第34話 魔王の娘と離れてダンジョンに入る件5
(死ぬ……! 殺される……!)
指一本動かない体で、アルハは近づいてくる魔族を見ていた。
姿形は人間に近いが、魔力を見ることができるようになったアルハには、まったく別の生物に見えた。
全身から発火を続けている人間を同じ人間と見れぬように、人間にあるまじき禍々しい魔力を放ち続けている魔族を、アルハは同じ存在として見ることができなかった。
人間に匹敵する知性を持ち、人間を超越した力を持つ存在。
同じ言葉を使っている以上、会話は成立するはずだが、どんな言葉も届く気がしなかった。
「何故、切断面から姫の魔力が感じられる?」
(姫……? 誰のことだ……?)
アルハの口から、声が出てくることはない。
そんな体力は残っていない。
魔族は、アルハが答えないことに苛立ちを覚えることもなく、アルハの頭を踏みつぶせる位置で立ち止まった。
「姫とは、どういう関係だ?」
魔族の声が、アルハへと突き刺さる。
「凍れ!」
立ち止まった魔族を、強力な冷気が襲う。
周囲に氷の膜を作りながら、魔族の体を凍らせていく。
カファの進んだ方向から異常な魔力の流れを検知したクーラが駆け付け、魔族に向かって魔法を放ったのだ。
B級冒険者であるクーラの魔法は、一撃でB級の魔物を内蔵レベルまで凍てつかせるほどの威力を誇る。
だが、相手が悪い。
「冷たいな」
魔族には、肌に霜が降りる程度の効力しか発揮をしなかった。
魔族は目から魔力を放ち、クーラの頭部を撃ち抜いた。
意識を刈り取られたクーラが、その場に倒れる。
さらに、クーラを撃ち抜いた魔力は風呂敷のように広がり、クーラの後方で待機していた冒険者たちを包み込み、全員の意識を刈り取った。
A級でなければ戦いにさえならないのが、魔族という存在だ。
魔族が再びアルハに視線を落としたとき、アルハは死を覚悟した。
走馬灯が走り、最近の出来事が鮮明に思い起こされる。
(ムニ、大丈夫かな)
最期の瞬間に考えたことは、実にアルハらしいことだった。
「そこまでじゃ、アスワド」
が、アルハに最期が訪れることはなかった。
アルハの背中で一点が輝き、魔力が吹き出した。
魔力は液体のように形を持ち、液体はムニの体を模った。
「姫様!」
透けた体で現れたムニを見た瞬間、魔族――アスワドは、膝をついてムニへ首を垂れた。
その様は、アルハを見下していた存在とは思えない程、ムニへの尊敬と信頼が溢れていた。
「魔力を落とせ、アスワド。アルハの体がもたぬ」
「はっ!」
ムニが言葉を発すや否や。この場を覆っていたアスワドの魔力が薄まった。
アルハが容易に呼吸できる程度には。
「げほっ。ごほっ」
アルハは、急激な魔力の濃度の変化に咳き込んで、咳き込みによって失った空気を取り戻すように、大きく息を吸いこんだ。
ムニはアルハの方へと振り向き、アルハが無事であることを確認する。
そして、アスワドへと向き直り、命令を下す。
「アスワド。この人間は、妾が人間界で過ごすための仮初の親じゃ。殺すことは許さぬ」
「はっ! ムニ様の所有物とは知らず、失礼致しました!」
アスワドは膝をついたまま、ムニに向かってさらに深く頭を下げた。
さらに、アルハの方へ体を向け、ムニにした時と同じように、深く頭を下げた。
「分かればよい」
「はっ!」
アルハは、横たわったまま二人のやり取りを聞いていた。
立ち上がって見るには、余りにも疲労が溜まっており、アルハの瞼が容赦なくアルハの視界を妨げたためだ。
アルハの一切の介入がないまま、ムニとアスワドの会話は進んでいく。
「アスワド。妾たちは、最近このダンジョンに生息する魔物が近隣の村に被害を及ぼすため、魔物を殲滅するために派遣された。この出来事は、お主の仕業か?」
「いえ。私は、何もしておりません」
「では、何故魔物たちが近隣の村を襲った?」
「はっ! ここに横たわるミラー・ドラゴンたちの仕業にございます。ドラゴンたちがなんらかの理由でこのダンジョンに住み着き、ダンジョン内の食糧が急激に減りました。そのため、元々このダンジョンに生息していた魔物たちが、ダンジョンの外へと食料を求めた結果と思われます」
「その過程で、村が襲われたと?」
「おっしゃる通りでございます」
ムニは、アルハの仕留めたミラー・ドラゴンの死体を見た。
ドラゴンは、傲慢な種族だ。
自分たちこそが最強で、最上の種族だと信じて疑わない。
故に、アスワドの説明は、ムニを納得させるに足るものだった。
「なるほどのう」
ムニは、ミラー・ドラゴンの死体に近づいて、左胸から最も価値のある部位――鏡の心臓を引っこ抜いた。
そして、ミラー・ドラゴンの体に触れ、その体を粒子レベルに分解した。
ムニは、ミラー・ドラゴンの心臓を掌の中で転がした後、アルハの近くへと置いて、再びアスワドへと視線を戻した。
「アスワド、先にも申した通り、このダンジョンには今、人間たちの手が伸びておる。無用な戦いを行わぬよう、早々に立ち去れい」
「ご忠告、感謝いたします。しかしムニ様。現在、私がこのダンジョンを去るわけにはいきません」
「何故じゃ?」
アスワドは、アルハへと視線を送った。
その意識が残っているか、今からムニへ話す言葉がアルハに聞き取られてしまうか、確認するために。
「問題ない。話せ、アスワド」
アスワドの行動の意図を理解したムニは、即座にアスワドへと言い放った。
「はっ! 例の封印の件です。完成するまで、もう数日かかります。それが終わるまでは、例え姫様からの命令であっても、ダンジョンから離れる訳には行きません」
「……なるほど。であれば、やむを得ぬな」
アスワドの言葉にムニは頷いた。
アルハの中では理解もできない言葉であったが、ムニにとっては十分な理由たり得るものだった。
「ならば、それが終わり次第、早急にダンジョンを離れよ。なに、ダンジョンの掃討を任された冒険者の中に、お主を倒せるものはおらん。それに、お主が退けた二人の人間は、人間の中で強者。他の人間どもは軽々と手を出せぬ故、もう邪魔は入らんじゃろう」
「はっ! 承知いたしました。速やかに、封印を施します」
アスワドは立ち上がり、ムニへと一礼をした。
そして、アルハに目をくれることもなく、アルハとムニの元から立ち去って行った。
ムニはアスワドを見送った後、横たわるアルハを見た。
アルハの目は虚ろで、呼吸は荒い。
即死することはないが、このまま動けないところへ魔物がやってくれば、無抵抗に食い殺される程度の危機を迎えていた。
「アルハ。妾と取引しよう。妾が、お主を動けるようにしてやろう。その代わり、倒れている冒険者たちを外へと運び出して欲しい。魔族と遭遇した件は……そうじゃな。魔族はここにいる冒険者全員を倒した後、止めを刺すことなくダンジョンの奥へ消えていったと、そういうことにしてくれんか?」
今のアルハに、深く思考をする元気はない。
だが、ムニの言葉が命令の様で、懇願であることを理解できた。
アルハは動かない体を無理やり動かし、声を出せずに「わかった」と返事をした。
アルハの返事に、ムニは満足そうに微笑んで、アルハの頭へと触れた。
「完全には治さんぞ? あまりに怪我がなければ、不自然になってしまうからな」
アルハの全身をムニの魔力が包んでいく。
アルハの体にこびりついていた傷や疲労が、ゆっくり、ゆっくりと薄まっていった。




