第15話 嫉妬
第15話 嫉妬
「なんなんだ、あいつは」
部屋に入った途端、抑えられないとばかりに、ヴィクトールは声を荒げた。
こんなヴィクトール、エマは見たことがない。
婚約者を前にして婚約者が求婚されるなど、ヴィクトールにとっては赤っ恥も良いところだ。
怒るのも無理はない。
ベルディア帝国皇太子、ルシアン・ベルディアの突然の求婚後、茶会はお開きになった。
先ほどカイルと話した貴賓室には四人だけ。
茶会のときからエマの手はずっとヴィクトールに握られたままだ。
ヴィクトールはソファに座るや早々に、自分のチーフでエマの手の甲を拭いた。
ヴィクトールがしつこく拭いているのは、ルシアンが口づけたところだ。
とりあえず今日は冗談なのか、本気なのか、どっちつかずの態度で去ってくれたが、これからあの調子で構われたら身が持たない。
祖父の「目立つな」「慎重な行動を」という警告が改めて身に染みる。
「もしかしたら、ルシアン殿下もあの噂を耳にしているのかもしれないな」
ヴィクトールとは対照的に、カイルは落ち着いた声音でそう言った。
「あの噂?」
事態を知らないケイティだけが、きょとんとしていた。
私が掻い摘んで状況を話すと、ケイティは驚いた後、嬉しそうに微笑んだ。
「お姉さまは本当に素晴らしいのね」
複雑そうな表情でケイティは微笑んだ。
「おじい様と薬の研究をしていることは、お父様とお母さまから伺っていましたけど、まさかそんなに素晴らしい結果を出されているなんて」
ケイティの瞳に一瞬、暗い影が宿り、「私は家族のことは本当に何も知らないのね…。ずっと、家族と離されて暮らしていたから」と、小さく呟いた。
悔恨滲むその声は、エマには届いていなかった。
エマはケイティの表情に何か引っかかるものを感じたが、カイルがケイティの手を取る姿を見て、その疑問は霧散した。
ケイティとエマは姉妹と言えど、ほとんど交流がない。
領内でのエマの生活など、ケイティが知るはずもない。
エマの話をケイティは、全て信じているようだった。
ケイティのその様子にエマはカイルの言葉を思い出していた。
聖女と言うのは、本当に純粋なのね。
「エマが来ていると分かっていて……わざと」
「ルシアン殿下ならそのくらいはやりかねん」
ルシアンはベルディア帝国の第二皇太子だ。
ルーク王国には留学の傍ら、結婚相手を探しに来たという話もある。ベルディア帝国はノクス領に隣接している。
外国と言えども噂は入りやすい。
ベルディア帝国が興味を示すなど…――。
私の力は、それだけの利用価値がある、ということなのか。
私の力を利用しようとするものもいる、という警告を思い出していた。
祖父が子どもの頃から、この力のことを知られないようにしてくれていたことを、今更ながら感謝する。
エマの瞳に不安が宿るのをヴィクトールは見逃さなかった。
「エマ、心配しなくて大丈夫だ」
ヴィクトールは、人目を憚らずエマの手の甲に口づけをした。
偶然なのか、ヴィクトールの口づけは、ルシアンが先刻同じことをした場所だった。
「ええ。ヴィクトール様、大丈夫よ。そんなに心配はしていないわ」
先ほどからイラ立っているヴィクトールを落ち着かせるように、エマは微笑んだ。
「ベルディア帝国の皇太子が、いつまでも私相手にお戯れをなさるなんて考えにくいもの」
そうだ。ベルディアの皇太子からの本気の求婚など、私の身に訪れるなど考えにくい。
どうしてもケイティの姿がチラつく。
聖女に似た能力に期待されていると言っても、私は聖女とは大きく違う。
そんなに執着されるとは思えなかった。
エマのその見立てとは反対に、部屋の空気は重くなった。
「エメリン嬢、失礼だが、その見立てはあまりに楽観的だと言える」
ケイティの顔も少し曇っている。
「その…。お姉さまを怖がらせるつもりはないのですが。
ルシアン様は、かなり切れる方ですし、少し、変わった方でもあって…」
一筋縄ではいかない人物ということだ。ケイティにまでそう認識されるとは、相当な変わり者に違いない。
「ルシアンが、あのようにエマと接触を図ったのは相当計算されてのことだと考えていい。
もちろん、君のことも知っていただろうし、君が私の婚約者だということも、全て分かったうえで、ああ言う牽制をしてきたんだ。そこまでやっているんだ。エマを、何が何でも手に入れようとしてくるだろう」
エマはヴィクトールの婚約者ではあったが、悪い言い方をすれば、たかが婚約者でもある。
いつでも解消できる。
ヴィクトールとルシアン、エマの身分を考えれば、ルシアンが本気でエマを求めれば、かなり断りにくい状況になるだろう。
外交問題に発展することも考えられる。
「私としても、いまエメリン嬢を国外に出すことは得策とは思えない」
カイルはヴィクトールを見た。
「…――それに、君をルシアン殿下に奪われでもして、ノクス辺境領の怒りも買いたくはない」
エマの頭には、ノクス辺境伯夫妻の顔が浮かんでいた。
私たち二人の婚姻をお二人は楽しみになってくれている。とてもよくしていただいたわ。
それに…――。ヴィクトールをチラリと見る。
ヴィクトールも、私を婚約者として大切にしてくれている。
このまま、私たちの婚約が進むのが正しい…――はずだ。
ほんの少し、エマはもやもやを感じていた。
しかし、どうしたものか…と頭をひねっていると、
ケイティが名案とばかりに「もう、すぐにでもご結婚なされてはどうです?」と言った。
「婚約期間でしたら、ルシアン様もお姉さまに積極的にアプローチなさるかもしれませんが、
さすがにご結婚なさっていては、公にアプローチすることは憚られるのではありません?」
「まあ、確かにそうだが…――」
貴族の結婚というのは、そう簡単なものでもない。
カイルはケイティの呑気な提案に何を言えばいいか言葉を選んでいたが、ヴィクトールは目の色が変わった。
「――…そうだな。結婚してしまえばいいんだ」
ヴィクトールが名案だなと言わんばかりに呟くと、エマに向き合った。
「エマ。明日、結婚指輪を買いに行こう」と口走った。
慎重で冷静なヴィクトールとは思えない、早計さだ。
「え…ヴィクトール様、明日、ですの?」
「早いに越したことはない。
うちの両親は一日でも早く君に来てもらいたいと思っているわけだし、君のご両親へのご挨拶も済ませている。
あとは、君のおじい様とおばあ様、弟君に直接ご挨拶をと考えていたが、背に腹は変えられない」
この二カ月弱、ノクス領でせっせと進めていた「結婚準備」を全否定するようなことをヴィクトールは真顔で言い始める。
そんな、駆け落ちのような結婚、私たちの立場で認められるものか。
ましてや、ヴィクトールとエマは、飽くまでも政略的結婚であるのに。
ヴィクトールに何と言って良いか戸惑っていると、カイルは少し放っておいてやってくれと言わんばかりに見た。
どうやら、ヴィクトールは冷静な判断を欠いているようだ。
それだけ、ルシアンに矜持を傷つけられたということか。
「エメリン嬢、嫉妬に狂った男って言うのは、愚かなものなんだ。悪いね」と、カイルが言った。
嫉妬に、狂った。
カイルにはそんな風に見えているのか。
エマは、カイルの言葉を他人事のように聞いていた。




