第36話 魔王の娘と勇者に遭遇した件
勇者。
人類最強にのみ与えられる称号。
今、アルハの目の前にやってきたのは、魔王を倒す希望を託された存在その人である。
アルハは急いで布団の上に正座をし、ガープに向かって頭を下げる。
アルハにとっては意外なことに、ムニも頭を下げた。
(魔族のムニが人間の勇者様に? いや、そんなことよりも、なんで勇者様が部屋に?)
ぐるぐると思考を巡らすアルハに、ガープの快活な声がかけられる。
「頭をあげてくれ! 君は、意識を飛ばして、ずっと寝ていたそうじゃないか! そんな病人に頭を下げさせるほど、私は鬼畜外道ではないよ!」
「では、失礼します」
アルハが頭をあげると、ガープは満足げに笑った。
そして、ムニにも同様の声をかける。
「君もだ! 私は小さな女の子にまで、礼を強制するつもりはない!」
しかしアルハと違い、ムニは頭をあげなかった。
代わりに、いつもとは違う落ち着いた声で返答をする。
「いえ。勇者……様の前で頭を上げるなど、とてもできません」
「私が良いと言っている!」
「それでもです」
「ふうむ。礼を尽くそうとするのは良いことだが、幼いことから礼に縛られると窮屈な生になるぞ! まあ良い! 今回来たのは、別の件だ!」
勇者が不要だと言っているにもかかわらず頭を下げ続けたムニの行動は、礼儀正しいを飛び越えて、逆に無礼とも映る行為だった。
だが、ガープはそんなムニに怒りを感じるでもなく、子供ならばそう言う選択もするかとあっさり受け入れた。
そして、挨拶という最初の儀礼が終わったところで、ガープはベッドに座り直したアルハの前へ移動した。
一歩一歩。
ガープが踏み出すごとに、アルハの背中が緊張で一瞬震える。
魔王の娘を匿っていることがバレたらどうなるかという恐怖、ではない。
一切敵意のない純粋なガープの雰囲気そのものが、アルハの本能を震え上がらせていた。
例え、自身に危害を加えることはないとわかっていても。
ムニと出会った時と同じ。
戦えば、敗北以外の未来を感じることができない、圧倒的な強者。
「アルハ君」
「は、はい!」
アルハの前に立ったガープは、自身の左胸に手を当てて、その場で深々とお辞儀をした。
アルハは、ガープの行動の意味が分からず、ぽかんと口を開けた。
しかし、すぐに勇者という英雄が自分に頭を下げていると気づき、ガープを止める。
「勇者様!? 何を! 頭を上げてください!」
「君は、弟を救ってくれた。本当に感謝している」
「……弟?」
「カファのことだ」
「……ええ!?」
ガープとカファが兄弟であることは、世間では知られていない。
否、勇者の弟という肩書がつくことを嫌ったカファが、意図的に情報を流させなかった。
二人の血縁関係を知っているのは、ガープのパーティメンバー、カファのパーティーメンバー、ガープやカファと親交のある一部の冒険者、そして冒険者ギルドの上層部のみである。
ガープは頭をあげて、アルハの手をがっちりと握った。
「痛っ!」
想像以上の力強さに、アルハは小さく声を上げる。
しかし、ガープはお構いなしだ。
「君は、カファの命の恩人だ! 是非お礼がしたい! 今、何か困っていることはないのかい? 欲しいものは? なんでも言ってくれ! 私にできることなら、なんでも叶えよう!」
「じゃあ、まず手を離してください! 痛い痛い!」
「おっと、熱くなりすぎてしまったな! すまないすまない! 仲間からも、いつもお前はやりすぎだと注意されるんだ!」
ガープは悪びれる様子もなく、むしろ笑いながら手を離す。
アルハはガープに握られた手をさすりながら、ガープの方を見る。
「命の恩人とは言いますが、ぼくは何もしてませんよ」
「何を言う! カファを魔族から救い、ダンジョンから運び出してくれたと聞いている!」
「魔族が、止めをささずにどこかへ行っただけです。魔族が止めを刺しに動いていれば、助けられずに全滅していました」
暗い声で事実を告げるアルハを、ガープは不思議そうな表情で見た。
そして、拳を握って、アルハの頭を軽く小突いた。
「痛っ」
「それでもだ! 君がカファを助けてくれた事実は変わらない! 魔族が止めを刺さなかったのは、運なのかもしれない! しかし、窮地において運が味方することも立派な実力だ! 胸を張れ! 自信を持て! 君は間違いなく、カファを助けた恩人なのだ!」
あまりにも元気で前向きな言葉。
アルハは頭をさすりながら、ガープの目を見た。
ガープの黒い瞳は濁りなく澄んでいて、先の発言が心の底から出たものだろうと容易に想像できた。
「……はい」
想定外の励ましに、アルハは思わず目頭が熱くなった。
長い間ずっと、C級でくすぶっていたアルハだ。
その成長の遅さに些かのコンプレックスを持ち続けていたのは事実であり、自身の実力というものに自信を持てなくなっていたのは確かだ。
しかし、余りにも前向きなガープの言葉は、そんなコンプレックスを一笑に付した。
人類最強に評価されるということは、アルハにとってそれほど嬉しく、大きいものだった。
ガープはアルハの反応に満足したのか、うんうんと頷いた。
そして、眉をあげて、真剣な表情に変わった。
部屋の空気が変わった。
「ところで、魔族はどんな奴だった? まだ、ダンジョン内にいると思うかい?」
それは、明確な殺意だった。
アルハに向けて、ではない。
今この場所より、はるか遠く。
カファを傷つけた魔族に向けたものである。
「ひっ!?」
アルハから、思わず声が漏れ出る。
冷や汗が流れ始める。
呼吸が苦しくなっていく。
それほどに重い重い重圧が、ガープを中心に広がった。
「弟を傷つけたんだ。私がけじめをつけねば、兄として示しがつかん」
ガープの力強い視線が、アルハへと刺さる。
ガープからの質問に答えようとアルハの口は動くものの、一向に喉の奥から言葉が出てくることはなかった。
口の中が渇ききって、脳が本能で行動することを拒絶していた。
ダンジョン内で出会った魔族に対して感じた圧倒的な強者の威圧感が――否、魔族を超える強者の威圧感が、アルハからあらゆる選択肢を奪いつくした。
荒い呼吸を始めたアルハに、ガープは不思議そうな目を向ける。
「どうした?」
ガープは自身の威圧感を浴びたことがない。
故に、加減がわからない。
アルハの脈が、激しく速く打つ。
生存本能が悲鳴を上げる。
「アルハ」
意識が戻ってこれたのは、背中を叩いたムニの掌によるものだ。
背中に受けた小さな衝撃がアルハの自我を呼び戻し、ガープの殺意が自分に対してではないとようやく自覚した。
口から言葉をひねり出せる程度には、体の自由を取り戻した。
「いる……と思います」
「そうか!」
アルハの言葉に、ガープは満足げに答えた。
ガープにとっての正解をひねり出せたことに、アルハは安堵で息を吐きだす。
部屋の扉が再び開かれたのは、それと同時だ。
「勇者様! 凄いオーラを感じたんですけど!?」
勇者パーティの魔法使い、ハミュウが入ってきた。
ハミュウは青い顔をして座るアルハを見て、部屋の中で何が起こったかを瞬時に把握した。
ガープが無遠慮に自分の感情を振りまいて、力のない人々を怯えさせることなど、魔王討伐の旅の中で何度もあった光景なのだ。
「おお、ハミュウ! 私たちもダンジョンに入るぞ! 我が弟を痛めつけた魔族に、お返しをしてやらねば気がすまん!」
「はい? ちょっと、何を言って」
「皆にも声をかけておけ! 明朝、ここを発つ! ダンジョン内に潜む魔族をを討つ!」
ハミュウは、何が起こったかを理解できていたが、アルハに声をかける余裕などなかった。
次はハミュウが、ガープの言動に振り回される番になってしまったからだ。
「この村には、一晩休むために立ち寄っただけよね?」
「ああ!」
「次の依頼のことは、覚えているわよね?」
「無論だ!」
「ここで足止めを食うと、次の依頼先に迷惑がかかることはわかってるわよね?」
ハミュウは、ガープの行動を思いとどまらせようと、いくつもダンジョンに入るべきでない理由を投げかけた。
しかしガープは、真面目か不真面目かわからない顔で何度もうなずき、最後にはニカッと笑った。
「足止めなどくらわん! さっさと倒して、さっさと次へ向かえばいいだけだ!」
「はああああああ……」
ガープの短絡的な未来予測に、ハミュウは頭を抱えた。
本来であれば、「馬鹿か」と一蹴するところだ。
しかし、未来予想の主がはほかでもない勇者。
馬鹿かと思う未来予測を、ことごとく実行してきた強者である。
勇者ができると言えばできる、というのが勇者パーティの共通認識であり、故にハミュウの挙げたできない理由が勇者の言葉だけで打ち砕かれた。
「わかったわよ。明日だけね? 明日、一日だけ」
「おお! なんなら、昼までに終わらせても構わない!」
「こういうのは、ゆとりを持っておくのよ。」
アルハは、二人のやり取りをただ見ていた。
口を挟むこともできなかった。
魔族が出たというのに、昼までに終わらせようと言うことができるのは、魔族を短時間で倒せる自信の表れに他ならないからだ。
即ち、次元が違うのである。
ガープは、弟の敵討ちができるとわかって上機嫌になり、軽い足取りで部屋を出ていく。
廊下に出た後、ふと思い出したように足を止め、アルハの方に振り返った。
「そうだ、アルハ君! 弟を助けてくれたお礼と言っては何だが、私が魔族を倒して得られる評価は、全てアルハ君のものにしてくれて構わない! 私はもう、これ以上昇給できないしね!」
「勇者様……。また勝手なこと言って……」
「では、さらばだ!」
そして、言いたいことを言って、部屋を出ていった。
「ごめんなさいね。怪我してるときに、騒がしいのが来て」
「あ、いえ。全然大丈夫です」
ハミュウもアルハに頭を下げたのち、そそくさと部屋を出ていった。
嵐でも巻き起こっていたように騒がしかった部屋は、途端に静かになった。




