八
西宮は取調室でペンを構えると、耳を傾けながら山縣と天内の二人の話に集中するよう心掛けた。
「おい、知ってるか? 罰には種類があってな」
「民事罰に刑事罰、他にも行政罰ってのもあるが、インターネットによってな、新しく社会罰ってもんができたんだとよ。こいつがまた強烈な罰でよ」
言い終えると山縣は目薬を右目にさした。
机の椅子に、だらしなく座る山縣。ズボンポケットからポケットティッシュを取り出すとティッシュペーパーで目の周りを拭う。
「お前がやった事件な、お前の身内、家族、友人、ネットで見るだろうよ」
「刑務所を出た後も、お前が死んでからもだ」
「いつかは新しい人間関係だってできる。就職に、新しい友人、恋人、もしかしたら結婚して子供だってできるかも知れない」
「そんな時よ、お前のこと渋谷駅事件の犯人だと、いつまでもいつまでも汚名が残るんだ」
「それだけのこと、お前はやったんだ。反省しろっちゅーか苦しめや。がははっ」
山縣は笑うと、今度は左目に目薬をさした。
「で、動機ってなんだったんだ? 神たまの声が聞こえたってやつか?」
しばらくの間、天内は黙りこくっていた。
「なんとか言えや!」
バン! 痺れを切らした西宮は机を骨法の掌打で叩いた。
「惚れた風俗嬢に振られたショックで、いっぱいやったらぶっ飛んじゃいまして」
うつむく天内。
西宮の持つペンに力が入る、一瞬、自分の耳を疑った。
「せめてセックスだけは、快楽の頂点を極めたかったんです」
顔を赤らめて供述する天内。
「さっきから何言ってんだ、お前?」
完全に予想の斜め上をいく、角度のついた天内の供述に、西宮は思わず声をあげた。
山縣が左手で西宮を制してきた。
「なるほど。セックスを極めたかったのか」
感心したかのような声の山縣。
「そうか、セックスをね、大事なことじゃないか。それでセックスは極められたんか?」
「……はい、極めました」
その答えに薄寒い取調室が静まり返る。
「極めるってのはどういうことなんだ? 続けて」
「はい。煙を口からも鼻からも吸い込み、静脈注射に、尿道注射、それにチンチンにマブして」
西宮の持つペンは、ずっと固まったまま。供述調書を取りたいのだが西宮はどう書いてよいかわからない。とりあえず天内が話すままにメモした。
覚醒剤を口からも鼻からも吸って、静脈注射して、尿道注射して、性器にマブシて、セックス極めたかった、とだけ書く。
「それはすごいな。極めた先に何があった? 快楽の頂点には?」
山縣は無精髭をつまみながら、さらに問う。
「快楽の頂きには、神様がいました」
「そうか。神様がいたんだな」
「はい」
「で、神様は何と?」
「怒っていました。これ以上シャブやるなら、お前の脳をゴキブリの脳味噌と取り替えるよ、と」
「神様が言ったこと、本当にそれができることなんだと、神様の本気さが伝わってきて。オレ、恐くなって心で叫びました」
「わーーっ、て」
「取り替えてもらえば良かったじゃないか! 今より頭良うなる!」
我慢できずに西宮は口を挟んだ。
「その神様だけど、たぶんな、本物だぞ」
「他のシャブ中の供述でも、いつも決まって出てくるんだよ。限界の果てに神様がな」
山縣は笑わずに言った。真剣な顔をしている。
「あの、当番弁護士を呼んでもらえませんか」
天内は国選弁護人が決まるまでに無料で一度だけ使える制度を口にした。
「わかった、連絡しておく。だけどな、天内、弁護士ってのは取調室といういわば結界の中には入って来れないんだよ。ここで助言を受けたいなら神様の方がいいんじゃないのか?」
西宮は笑いながら言った。
手錠で拘束した天内をエースのセンターにして、警察官たちで取り囲むようにして渋谷警察署の外に出る。東京地方検察庁に向かうための護送車に乗るためだ。そこで報道カメラマンたちは待ち構えていた。
「天内、顔を上げて!」
下を向く天内に西宮は言った。
「え?」
天内が少し顔を上げると、一斉フラッシュの嵐に、様々なカメラのシャッター音が響いた。
「笑って!」
西宮は、天内に囁いた。
「ね! 笑って!」
げらげらと笑う天内。残忍に映ったであろうその笑顔は、印象を著しく悪くした。笑ってしまえば反省なしのサイコな凶悪犯に映るのだ。天内の笑顔はサイコパスとして報道された。
◇
西宮は数日して山縣を飲みに誘った。山縣のこれまでの神懸かった手腕に、疑いをもったからだ。若林が怪しいとした情報提供者の沙希のことも気になっていた。
ポン中は酒を基本的に飲まない、それぐらいは西宮も知っている。山縣が酒を飲むかどうか試してみたくなったのだ。
そういえば喫茶店で山縣が珈琲を頼んでるのを見たことがない。いつだってオレンジジュースだった。ポン中は珈琲を飲まないと言っていたのは山縣自身だ。
西宮が選んだのは学生で賑わう居酒屋の五休と言う名前の店。
店内に入ると学生たちのはしゃぐ声はことさら大きく、テーブル間隔もそれなりに広くとってあるため、小声でなら職務の会話も構わないと見てとった。
席につくと山縣のたのんだものは、ジャックダニエルのダブルロックにカマンベールチーズ。酒飲みとして申し分ないオーダーだ。西宮はハイボールに焼きそばを頼む。
「人は心を解放したくて飲むのかもな。なんちゅうか、そうしねーと心が窮屈なんだわ」
山縣が酒について語りだした。
「苦味、しゅわしゅわの炭酸、心が、美味い美味いと喜んでんのかもな」
「でもな、酒に酔うと言う効能がなかったら、味覚だけで言ったら、美味いとは感じないんじゃないのか?」
「ポン虫も変に甘ったるい煙吸ってみたり、注射針何度も刺してみたり、そんなもんが本来いいわけがない」
「それ自体を気持ちいいなんて思っちまうのも、それは酒を美味いと思うのと一緒で効能がそうさせてんだ」
「効能がなければ、気持ちいいなんて思わんよ」
山縣の効能第一の話は、西宮は何度も聞いてきてわかっている。
「山縣さん、質問ですがあの甘い匂いは、外国産のタバコにも近いものがあった気がするんですよね、銘柄は覚えてませんが。違っていたらどうするんですか?」
山縣は少し間を起き、考えあぐねるようでもしてから答えた。
「はずしたことねーからな。もしもはずすことあっても、そこはオメー、これだよ」
「ご協力感謝します!」
敬礼と山縣はやってみせた。
「それだけのこった。ははは」
どういうわけか山縣の笑顔は、笑っているのにアウトローのような醜い翳りが目の底にあるように感じる。
「シャブ中は、虫だ。カブトムシそっくりなんだ」
「カブトムシですか?」
「虫には習性があるだろ? カブトムシってのは、夜行性で樹液が好きで交尾ばかりしてる」
「シャブ中そっくりじゃねーか。夜行性で、シャブ好きで、交尾ばかりしてるなんてのはよ」
「カルタってネズミも、セックスマシーンで始まったら死ぬまでやるらしいぜ」
「初めそれ聞いた時はポン中かと思ったぜ」
山縣の話は長かった。
「ラブホテルのチェックアウトに、怖がって出れなくなり籠城する奴とか、ビデオボックスから怖くて、いつまでも出られないで籠城する奴なんてのもいたな」
「ビデオボックスの籠城は、何かこっちまで恥ずかしくなってきて逮捕は憐れだったぜ」
山縣はニヤリと笑った。
「凄いですね、山縣さん」
西宮の山縣への疑惑は解けだしていた。
「ちょっとトイレ行ってきます」
西宮は席を立ちトイレへと歩いた。便器に向かって小便をしながら、山縣を疑った自分が恥ずかしく思えてくる。
誰よりも頑張っているじゃないか! 二度と山縣を疑うまいとした。
西宮は席に戻った。
「しかし今回の電車はヒヤヒヤしましたね。電車の中に警察官を常駐させてもいいのではないかと思いましたよ」
「警察官専用の折り畳み座席を幾つか作るんです。そうすれば車輌の前にいなくても、真ん中や後ろに警察官が座っているかも知れないと思わせることで、抑止力になると思うんですよね」
「それって防犯効果高いですよ。痴漢とかも絶対、減ります」
「んあ、そうか?」
山縣は上の空で聞いているようだ。
「悪いけど用事思い出したから帰るわ」
山縣はそういうと伝票を握りしめて立ち上がった。その場は解散となる。
西宮がトイレに行ってる隙に、山縣はジャックダニエルのほとんどを、隣のテーブルの片付け物の中に棄てていた。西宮がそれに気付くことはなかった。




