侯爵の部屋ということか。
扉を開くと、ちょっとした研究室かと思うほどの設備が整っていた。
「さすがだな」
「お祖父様がタウンハウスにいらっしゃるのは少ないのですけど、たまに王宮に招かれることもありますから」
トレラー侯爵ならば、王宮から秘密裏に依頼があってもおかしくない。
エマは勝手知ったるという様子で器具に触れ、摘んできた薬草を取り出した。
「あ、少し時間がかかりますので、申し訳ないのですが、ヴィクトール様は」
「自由に過ごさせてもらうよ」
「はい。そうなさってください。下でお茶を飲んでいただいても……。ヴィクトール様?」
エマの背にピタリとくっ付くようにヴィクトールが椅子を近付けて腰をかけた。
「自由になさっていて良いと……」
「だから自由にさせてもらっている」
ヴィクトールはエマの髪をくるくると自分の指に巻き付け、香りを嗅いだ。
エマの髪から漂う甘い香りが堪らなくヴィクトールを刺激する。
「ヴィクトール様、そんなに近付かれると……集中できません」
真っ赤になったエマは、少し潤んだ瞳でヴィクトールに抗議した。
--その瞳は逆効果だと分かっているのか。
ヴィクトールがエマの髪を弄んだため、エマのうなじが丸見えになる。白いうなじが、今は赤く色付いている。露になっているうなじに口付けをしたい衝動に駆られたが、ぐっと自分を抑えた。
うなじに口付けてしまったら、更に自分の行動がエスカレートしそうだ。そうなると、自分を抑えるのが難しくなるのが分かっていた。
「ヴィクトール様、困ります」
エマは自分の背にくっ付くように座っているヴィクトールに再度訴えた。エマが本当に困るようなことをしないようにヴィクトールとて自制している。
「困ってないじゃないか」
「困っています」
「闇魔法の防御は、精神力を鍛えることも大切だ。こんなことで集中が乱れるようではその装備があったってたかが知れているよ」
ヴィクトールはエマの腕にはまるブレスレットを、忌々しく思いながら触れた。
「意地悪しないでください」
「意地悪なんかしてない。私が意地悪だと言うなら、エマだって意地悪だろう。ルシアンと特訓したり、薬草摘みに夢中になったり……すっかり私のことを忘れているのかと思ったよ」
「それは……」
「傍にいることも許してくれないのか?」
ヴィクトールがエマに懇願すると、エマは観念したようにため息をつくと、そのまま薬作りを始めた。エマは薬を作り始めると、先程までの訴えは何だったのかと思う集中力で作業を行った。私が全く目に入らないのは悲しいが、それがエマらしいし、普段見慣れないエマの姿を見るのが嬉しい。
1時間ほど経った後、エマはふうと一息をついた。植物のエキスを抽出したのか、試験管には黄色の液体があった。
「できたのか?」
ヴィクトールの存在を思い出したのか、エマが急に慌てる。
「あっ…はい。飲み薬が。魔力を施したものを使いましたので、これで多少は精神干渉への抵抗値を上げられるかと」
「そうか。それは良かった」
ヴィクトールが微笑むと、エマは頬を赤くして俯いた。
そんな態度を取られると……。
ヴィクトールは白いうなじに指を這わせた。
「ひゃっ……」
くすぐったかったのか、エマが驚いて顔を上げた。
驚いた顔が、また堪らなく愛らしい。
「まだ、作りたいものがあるんだろう?」
ヴィクトールの問いに、エマは分かりやすく反応した。
「良いんですか?」
「構わないが、申し訳なく思うなら……」
ヴィクトールは不敵に笑った。
「エマから口付けをしてくれたら大人しく待っていられるかもしれない」
エマはヴィクトールの言葉に、真っ赤になった。
「嫌か……?」
エマは赤くなる頬を抑えた。
「嫌では……ありませんが」
エマは立ち上がると、潤んだ瞳でヴィクトールを見つめた。その瞳はヴィクトールに抗議しているように見えた。
ちょっと意地悪が過ぎたか。
そう思った瞬間、エマがそっとヴィクトールの頭に口付けた。
「これで、許してください」
エマはプイッとヴィクトールから視線を外すと再び薬作りに没頭した。
ヴィクトールは思いがけない口付けに、心の底から満たされる思いを感じていた。




