第8話 魔王の娘と説教する件
灯りの付いた一軒家。
アルハとムニは椅子に座り、床に正座しているナムルを見下ろしていた。
ナムルの炎は、ナムルが燃やそうと考えねば燃え移ることもない。
よって、ナムルが触れる床が、ハムルの炎によって焦げ付くこともなかった。
ムニが膝を曲げて、椅子の脚に踵をぶつける。
ガンッという物音にナムルはビクリと体を震わせ、恐る恐るムニの顔を見た。
ムニは、親の仇でも見るような不機嫌顔でナムルを見ていた。
額には青筋が立ち、組まれた腕は怒りでふるふると震えている。
「おい、貴様。よくも、妾の新居を」
「申し訳御座いませんでしたあっ! まさか、ムニ様が入居されるとは考えもせず!」
ムニの一文字一文字には明確な怒気――否、殺意が込められていた。
ムニとナムルの間には、絶望的な力の差がある。
ナムルは、一文字でも言葉を間違えると殺されてしまうだろう恐怖の元、誠心誠意平伏した。
相手は魔王の娘。
逆らうことなど許されない。
「ムニ、ぼくにも言わせてくれ」
「おお。好きなだけ言ってやれ」
そしてこの場において、ナムルに怒りを向けるのはムニだけではない。
アルハもまた、怒り心頭だ。
否、実際の損失が大きいのはお金を払うアルハの方なので、ムニ以上の怒りが渦巻いていた。
ナムルからすれば、人間であるアルハの怒りなど聞く価値などない。
黙れ人間、の一言で一蹴できる。
しかし、ムニがアルハの方を持っている以上、アルハの言葉はムニの言葉。
平伏を続けるしかなかった。
「この家は、ぼくたちの新居になる予定だったんだ」
「はい」
「しかも、まだお金を払ってないから、傷なんてつけちゃ弁償しなきゃならないんだ」
「はい」
「それをこんな! 壁に穴まで開けて! どう責任取ってくれるんだ!」
涙を流しながら、アルハは叫んだ。
穴を指差し、その被害の大きさをナムルに強調するように。
「あ、壁に穴をあけたのはワタクシではなく、ムニ様です」
が、ムニよりも恐くないという感情で口が軽くなったナムルは、顔をあげて空気を読まずに答えた。
シンと、部屋に沈黙が流れる。
ムニがナムルを殴りつけた時、気を失っていたアルハである。
穴をあけたのが誰なのか、知らないのも当然だ。
アルハの首が捻られ、視線がナムルからムニへと移る。
ムニはとっくにアルハから視線を逸らしており、空気混じりの口笛を鳴らしていた。
アルハは椅子から下りてムニの前に立つと、ムニの口を片手で掴んで、無理やり正面を向かせる。
アルハに掴まれながら、アルハとムニの目が強制的に合う。
「……どういうこと?」
「……ピー……ピュー」
「口笛でごまかさなくていいから」
アルハの表情は、ムニと出会ってから今まで見せたことのないような笑顔だ。
しかし瞳の奥に笑いなどなく、代わりにナムルに向けていた怒気が込められていた。
しばしの間、ごまかそうとしていたムニだが、アルハからの威圧感に耐えきれずに口を開いた。
「ふ、不幸な事故だったんじゃ!」
「へえ」
「ナムルのやつがアルハに止めを刺そうとしておったから、止めるため殴り飛ばしたら、たまたま壁が! そう、お主を心配した結果なんじゃ!」
「ムニ様、家の心配をしていたような」
「やかましい! その口粉々にするぞ!」
ナムルの軽口をい、ムニが睨みつける。
ムニの視線に、ナムルは再び平伏した。
ムニは怒りの表情でナムルを見た後、焦った表情でアルハに視線を戻した。
顔にはだらだらと汗が流れており、口に溜まっていく唾液をごくんと飲み込んだ。
アルハはそんなムニをしばらく見つめ続け、溜息をついて手を離した。
「もういいよ」
「ほえ?」
「ここで怒っても、どうしようもないからね」
アルハは椅子に座り直し、次は深いため息をついた。
そして、平伏し続けているナムルに視線を落とす。
「君も、頭上げていいよ」
「……ワタクシはお前に頭を下げているのではなく、ムニ様に」
「アルハが良いと言っておる。頭をあげよ、ナムル」
「はっ!」
ムニの指示に、ナムルが即座に頭をあげる。
ムニは、ナムルがアルハの要望通り動いたことを確認し、アルハの表情を確認する。
アルハは少し困った表情を浮かべながら、ナムルを見ていた。
「君も、ムニがぼくに攫われたと思ったから、助けようとしただけだもんね」
「そうだが」
「じゃあ、仕方ないよ」
「…………」
先程までのピリピリとした空気は、とっくにどこかへ行っていた。
残されたのは、アルハによって許されたという安堵感だけだ。
ナムルも、自身がムニの手にかけられていない一因がアルハのおかげだとは認識し、アルハに向けていた警戒心を解いて少しだけしおらしくなっていた。
「アルハ、すまぬ。妾がもっと早く止めておれば」
「ムニのせいでもないよ。不幸が重なった、ただの事故だ」
同じくしおらしくなったムニに対しても、アルハは許しの手を差し伸べた。
「何か飲もうか。……ナムル、だっけ? 君、何か飲める」
「ワタクシは見ての通り炎の塊なので、液体は遠慮しておこう」
「そう」
アルハは気分を落ち着かせるために、持って来たばかりのカップを二つをテーブルに置く。
「ムニ、水って出せる?」
「お、おう」
「できれば、温かいやつ」
「任せろ」
アルハが差し出したカップに、ムニはお湯を注いでいく。
水の魔法と炎の魔法を同時に使用する能力。
ムニはお湯を満タンに注いだカップをアルハの前へと押しだした。
アルハはカップを受け取り、口に運んだ。
アルハの真似をして、ムニも口に運ぶ。
ズズズとお湯を啜る音が響き、二つのカップが同時にテーブルへ置かれた。
「ふう」
「ほー。味を付けずとも、飲めるもんじゃな」
「もしかして、初めて飲んだ?」
「魔族は、薬草や血え……味付けして飲むことが多いな」
「今、恐ろしいこと口にしてなかった?」
アルハはお湯をもう一口啜ると、口から白い湯気を吐いた。
温かいものは、心を落ち着かせる作用がある。
ムニとナムルに見守られながら、アルハはカップ一杯分のお湯を飲み干した。
「もう一杯、いるか?」
「もう大丈夫だよ。ありがとう」
気持ちを落ち着けたアルハは、一度焦げ付いた家のことを横へ置く余裕ができた。
そして改めて、ナムルと向き合った。
「名前」
「んん?」
「お互い、自己紹介もしてなかったね。まずは、事情を話そうか。お互いに、ね」
アルハにとって、ナムルは新居となる家を傷つけた相手。
同時に、ムニを守ろうとしていた相手。
ナムルにとって、アルハはムニを攫っている相手。
同時に、ムニを守ろうとしていた相手。
ムニという共通の繋がりから、対話を広げることを選択した。
「ワタクシは、ナムル。魔族だ。魔王様、つまりムニ様の御父上より、人間の世界を監視するために派遣されている」
「監視?」
「人間と魔族は敵対関係にある。ワタクシのようなスパイが紛れ込んでいたとしても、おかしくはないだろう?」
「まあ、そうか」
アルハがムニに視線を送ると、ムニは首を縦に振った。
「監視って、この家を拠点に?」
「左様」
「何を監視してたの?」
「それは言えない。ムニ様と多少関わりがあろうが、貴様は人間だからな」
ナムルの言葉に、アルハは沈黙した。
自分が逆の立場であれば、そうするからだ。
戦争において、敵に情報を明け渡すほど愚かなことはない。
アルハからの質問が一瞬止まったので、今度はナムルが口を開く。
「次はこちらからの質問だ。何故、貴様がムニ様といる? 返答によっては」
「くじを引いたら当たったんだよ」
「……すまぬ、ワタクシの耳がおかしくなったのか? もう一度言ってくれ」
「くじを引いたら当たったんだよ」
「……人間。貴様、ワタクシをおちょくっているのか?」
ナムルの全身の炎が、僅かに大きくなる。
体内の紫色が濃くなり、目の奥がギラリと輝く。
「アルハの言っていることは正しいぞ。アルハがくじを引いて、妾を当てた」
が、ムニの捕捉で、体を元の大きさに戻した。
ぽかんとした表情でムニを見て、冗談ですよねと目で訴える。
「本当じゃ」
魔族の頂点である魔王。
その娘がくじの景品になっているなど、にわかには信じられない事実。
しかし、ナムルは魔族の一人として、ムニの言葉を疑うという選択肢はない。
「そうでしたか」
理由も尋ねることなく、ムニの言葉を信用した。
そして、改めてアルハがムニを攫ったわけではなく、理由は不明だか一定の関係性を結んでいることを理解し、アルハに頭を下げた。
「この度は、突然の攻撃失礼した。ワタクシの方に誤解があったようだ」
「いや、こちらこそ」
アルハもつられて、頭を下げる。
そんな二人の姿を見ながら、ムニは満足したように頷き見守っていた。




