第2話 魔王の娘から義父になれと言われた件
魔王。
それは、魔族の頂点に立つ存在の名。
そして魔族とは、人間と対立する種族の名である。
「魔族っ!?」
アルハはすぐに立ち上がり、ムニから距離をとった。
そして、助けを求めて辺りを見渡す。
しかし、ここは路地の中でもさらに奥。
兵士どころか、人っ子一人見当たらない。
「落ち着くのじゃ。何も、お主を取って食おうというわけではない」
ムニは敵意がないことを示すように両手を挙げて、アルハへと近づく。
ムニの深緑色の長髪は、地面についたまま、ずりずりとひこずられる。
ムニの深紅の瞳は、じっとアルハを捕らえて離さない。
「う、う、う、うわあああ!?」
魔族とは、並の人間では手も足も出ない存在だ。
遭遇したら即逃げろとは、子供の頃から教わる警告である。
並の人間であるアルハは、頭の中で鳴り響く警報に従い、恐怖に叫びながら逃げ出した。
「取って食おうというわけではない言っておろうが。止まらんか…………んん?」
アルハは走った。
死に物狂いで走った。
路地の分かれ道を左に曲がる。
さらに左へ。
続いて左へ。
もう一度左へ。
路地をぐるりと一周し、振りむいたムニの背中と再会する。
「う、うわあああ!? 先回りを!?」
「いや、お主が勝手に戻ってきたんじゃろうが」
「うわあああ!」
「あ、おい待て!」
アルハは走った。
死に物狂いで走った。
路地の分かれ道を右に曲がる。
さらに右へ。
続いて右へ。
もう一度右へ。
路地をぐるりと一周し、呆れ顔のムニの正面と再会する。
「また先回り!? もう駄目だっ!」
「大丈夫か、この人間?」
どれだけ逃げようとしても追いつかれる恐怖から、アルハはその場にへたり込んだ。
そして、近づいてくるムニの足音を、震えながら聞いていた。
ざしっ。
ざしっ。
ムニの足音は、アルハの前で止まる。
そして、アルハの頭に、コツンと軽い拳骨を落とした。
「痛っ……くない」
「ようやく落ち着いたか? 殺しはせんから、安心せよ」
へたり込むアルハと視線を合わせるように、ムニはしゃがみこんだ。
先程までムニから発せられていた威圧感は身を顰め、代わりにアルハを警戒させないような慎重な動きが見て取れた。
とはいえ、魔族が人間を殺す存在であることに変わりはない。
アルハは、確実に命を奪われる状況でなお生きている事実だけを頼りに、ムニとの対話を受けいれた。
「殺さないって言うなら、ぼくをどうするつもりですか?」
「最初に言うたであろう。お主には、妾の義父になってもらうと」
「ぼく、まだ十八なんですけど!?」
「人間と魔族では、寿命が違う。年齢など、些細な問題じゃ」
「義父になってもらうって、具体的にぼくに、何をさせようと?」
「安心せよ。多くは求めん。しばし、妾をお主の家に住まわせ、妾の生活を保証してくれれば何も言わん。当然、命を奪うこともない」
どうじゃ、とムニは小首を傾げる。
ムニの提案を聞いたアルハは、自分の脳を高速回転させて、この場の最善の返答を探った。
(ぼく一人では、この魔族をどうにかすることはできない。ここは、いったんいうことを聞いておくのがベスト!)
「わかりました」
「おお! 物わかりが良くて助かるぞ」
アルハの返答に、ムニは満足げな表情を浮かべて立ち上がる。
そして、アルハを起こすために手を差しだした。
アルハは、ムニの機嫌を損ねないように差し出された手を取り、ムニが手を引くのに身をゆだねた。
アルハの半分程度の身長しかないにも関わらず、握られたアルハの手に加わる力は、大の男の腕力を優に上回るものだった。
「痛っ」
「おお、すまぬ。脆弱な人間相手では、力加減が難しくてな」
ムニは、アルハを起こした後、手を離してアルハを開放する。
アルハは立ち上がると、そそくさとムニから距離をとる。
そして、現実逃避も兼ねて、放置していたフルーツの山をムニが入っていた袋の中へと放り込んでいく。
全てのフルーツを詰め終えると、アルハは袋を担ぎ、ムニの元へと戻ってきた。
「ぼくの家に住む、でしたよね。案内します」
アルハの言葉に、ムニはパッと表情を明るくする。
「おお、よろしく頼む。じゃがその前に、妾とお主は親子の関係。まずは、敬語をやめてくれぬか?」
「え……」
「人間の親は、子に敬語を使ったりせぬであろう? 妾も、子供らしい話し方を心がける故」
ムニからの要求に、アルハは一瞬言葉に詰まる。
自らの命を一瞬で断ち切ることの上位存在相手に、一言でも無礼な言葉を発すのを恐れたからだ。
だが、親子という関係を仮とは言え承諾したのもまた事実。
アルハはもごもごと口を動かした後、言葉を言い直す。
「じゃあ、行こう。……えっと」
「ムニじゃ」
「ムニ、行こう」
「うむ。承知したぞ、お父様」
アルハが先導し、表通りへ向かって歩く。
ムニはその後ろを、満足げについていく。
とはいえ、歩きながらも、アルハは次を思考していた。
(表に出たら、兵士に助けを求めよう。くじの日でたくさんいるだろうし、なんとか)
が、そんなアルハの思考など、ムニはお見通しだったらしい。
「おお、そうじゃ」
歩きながら未来の打算をしていたアルハの背後から、冷たい声がかけられる。
首に牙を突き立てられたような恐怖に、アルハは立ち止まり、固まった。
「妾たちは親子じゃからな。ないとは思うが、路地から出た後に妾を魔族だなんだと騒ぎ、助けを求めようとは思うなよ?」
心を読まれたかのような忠告に、アルハはごくりと息を飲む。
「そんなことをされると、妾は悲しい。お主に匿われていたのだと、泣き叫びたくなるほどにな」
ムニの言葉に、アルハの額が一瞬で汗ばんで、喉がからからに乾いた。
「あ、当たり前じゃないですかー。そんなことしませんよー。はははははー」
「そうかそうか、妾の杞憂じゃったか。ならば、良いのじゃ」
魔族と人間は敵対関係。
よって、魔族を匿ったり、魔族と共謀をすることは重罪だ。
(駄目だ。助けを求めたら、ぼくは罪人としてしょっ引かれる)
国家反逆罪として、極刑を言い渡されるなど充分起こり得る。
アルハがムニの狂言と主張すれば、聞き入れられる可能性もゼロではない。
しかし王国としては、魔族と繋がりがある可能性など万が一にも残したくないというのが本音だ。
例え、罪のない善良な民一人を犠牲にしたとしても。
ムニの宣言は、即ちアルハへの極刑宣告。
アルハはもはや逆らう気力もなくなり、ムニの言う通り案内した。
アルハは自宅に向かって歩く。
路地の分かれ道を左に曲がる。
さらに左へ、続いて左へ、もう一度左へ。
「……おい、元の場所に戻って来ておるぞ」
「え?」
「お主、もしや妾を自宅へ案内する気がないな?」
「ち、違います違います! ぼく、ちょっとだけ道に迷いやすくて!」
必死に否定するアルハを見ながら、ムニは逃げた後に路地を一周して戻ってきたアルハの姿を思い出していた。
「それでか。納得したわ」
「へ?」
「ならば、路地の外までは妾が先導してやる。表に出たら、さすがに道はわかるじゃろう?」
「も、もちろん!」
「良し」
アルハとムニの順序が入れ替わる。
ムニには土地勘などなかったが、人間よりも優れた聴力を使えば、人々の集まる表通りの方向を知るなど容易すぎた。
「こっちじゃな」
「はい!」
先導するアルハの後ろを、アルハは袋を抱えながら付いて歩いた。




