第37話 魔王の娘に交渉された件
ガープが去った後、ムニはようやく頭をあげた。
その顔には冷や汗一つかいておらず、いつも通り飄々としている。
頭を下げていたことに、敬意など何もないことが見て取れる。
「ムニ、ありがと」
ムニの顔を見たアルハは、ムニが自分を叩いて意識を取り戻してくれたことを思い出し、礼を述べる。
「礼を言われるようなことではない。」
「ううん。ムニが叩いてくれなかったら……危なかった」
勇者は、決して人間に危害を加える存在ではない。
むしろ、守る側の存在である。
それでもなお、アルハが危なかったという言葉を用いたのは、ガープの殺気が如何に恐ろしいものだったのかを物語っている。
ムニはふんっと鼻を鳴らした後、ガープたちが出て言った扉を見る。
「それにしても。勇者、相変わらずの夜郎自大じゃな」
「ムニ、勇者様を知っているの?」
ムニの発した言葉に、アルハは驚いたように聞いた。
なにしろ、勇者は魔族の大敵。
魔族の頂点に近いムニと会って、戦闘にならないはずなどないと考えていたからだ、
「うむ。遠くから見ていただけじゃがな」
「遠く?」
「勇者のやつは、妾たちの住む城に、最も近づいた人間じゃ。その際、城への侵入を阻む魔族と戦い、妾はそれを城から観戦しておった」
魔族の住む城という言葉に、アルハは息を飲む。
魔族の拠点がどこにあるのか。
それは、未だ人類が突き止められていない情報である。
魔族の拠点がわかれば、人間と魔族の戦争は終結するとさえ言われている最終ピース。
そして、まるでパンドラの箱でも開くように、口が疑問への解答を求めた。
が、動きはムニの方が速かった。
ムニはアルハの方を見て、申し訳なさそうな表情を作り、頭を下げた。
「……ムニ?」
「アルハ。妾は、お主に義父になれと言ったとき、危害を加えぬと言った。それを、撤回させて欲しい」
ムニの言葉に、アルハの心臓が強く跳ねる。
危害を加えることの撤回、それはつまりムニが、アルハか人類全体へ危害を加えることを示していた。
ムニの実力を何度か見たアルハからすれば、それは確定的な大量殺戮が起きる惨事である。
だが一方で、ムニから殺意など漏れていなかった。
ガープの出した、恨みによる威圧感とは違う。
母性とでも呼ぶべき、優しくも強大な威圧感がそこにはあった。
故に、アルハは、ただ問うことができた。
「……どうして?」
「勇者のやつが、明日ダンジョンへ向かうと言ったじゃろ」
「うん」
「勇者は、アスワドより強い。このままでは、アスワドが勇者に殺されてしまう」
魔族が殺されることは、人間にとって良いことだ。
敵の戦力が一つ、消えるのだから。
だが、アルハの胸がチクリと痛んだ。
アルハはその痛みの意味も分からず、不思議そうに自分の胸に触れた。
「勇者様が魔族と会ったなら……そうなるだろうね」
「妾はアスワドを……我が配下を守りたい。守るために、妾は勇者を倒す」
ムニはそこで言葉を止め、じっとアルハを見た。
アルハの想いを、アルハからの返答を伺うように。
アルハはムニの視線を真っすぐ受け止めて、何度も瞬きを繰り返した。
(仲間を守るため……か。でも、相手は魔族……)
アルハの心の中で、葛藤が繰り広げられる。
魔族であるアスワドが殺されるという、人類にとっての善行。
代わりに、ムニがアルハの元から離れていくだろう。
魔族であるアスワドが生きるという、人類にとっての悪行。
代わりに、ムニとの信頼感が増すだろう。
まともな人間であれば、選択肢はアスワドの死、一択。
しかし、反射的にムニの想いを無下にするには、アルハはムニと接しすぎていた。
「……アスワドを、今晩中に逃がせばいいんじゃない? ほら。勇者様は、明日ダンジョンに入るって言ってたし」
「それはできん。アスワドは、封印の完成まで数日かかると言った。逃がす選択などない。アスワドの仕事が終わる数日間、勇者を動けぬ体にするより他はない」
思いついた平和な代替案を出しては見たが、すぐに否定された。
アルハとムニは、なおも視線をぶつけ合い続ける。
「……わかった。ぼくも、人間の仲間が傷つくのは、嫌だからね」
ようやく決断したアルハの言葉に、ムニは意外そうに目を丸くした。
「ほ、本当にいいのか?」
「何が?」
「妾は、勇者を痛めつけると言っておるのだぞ?」
「聞いたよ」
「お主たち人間の希望を、踏みにじると言っておるのだぞ?」
「止めたって、どうせ行くんでしょ?」
アルハの表情は、複雑そうな内心を隠しきれていなかった。
何を大切にすべきかの葛藤にさいなまれ、それでもなお、近くに立っているムニを尊重した形だ。
少なくとも、ムニがアルハと一緒に行動するようになってから、ムニが軽々と人間に危害を加えていないのを見ていたからだ。
「アルハ! すまぬ、恩に着るぞ!」
ムニはアルハに抱き着いて、アルハは勢いに押されてベッドの上にひっくり返った。
「……おい! 妾が重いみたいじゃないか!?」
「一応言っておくけど、人間よりも重いよ。同じくらいの体格の人間だったら、もうちょっと軽い」
「ちっ。人間は、筋肉が少ないからのう」
ムニは仰向けに倒れるアルハの上に座って、アルハに笑顔を向けた。
「そうと決まれば、さっそくアスワドと連絡をとらねば。封印の場所を聞き、そこに辿り着くより前で、勇者を迎え撃つ!」
両手で拳を作り、気合いを入れるムニ。
そんなムニを見ながら、アルハは思い出したように、ムニへと尋ねた。
「ところで、勇者様を倒すって簡単に言ってるけど、本当にできるの? 勇者様は、人類最強だよ? 聞いた話じゃあ、戦闘値が五千に近いって話だし」
戦闘値。
冒険者ギルドが独自開発した魔法であり、文字通り対象の戦闘力を数値によってあらわすものだ。
冒険者の平均的な戦闘値が五百と呼ばれ、A級冒険者となれば八百から千と言われている。
勇者の五千とは、完全な規格外だ。
アルハからの忠告を受けたムニは、ふふんと笑った。
「戦闘値。人間の作った、つまらんシステムじゃな」
「つまらんって……」
「個の強さなど、数値化できるものではない。そんなものに頼って強い弱いを決めているから、人間は弱いのじゃ」
「むう」
「まあ、そうじゃな。あえて、そのつまらん土俵に乗ったとするならば」
ムニはベッドの上で立ち上がって、床へと飛び降りた。
「妾の戦闘値は、五万を超える。勇者が人間の十人力であるなら、妾は勇者の十人力じゃ」
ムニの表情には、まるで子供とどう遊んでやろうかという、茶目っ気だけが残っていた。




