第17話 皇太子の思惑(ヴィクトール視点)
第17話 皇太子の思惑(ヴィクトール視点)
「余裕のない男というのは、困ったものだとは思わないかい。エマ」
ルシアンはお茶を飲みながら、エマを見た。エマは困ったように首を傾げた。
もちろん、ルシアンの言う男は、ヴィクトールのことだ。
エマに「行くな」と言ってしまったが、隣国の皇太子の誘いを断れる令嬢などいない。
どうすべきかを考えた結果、ヴィクトールが共に行くことで決着がついた。
マナー違反であるが、そもそも人の婚約者をお茶に誘う方がマナー違反なのだから、仕方がない。
「部屋中を花で埋め尽くすのも、迷惑な行為だと思いますが」
ヴィクトールも以前エマに次々花を贈っていたが、もちろんそれは棚に上げる。
「溢れんばかりの愛の表現だよ。女性の扱いに慣れていない君には分からないだろうが」
ルシアンはヴィクトールの言葉を余裕でいなす。
他国からの注目度も高いルーク王国の「氷の貴公子」を女性に慣れていないと一蹴するのはさすがと言うか…。
エマはというと、この男たちの諍いに挟まれ身を小さくしている。
「エマ、こちらの菓子は我が国では有名なものなんだ。君に食べてもらいたくて、急ぎ手配したんだよ」
ルーク王国には見慣れない、丸いカラフルな菓子だ。
エマはルシアンに促されるまま、その菓子を一口口にする。
ほうっとエマの顔が蕩けた。ルシアンは満足気に、そのエマの表情を見た。
その後、ヴィクトールの方に得意気な視線を送るのも忘れない。
本当に腹立たしい男だ。皇太子でなければ、こんな男の茶会になど付き合わなくていいのに。
「ほどけるようなくちどけですね」
「そうだろう。エマが喜んでくれて嬉しいよ」
そもそも、昨日会ったばかりで勝手にエマと呼ぶ厚かましさも、ヴィクトールは許せなかった。
ヴィクトール自身もレイヤードに嫉妬してエマを急に愛称で呼び始めたのだが、これも棚に上げていた。
内心を隠すのは得意だったはずなのに、エマのこととなると冷静にいられなかった。
あいつがエマの手に口づけたときは、いま思い返しても怒りで血が逆流しそうなほどだった。
気が狂いそうになる怒りを抑えつけ、あの場面で殴り掛からなかった自分を褒めてやりたい。
しかし、ここ最近ルシアンの手のひらの上で転がされるように、感情露わにしている。
それはよくない。先ほどにいたっては、エマを怯えさせてしまった。
本当に自分の未熟さが恥ずかしい。
「さて、邪魔が入って残念なんだけど。
エマ、今日私が君を誘ったのは話があったからだ。――…大切な、ね」
エマはルシアンの微笑みに不敵なものを感じていた。
「エマ、私の昨日の言葉に嘘はない。君が良ければ、私は君の婚約者に立候補したいと考えているんだ」
ヴィクトールは、暴れたくなる思いをぐっと抑え、エマの返事を待っていた。
エマはルシアンの話を冷静に聞きながら「それは、なぜでしょう?」と尋ねた。
「なぜ? 一目ぼれだと言えば信じてもらえるだろうか?」
エマはルシアンを静かに見つめていた。ルシアンはそんなエマの様子にクスッと笑った。
「聡明なご令嬢なようだ。ますます私の好みだ」
「お戯れを」
「戯れではないよ。私は本心から君がほしいんだ」
ルシアンは射抜くように、エマを見つめた。
ヴィクトールの存在なんて、はじめから眼中にないようだ。崩れないエマを見て、ルシアンは小さくため息をついた。
「ノクスの聖女の話を聞いたんだ」
――やはり、そうだったか。
「ご存じの通り、ベルディアには聖女が十年誕生していない。
ルーク王国に、聖女が二人いるのであれば、喉から手が出るほどほしい」
「私は聖女ではありません」
「でも、君は騎士を回復させた」
「それは…――。騎士様の自助能力を高めただけに過ぎません。
聖なる力ではなく、薬の効能です。瘴気の脅威にお困りということであれば、薬の輸入はいかがでしょう。
使用方法については、私がお伺いしてご説明することも可能です」
エマは両国の関係を考え、建設的な解決策を提案する。
カイルの交渉のときも思ったが、本当にエマは冷静に物事に対応する。
並の令嬢とはとても思えない交渉術だ。
「私の正妃になるのは、嫌だということか?」
「器ではありません。私は社交が苦手ですから…」
エマは控え目に皇太子に言った。
「そんなことで私が納得すると思うかい?」
「ご納得いただかなくては困ります」
エマは一国の皇太子にひるむことなく、自分の意見を述べていた。
「エマ、君は誤解しているようだが、君を妻にしたいと思っているのは私の個人的な希望なんだ。
君は否定したけど、本当に君という人間に惹かれているんだよ」
ルシアンはエマの髪に触れようとしたが、エマがそれを制した。
「婚約者のいる身ですので…」
いつもは気弱な様子であるにも関わらず、エマはこういうときは肝が据わって見える。
ヴィクトールは、改めてエマの魅力に引き付けられていた。
ルシアンの言動に一喜一憂していた自分がいかに愚かしかったか。エマの落ち着きに恥じ入るばかりだ。
「エマ、ヴィクトール殿は確かに素晴らしい婚約者だろう。
でも、よく考えてほしい。君たちの婚約は、国王に命じられたものだろう?」
ルシアンは自信に満ちた瞳でエマを見つめた。
頑なに態度を崩さなかったエマに、少しの揺らぎが見えた。
「貴族にはよくあるものだが、いわゆるただの政略だ。
言っては悪いが、カイル殿下がケイティと結婚するために、君を早く厄介払いしてしまいたかっただけだ」
――厄介払い…。
ケイティの名前を出すのも、エマをあえて傷つけようとしているとしか思えない。
黙って見ていられなくなった。
「ルシアン様」と止めに入ろうとすると、エマがヴィクトールを制止した。
「ヴィクトール様、お話は最後まで伺いたいわ」
エマは冷静な姿勢を崩していなかった。
「お相手のヴィクトール殿は、カイル殿下の知己。
身分としても申し分ない。そして、カイル殿下としては、自分の“ライバル”になる男も厄介払いできる。
二重にちょうど良い縁談だったのでは?」
ルシアンは静かにエマに微笑んだ。エマは表情を崩さなかった。
「これだけ聡明な女性だ。ヴィクトール殿の思いにも気づいていたのでしょう?」
エマはルシアンの問いを否定しなかった。
ヴィクトールは、自分が過去に感じていた淡い恋心を思い出した。
カイルとヴィクトール、ケイティは幼馴染だった。
ヴィクトールの周りには高位貴族の令息を狙う姦しい令嬢が多くいた。
そんな中で、純粋なケイティとのやり取りには癒されていた。
でも、ただそれだけだ。
エマと出会い、エマを知るうちに、自分がケイティに感じていたものは恋や愛と言ったものとは程遠いことにも気が付いた。
ケイティを思って、こんなにも心が乱れたことなどない。
間違いなく、エマを思っている。
しかし、エマは何故かヴィクトールの方を一度も見なかった。
「エマ…――」
ヴィクトールの呼びかけは、ルシアンの声にかき消された。
「エマ、私は、本当に君を好ましく思っている。
この国で忌避されているその銀髪も、美しい紫の瞳も、控え目なその態度も、聡明なその頭脳も。
君はケイティと比較されて育っただろう。ヴィクトール殿と婚姻を結べば、そこから自由になることはない。君はベルディアに来た方が自由になれる。
そう考えると、同じ政略なら、私との政略結婚の方が、メリットがあるとは思わないか?」
エマは何の反応もしなかった。
「返事は急がない。ただ、私の思いは本気だということは、君たちに知ってもらいたかったんだ」
ルシアンは、呆然とするヴィクトールを一瞥した。
「――それでも、エマが選ぶのは私です」と忌々し気に反論し、エマの手を握った。
「それはどうかな?」
ルシアンは、ヴィクトールと対照的に感情を表に出さないエマを見て微笑んだ。
ヴィクトールはエマの手を取り、ルシアンの部屋を後にした。
ケイティの件は引っかかっていた。エマは一体今までどんな思いで私といたのか。
どんなに甘く囁いても「揶揄い」と受け流されていたのはこのためだったのか。
エマの態度は自信の無さからとばかり思っていたが、私の思いを誤解していたのか…?
ヴィクトールは、エマと話したいと思っていた。
何かを静かに考え込んでいるエマに「ちょっと話をしないか」と声をかけたが、エマは黙って首を振った。
エマはさっきからいくら声をかけても、こちらを見ようともしない。
ルシアンの言葉を真に受けているのか。
エマの心の中に他の男が住み着くのが許せなかった。
エマは私だけを見ていればいい。
エマの瞳に自分の姿を映したかった。
こちらを向いてほしくて、エマの手に強引に引くと、その手はエマに払われてしまった。
私の手は、行き所を失い宙をさまよった。
エマが、私の手を払った?
エマの瞳には、余裕のない、情けない男が映っていた。
慌ててエマは私に謝っていたが、私はしばらくエマに拒絶されたことを受け入れられなかった。
エマが扉を閉めてから、膝がガクッと折れた。
これが、エマの本音なわけがない。
ヴィクトールは折れそうになる心を、なんとか奮い立たせた。
ルシアンになど、いや、誰にも、エマを渡すわけがない。
ヴィクトールのアイスブルーの瞳は、激しく熱を持っていた。




