第22話 疑惑の神殿
第22話 疑惑の神殿
「レイヤード、少し君の気苦労が分かった気がする」
王都への移動のときからか、レイヤードはヴィクトールに以前のような険のある視線を向けることはなくなっていた。
「弟」君は、ついにヴィクトールのことを認めざるを得なくなったようだ。いまはこうして話すことも増えた。
エマは“善は急げ”とばかりに聖光教会大聖堂へと向かう。昨日大礼拝へ行くと話したときに、レイヤードは「またか」という顔はしたが、エマを止めることはなかった。
エマにあんな瞳で頼まれて、拒否することが出来る者は中々いまい。
「考えてみれば、ノクス領に着いたときもすぐに診療所に来たな。あれも驚いた」
「こうなったときは止めても無駄ですから」
「お姫様は存外頑固だと思い知ったよ」
お茶会のときのレイヤードの言葉を思い出していた。
エマは、やれやれと言わんばかりの二人の視線には全く気付いていない。こうも自分のことに疎いのも考えものだ。
そういうところもエマの可愛らしいところだが、少し無鉄砲なところはなんとかしたいものだ。危なっかしくて気が気ではない。
まあ、何かあってもこうやってヴィクトールを伴ってくれればいいが……。あとでしっかり言い聞かせておかないと、とエマの後ろ姿に決意した。
大聖堂へ向かう途中、王宮の裏庭を通りすがった。足早に向かったのは、余計な人間に目撃されるのを警戒したからだ。
それなのに……。
ヴィクトールは、裏庭の生垣に立つルシアン一行と出会った。
「やあ、エマ!」
聞きたくない声が、エマを親しげに呼び止めた。私たちのことを付けているのか。やたらと「偶然」出会う。
「おはよう。爽やかな朝にどこへ急いでいるんだ?」
「ルシアン殿下、ご機嫌麗しゅう存じます」
エマは足を止めて、恭しく礼をした。
「堅苦しいのはいい。エマ、どこへ行くんだ?」
「え……。あ、ちょっと大聖堂へ。大礼拝があるようなので急いでおりまして」
「今日は大礼拝の日だったか。いいな、私も共に行こう」
「えっ!?」
「殿下とご一緒するなど、恐縮してしまいます」
ルシアンがそういうヴィクトールをちらりと一瞥する。
「ヴィクトール殿もいたのか」
分かっていただろうに……。
ルシアンの発言に、ヴィクトールはピクリと眉が動いた。
「ご挨拶もいたしませんで、失礼いたしました」
「よい。気にするな。聖光教会の神殿へ行くのは久しぶりだ。エマ、むさ苦しい男たちを引き連れているんだ、私が増えたところで変わらないだろう」
エマとは違うタイプだが、ルシアンも言い出したら聞かない。というか、そもそも人の話を聞いていない。ヴィクトールは、ルシアンの傍に常に遣える供にもまた同情してしまった。
エマは観念し、ルシアン一行を引き連れて大聖堂へと向かった。
◇◇◇
この大聖堂はルーク王国建国時に建立された。優に千年は超える建造物だ。
「さすがの歴史だな」
石畳の大聖堂を見上げてルシアンは言った。
「我が国では戦禍を免れた建物は数えるほどだ。領土は増えたが、民を思えば戦好きも考えものだ」
眩しい目で大聖堂を仰ぎ見る。
勝手が服を着ているようなこの男も、王族なのだな。
「ディベリア帝国の民が継承する職人技も、素晴らしいものですわ。私の髪飾りも褒めて下さったではありませんか」
エマはルシアンに小さく微笑んだ。
ルシアンはエマの髪飾りを愛おしそうに見た。
ヴィクトールは、エマの腰に添えていた手をぐいっと引き寄せた。
「あっ。……ヴィクトール様」
抱えるようにエマを抱くヴィクトールに、ルシアンが何か言いたげに冷徹な目を向ける。
「私は殿下と違って、狭量な男なもので」
ヴィクトールはルシアンに開き直るように言った。
「エマは私の狭量さも受け入れてくれていますから」
エマの頬に掠めるような口付けをした。
「ヴィ、ヴィクトール様。こんな人前で…」
ルシアンばかりか、礼拝に来ている貴族たちも驚きの顔で見ている。
「人前じゃなかったらいいの?」
顔を赤らめるエマの耳に囁くと、ますますエマは顔を真っ赤にした。ダメだと思いつつも、こういうエマの反応が可愛らしくてつい意地悪をしてしまう。
恥ずかしそうに黙り込むエマに、ルシアンはため息を漏らした。
「全くどこが氷の貴公子なのか。王宮勤めのときとずいぶん変わったな」
カイルの側近だった頃、ルシアンとは時折顔を合わせていた。
「殿下、エマを手離す気はさらさらありませんので、諦めてください」
ヴィクトールは強い目で、ルシアンを射抜いた。遠巻きに見ている貴族たちに仔細は聞こえていないが、二人の間の不穏な空気は感じとっていた。
「エマが君から逃げようとしても、地の果てまで追ってきそうだな」
「もちろん。地の果てでも、地獄の果てでも。エマを取り返すまで、追いかけますよ」
不敵に笑うヴィクトールに、ルシアンは飄々とした様子で受け止めた。
自分の頭上で起こる不敬ともいえる宣戦布告に、エマは身を小さくしながら聞いていた。
「しつこい男は嫌われるぞ」
「エマはそういう私のことも受け入れてくれていますから」
エマの髪に見せつけるように口付けながら言うと、ルシアンはこれ以上ないというほど不快な顔をした。
「エマ、どうか慎重な選択を。この、狭量でしつこい男が君に付き纏って離れないようなら、私はディベリア軍をあげて君を守ろう」
「もう、先程のお話はなんでしたの。お二人とも馬鹿なことはおっしゃらないでください」
本気で火花を散らす二人の、壮大な争いにエマは我慢できず声を上げた。
――可愛い。
ヴィクトールは思わず口元が緩む。
まずい。また、ふざけていると勘違いされてしまう。ルシアンを見ると、同じ思いでエマを見ているようだった。
ヴィクトールは神殿の入口を見つめた。
ルシアンの突然の合流にペースが乱れたが、この中にエマを襲った犯人がいるとすると気が抜けない。崇高な雰囲気を纏う神殿に、底知れぬ禍々しさを感じたのは初めてだった。
「ベルディア帝国皇太子殿下殿、おっしゃっていただければお迎えに上がりましたものの」
「今日は突然思い立っただけだ。あまり気にしないでくれ」
「これはノクス辺境伯令息に、聖女様のお姉様までお越しでしたか」
3人の存在に気が付いた大司教が、恭しく神殿まで案内した。
ヴィクトールは前方の席を案内する大司教に「我々は奥の席で構わない」と言った。
「しかし」
「ルシアン殿下を案内してくれ」
「私も君たちと同じで構わない」
飽くまでエマから離れないようだ。もう何を言っても付いてくるようなので、放っておくしかない。はぁとため息をつき、全員で後ろの方へ向かった。
礼拝に向けて準備をする司教を見ると、カイルが言っていた司教のうちの一人が前方にいた。
護憲派の司教だったか。本命の一人だな。
エマも気付いたのか、やや大柄の司教を真剣に見ている。
分かったかとチラッとエマを見たが、エマは眉根を寄せた。イマイチ、ピンと来ていないようだ。では、もう一人の護憲派の司教か、それとも革新派のものか…。
閉めた扉近くに一人、革新派といわれた司教が立ち、二階の司教席にもう一人の護憲派の司教が座っていた。辺りを見回していると大司教が中央に現れた。ルシアンに気付かれないよう、エマの耳元にそっと囁いた。確認する時間はあまりないか。エマはそれぞれにチラッと視線を向けていたが、確信は持てずにいるようだった。そうこうしているうちに、大司教は皆に向かって大仰に一礼をした。
「世界は瘴気に満ちています。この瘴気に満ちた世界の中で、王都アステリアが、魔物の侵入もなく生活することができているのは、皆さまの女神様への信仰の御心、今代の聖女ケイティ様の浄化の力が大きく影響を受けております。神話にもあります通り、私たち人間は闇に取り込まれやすい弱い存在です。闇は私たちのすぐ傍にある。祈りましょう。世界が、私たちが、闇に取り込まれないために。祈りましょう。光の力で世界を救うために」
大司教の説教が終わると、白いローブを身に纏ったケイティが現れた。礼拝の中央に鎮座する女神の前に立つと、いつもよりも荘厳な雰囲気を感じる。祈りの歌を捧げ、聖女と供に女神に祈りを捧げる。王国の貴族の当たり前の儀式だったが、エマを思うと複雑な心境になった。
エマは、闇の力を使い方次第だとヴィクトールに教えてくれた。ヴィクトールはエマに出会い、その考えに賛同している。闇と光は反目するものではない。教義には反するが、今は自然とそう思えている。
私にとっての聖女は、エマだ。
そうエマを見つめた瞬間、ヴィクトールは強い魔力の検出を感じた。これは、エマが王庭で襲われたときに感じた感覚と同じだ。つまり、エマの髪飾りの魔石が力を発揮したということだ。攻撃魔法ではないということは…。
――防御魔法が、使われた?
疑惑の司教にそっと視線を動かす。派手な魔力の出現がないということは、精神系の魔法が使われたとしか考えられない。精神系の魔法は狙われた当事者ですら、分からないことも多い。今回は魔石が使われたため、ヴィクトールは気付いたが…。当の本人のエマですら、気付いていないだろう。大礼拝中に、エマを害する目的の精神系の魔法が使われた。しかも、相当な能力者によるものだ。
一体、誰が……?
三人の司教は、特に何の変化もないようだった。魔法を使った本人は、防御魔法で防がれたことに気付いているはずだ。が、特に三人の様子に異変はない。ほかの人物なのか。周囲の教会関係者を確認していると、エマの隣に立つルシアンが、ヴィクトールを見て意味ありげに目を眇めた。
何だ? まさか、ルシアンが何か関係しているのか……?
礼拝堂は大きな拍手に包まれた。ヴィクトールは、そのときに初めて大礼拝が終了したことに気が付いた。




