一章
幸福な人生とは二元的である。川の様にゆらゆらと流れるものでも、海の様にのびのびと我々を受け止めてくれるものでもない。一度飛び出してしまえば、終点にたどり着くまで大きな虚である。この世のすべての事象には仮定があり、途中がある。そしてそれは落とし穴である。道半ばで推進力が死んだ者のなんとも庇護しがたいような嘆きの畜音場なのである。
土曜日、憂鬱な気分で夜を迎える。淀んだ空気が蔓延しているこの部屋には、散らかった小説の類、洗っていないアルバイト先の制服、それから惨めな男が一人。ぺらい布団でのたうち回るのは、今日という一日をまた無駄に溶かして過ごしたからではない。今更そんなことで乱れてしまっているようなら、過去のことを思い出すたびに絶命しなくてはならなくなる。飲み欠けのまま置いていたコーヒーを一気に喉奥に流し込む。先ほどまで照っていた西日のせいか、やけに生ぬるい。僕は綿埃のかかったくすんだ毛布をはねのけ、この熱のこもった空気を開け放とうと窓に手をかけた。
希望を持たないものは皆、強い死臭を放っている。それは周りの人間を巻き込み、腐食し、覆い隠してしまう。この男が持つ’’それ’’も例外ではない。家賃4万2000円のぼろいアパート。どの部屋からもやはり、淀んだ空気が換気のたびに解き放たれる。少なくとも僕からはそう見える。その空気は重みをもち、そして蜘蛛の巣のような粘性をもち、我々の芯にあたる部分を酷く絡めて捕まえてしまう。あっという間に張り巡らされるそれに、この街は捕られている。錆びたシャッターが寂しく立ち並ぶ商店街。壊れかけのブランコ。轢かれた猫の死骸。煤けた僕の部屋。
この町に来た6年前は、まだすべてが煌びやかに見えていた。この街も俺を歓迎しているように思っていた。そうだ、すべてがうまくゆくと思ってたんだ。きっと俺には才能があって、それでいて素敵な歌を歌えて。みんなついてくるんだ。なんてったって才能があるから。才能があればお金もあるから。そうだ、すべてうまくいくと思ってたんだ。けれど、やはり今では、そんな妄想すらも死臭に包み込まれている。どろどろとした、強い死臭に。しつこい蜘蛛の巣に。醜い形をした後悔という残穢に。




