七
死ぬかも知れない、天内は恐怖すると滝里に電話をかけた。
――もしもし。
滝里の声がする。
「今、本当にヤバい。冷や汗もすごい」
「夜襲を受けかねない状況なんだ」
天内は間近に迫っている危機を滝里へとすぐにも訴えた。
――やしゅう?
「そう。篝火を焚いて、夜襲が来ないか見張ってるんだ」
――は?
「お願いがある! 悪いけどオレは眠りたい! だけど二人が同時に寝たら夜襲を受ける!」
「だからこっちに来て見張ってほしいんだ!」
――お前、何のこといってんだ? オレはもう寝る!
「頼む! 頼むから信じてくれ!」
――夜襲ってなんだよ? 誰が来んだ?
「三国志だよ! わかるだろ!」
――三国志って何だよ? ふざけるのはやめろ!
「ふざけてねーよ!」
「頼む! 頼むから見張ってほしい!」
――さっきから見張るってどこをだよ?
「オレん家に決まってるだろ!」
――本当に襲撃があるんだな?
「見張り次第で警戒してこないかも」
――オレは寝るから、見張りならお前がしろよ。
「おい! わかんねー奴だな!」
「オレが先に寝てる間、少しの間でいい! 頼むから見張っていてほしいんだ!」
――お前、それテンパり。
「テンパりっ? そうかも知れねーとは思うけど、今度のはマジでヤバい! マジでヤバい気がするんだ」
「なあ、頼む! お願いだから家を見張ってくれ! 本当頼む!」
――それテンパりだよ! 盗聴はされてそうか?
「盗聴? お前、人の話聞いてんのか? オレがいつ盗聴されてるって言った! 夜襲だよ!」
――三国志ってなんだよ? 見張りが、ふぁー、眠いとか言って、アクビして眠りこけたら、ジャーン、ジャーンってドラの音がして、軍勢が攻めてくるあれか?
「クソ! やっと話が通じた」
――お前、だからそれテンパりだ! そんな軍勢あるわけねーから!
「ものの例えだよ! オレだってその軍勢が何なのかわからない!」
「頼む。頼むから」
――お前ん家に行けばいいのか?
「来てくれるのか! マンション一階のエントランスで交代で見張ろう!」
――エントランス? お前ん家の部屋に行ってやるだけならまだしも、そこのエントランスってイスもないようなとこだし、バカか! それにエントランスなんかオレが長居したら怪しいだけだろ。
「わかった! なら玄関の外にイスを置くからそこで!」
――は? 玄関外の?
「外だよ! これ以上、譲歩できない! 交代で見張って、異変があったら電話で起こしあおう」
――おい! テンパり! おやすみ。
滝里が言うと電話が切れた。
トゥルルル。トゥルルル。間髪いれずに天内は電話をかけなおした。
――何だ! いい加減にしてくれ!
機嫌がさらに悪くなった声をした滝里が電話に出る。
「テンパりテンパり言うなよな! 頼むってお願いしてるだろ!」
――もう勘弁してくれ! オレも眠いんだよ!
「昔からの仲だろ! 頼む!」
――お前、それ幻覚だから。
「全然、信じねーんだな!」
――アホか! 三国志の夜襲の何を信じろとでも。
シャーッ。シャーッ。
――ん? なんか音がすんな! 天内、何の音だ?
シャーッ。シャーッ。
「音? ああ、包丁研いでる」
――はっ?
「いや、だから包丁研いでる」
――睡眠薬、多めに飲めよ。睡眠薬、切らしてんのか?
「飲んだよ。だけどさっきすぐ起きたんだ」
「夜襲の気配で起きちまった」
――お前、冷静になれよ。危ねーゾーンに入り出してるぞ!
「何がだよ!」
――包丁なんかどうすんだ? 料理なんかやらないだろ?
――どうすんのかって聞いてんだよ?
――お前、通り魔みたく包丁振り回すような、危ないゾーンに入り出してねーか!
――いいか、冷静になれよ。今のお前の不安感とか全部幻だよ。
「幻かどうか、切り刻めばわかるだろ」
――お前、何言ってんだ?
「それぐらいヤバいんだよ」
――マジで不安になってきた。
「だから言ってんだろ! 夜襲に備えてるって!」
――お前、もう眠剤を三倍以上とかで飲んだ方がいいぞ!
「寝たらヤバいだろ? 話、聞いてんのか!」
――は? 寝ない方がヤバいだろ!
――その狂い、止めるには寝るしか方法ないからな!
「ちょっと睡眠薬あるか見てみる……」
「ねーわ。さっきので使いきってた」
――なんとか寝ろ! 喋ってるのもよくないのかもだから今度はマジで電話切るぞ
「切らないでくれ。電話切ったらお前ん家に退却するしかない」
――お前、オレん家にはその状態で絶対来んな!
「包囲されかけてんだぜ! 退却するか夜襲に備えるかしかねーだろがっ!」
――いいか、お前、その状態で外にだけは出るなよ。
「なんでだ? 座して死を待てとでも?」
――そうじゃねー!
「じゃあ何だ?」
――今のお前は完璧狂ってる。
シャーッ。シャーッ。
「狂ってるってあんまり何回も言われるのムカつくぜ」
――いい加減にしろよ! 包丁研ぎながら話すのやめろ!
――なあ、今も夜襲だっけか? 敵が攻めてきそうなのか?
「ああ、マジだ! マジに夜襲来そうだ!」
「奇襲にだけはなりたくないから寝ないで備えてる。備えるしかない」
――お前、通り魔とかの事件起こしたらどうなるか! 死刑だぞ! 死刑!
「さっきから副作用のテンパりって決めつけてるけど、オレには本当に感じてる。オレがオレの感覚を信じないで何を信じろと?」
「そりゃー確かに夜襲ってなかなかないことかもだけどさ。今、油断したら間違いなく奇襲くらうと本当の本当に思ってるんだよ!」
「幻聴とか幻覚とか錯覚の類いかも知れないって疑う部分は残ってるけど、本当か嘘かどっちと聞かれたら間違いなくリアルだよ!」
――夜襲の何がリアルだよ! 寝ろ! 絶対、寝ろ! もうオレは電話出ないからな!
滝里に電話を切られた。
覚醒剤を常習している以上、不安は日常茶飯事ではあるが、この日の強烈な不安はいつものそれとはまるで違うと天内は感じていた。
ガタガタと震えながら、包丁を胸に抱くようにして布団の中で丸くなってみた。そうするとなんだか、やっと寝れる気がしてきた。包丁という武器が安心を与えてくれるようだった。
もっと早く気付けばよかった。これだ! これしかない! 包丁を握りしめると、微かな安心と眠気が来る。
眠気は少しずつ強くなる。気絶は近い。
窓の外は朝日が立ち込めてきたのが、カーテン越しにもわかる。
もう朝か、今日もボロボロだな。だけど、あとちょっとで、そろそろ眠れるはずだ。
はあ、やっと眠れる。よかった。そう思いながら目を瞑っていると突然、外から猛烈な騒音がしだした。
ズガガガガガガッッ! 道路工事のハンドブレーカーが、コンクリートを削る音がする。
キィィーンン! 道路カッターの音も重なり出して、道路工事合唱団の大演奏が始まった。
ああ、気が狂いそうだ! じゃなかった、狂ってた! そう自覚した。
ただでさえ寝れないのに道路工事合唱団により、今一歩のところで眠ることを諦めた。また意識は覚醒へと向かい出す。
キィィーンン! 道路カッターの音はなかなか止むことがなく耐え難いものだった。文句の一つも言わないと気が済まない。シャブのせいとか関係ない。それは至って普通のことだと思った。
そう思うと外着に着替え始めた。包丁をズボンの右ポケットに突っ込んで隠す。左手でドアを開けて部屋から出た。
ドアを開けると目映い太陽の光が射し込んだ。極度の眼精疲労に朝日が痛いほど刺さる。頭痛が更に増した。
エレベーターで三階から一階に向かう。エントランスを抜ける。騒音苦情をどうしてくれようか。
マンションを出て工事現場の音のする方に向かい歩き出そうとすると、二人の屈強な中年の男が待ち構えていた。
「警察だ!」
蛇の声でカエルに告げた。
なんと言うテレパシー、第六感、内定されていたのだ。夜襲だのと危機を感じとっていたのはこのことだったのか?
「お前! 右手に何持ってる? ゆっくりとポケットから出せ!」
包丁をポケットから出す。
「ゆっくりと地面に置け! やらないなら撃つ!」
言いながら警察官は銃を構えた。
カエルが屈んで包丁を地面に置く。
いつの間にか天内は、人間ほどある大きなカエルに姿を変えて、そのままへたりこんだ。
警察官はすかさずカエルに手錠をはめた。
「十一時四十二分! 敵将! 天内! 討ち取ったりーっ!」
勝ち名乗りをあげる警察官。まるで三国志の敵将、討ち取ったりーっ! に被る。何故、三国志の夜襲だと予知を感じていたのかを、この時にやっとわかった。
「ゲコッ!」
カエル言葉でしか話せなくなった。
「ゲコッ!」
手錠をはめられたことで涙が出る。いやそんなことよりもカエルの姿のまま戻れないかも知れない。
「ゲコッ! ゲコッ!」
いいや、違う。何かがおかしいと天内は思う。この逮捕劇は全て、脳がプロジェクターのように見せていた幻覚のもので、短い気絶の眠りがもたらした夢だった。
真の現実は部屋の外の喧しい道路工事合唱団の演奏からも、何も起きてない、何も変わっていない。
第一、自身がまだ部屋の中にいる。手を見ると、カエルの水かきはない。外に出掛けてなどいなかった。
しばらくすると合唱団は、昼休みにでも入ったのだろうか、ようやく鳴りを潜めた。気が付けばまた何かが聞こえて来る。
「竿やー! 竿だけー!」
「竿やー! 竿だけー!」
ああ、これらの騒音は全て、ノイズの一言で終わらせられるものではない。己の心身への危機。
包丁を握りしめながら、ガタガタと震え続ける。
時間の感覚もわからない。天内は壁の時計を見た。時計を見ることは、起きている時間のダメージを計る上で大切なことだった。さっき昼だと思っていたら、早くも時計は一六時を指している。
八〇時間は優に起きていることになる。ただの連続した徹夜ではない。覚醒により、消耗は更に激しい。天内にとっても未知の領域に突入していた。
無性にセックスがしたくなってきた。死を感じる様な危機になると性欲が高まると、学者が言っていたことを思い出した。動物だけでなく植物も枯れる直前に、多くの実を付けることがあるとも。生命の危機、それを感じていたが、とにかくセックスを求めて閉ざされたこの空間から外に出なくては。
閉めっぱなしのカーテンの外では既に、夕焼けが広がっているのかも知れない。
◇
自分で何をどう準備して外に出たのか、脳の認識はない。気付くと天内は部屋を出て歩いていた。
周囲の人混みは人ゴミに感じる。周囲の動作が全てのろのろとして遅い。邪魔でぶん殴りたくなる。自身のパーソナルスペースに入るゴミはだいたいぶん殴りたくなった。
時折、足早で近付いてはこちらの歩行進路を、微かにでも妨害する歩行者たちをぶん殴りたくなった。
前を歩く男の後頭部をぶん殴りたい。
完全にデッドゾーンに入っている。もう歩いているというより浮遊しているかのようだ。
トゥルルル。トゥルルル。携帯が鳴った。
――もしもし。
電話の声は、滝里らしい。
「ひっ!」
――なんかこっちまで胸騒ぎしてな。もしかしてずっと起きてたのか?
「ひっ!」
――おい。今どこにいんだ?
「渋谷に向かってる」
――外出るなって言ったろ! まさかオメー包丁持ち歩いてないだろな?
「ひひっ!」
――おい。聞いてんだろが。包丁はどうした?
「持ってる、ひっ」
――帰れ! 今すぐ帰って寝ろ!
「これから電車乗るから。ひひひっ」
――電車っ! やめろ、テメー、テンパりまくってて!
「うるせーっ! テンパりテンパり言われんのが一番ムカつくんだよっ!」
天内から電話を切った。
高円寺駅につくと切符を買った。行き先はジュリだ。ホームに着くと、人ゴミが鬱陶しかったので端まで歩いた。
電車が来る。電車に乗る。自分が最早何をしているのか、先程からずっと最低レベルの結果認識だけを感じた。そのうえ過ぎたことの結果認識はすぐにも忘れた。意識は朦朧としていて、自分が何をしているのかも大まかにしか脳に入ってこない。
◇
滝里は出勤して、沙希と車の中にいた。電話を受けるバイトが遅刻するという連絡が入った。仕方がないので遅刻の間だけと、滝里の携帯へと客からの電話も転送させている。
――もしもし。
「エンジェルソースです」
――ジュリさん、十七時から百二十分で。ホワイトムーンホテルに。
「わかりました。お名前とお電話番号をお願い致します」
――天沼と言います。電話は090‐××××‐××××です、よろしく。
電話は切れた。短すぎる会話に、衝撃の大きさに、滝里は反応ができなかった。
偽名を使って天沼と名乗っていたが、伝えてきた電話番号は天内の番号で間違いない。電話の相手が滝里だと気付いている様子ではなかった。
複雑な感情が激しく押し寄せてくる。何だか苦しくなってきた。
沙希は娼婦である以上、抱かれるのが仕事なのだから仕方がない。タイ人の家庭では、旦那が売春している奥さんをバイクで送迎する、そんなテレビの番組を見たことがある。旦那は無論、寂しく悲しいだろう。惨め極まりない。しかし、それを言ったら生きてはいけない。子供の食費や学費はどうなる? だから、夫婦の間でその哀しみは何事もないかのように生活をする。
そんなものかと思い込んで、恋人の沙希を今まで送迎してきたのだ。
しかし、相手が天内となると話しは全く別だ。沙希の相手が、自分の知らない人間と、知っている人間では意味がまるで違う。まして天内は友人だ。そして天内はポン中だから、セックスマシーンなのは容易に想像できる。
沙希を本気で悶え泣かせることができるかもしれない。それは耐えられない。
しかも天内は包丁を持ち歩いている。沙希と会わせるわけにはいかない。
予約の電話が聞こえたであろう沙希に、どう話してキャンセルの説明をしようか。
しばらくして沙希の方から喋った。
「私、今日、休む。具合、悪くなっちゃった。タクシーで帰るからここで降ろして」
「……あ、わかった。大丈夫か?」
滝里はホッとした。
「うん、大丈夫だよ」
沙希が別れのキスをしてきた。
車を降りるとすぐに歩き出す沙希。角を曲がる前あたりで、沙希は携帯を手にしたように見えたが、滝里の位置からはもう見えなくなった。
こうしてはいられない。すぐに天内に電話をしないと。沙希、いやジュリは、自分の女だと天内に説明をしなければ。
何て話せばいいんだ? 携帯を手に取ったまま滝里は車内で固まった。
◇
スクランブル交差点を渡り、ホテル街へと向かう最短コースを山縣は急いだ。
沙希から情報提供の電話が来たのはついさっき。
ホワイトムーンホテルにポン虫の天内という男が、向かっているという。ホワイトムーンホテルに着くと、山縣は角の影に隠れて待ち伏せした。おそらく天内は、自分が通った道と同じ方向から来るはず。
西宮は置いてきた。あいつは、なかなかトイレが借りれないと、ボヤキながらいつものトイレ探しの旅に出てしまっている。
目当ての天内は、山縣の読み通りの方向から歩いてきた。沙希から聞いていた特徴は完全に一致している。天内だ!
ホテルの中に天内が入ろうとする前に、走ってすかさず前に立った。
「警察だ!」
山縣はいきなり手帳を見せた。
「ちょっといいか! 身分証を」
言いかけた刹那、信じられない光景が繰り広げられた。
「近付くな!」
包丁を右手に持ち威嚇する天内。
少しの間、睨み合っていると、天内は背中を見せて走って逃げ出した。
今、目の前で起きんとしている事件は、単なる覚醒剤所持、使用といったものを一気に飛び越え重大事件へと切り替わろうとしている。警察の前では、少しは大人しくするとした認識が甘かった。
包丁を見て逃げ惑う群衆。山縣と天内、どちらも体力がないポン中の追いかけっこが始まった。必死に付け加え、若さがある分、天内に追い付けそうもない。
道玄坂の下りで距離を引き離された。もう天内との距離は大きく、山縣の走力では追い付くことはできそうもない。
「天内! 待てーっ!」
叫ぶ山縣。追いかけっこは、天内に軍配が上がりつつあった。
スクランブル交差点あたりで諦めが過った時に、山縣の怒号に気付いた西宮が天内を追いかける。
西宮は一瞬にして状況を理解してくれたようだ。
「天内! 待てやーっ!」
山縣が叫んだ名前を西宮も叫んだ。
走りながらJRの渋谷駅構内へと姿を消す天内と西宮。もう山縣の視界からは二人とも完全に消えている。ここから先は西宮へと託す他なかった。
◇
天内は山手線の新宿方面行き電車に乗った。目立つため、包丁は駅に着く少し前に、ズボンの右ポケットに手を突っ込んで隠した。
心臓が痛い。息は爆発していたし、脱水症で水分など残ってるはずもない肌から、絞り出すようにたっぷりと汗が出る。
落ち着け! 息を整えようとする。
落ち着け! 心臓が痛い。
落ち着け! 喉がカラカラだ。
落ち着け! 頭もズキズキする。
落ち着け! 落ち着け! 落ち着け!
心で落ち着けを連呼していると、やがて僅かに落ち着いた。まず呼吸の爆発が収まる。あまりの取り乱しように、他の乗客から通報されかねないと不安がしてきた。
目立ちすぎてしまった今いる車両から、隣の車両へと移動することにする。
重たいドアを開けて隣の車両に移った。
落ち着け! 落ち着け! 念じていると、小さな声が聞こえる。
「ねぇ、なんか変な匂いしない?」
「なんかするな、何の匂いだ?」
声がした場所は離れてはいたが、デビルイヤーには聞こえる。
声がした先を見る。付き合っているのだろう。男子高生は、女子高生の背中に腕を回し抱き寄せるかのようにしている。
羨ましかった。幸せそうに映る。自分と較べて泣きそうになった。惨めだ。女のいない自分がたまらなく惨めに感じる。警察と追いかけっこをしている自分が虚しい。
「キモッ! こっち来る」
キモッ! この世で一番気にしている言葉を女子高生が言った。その瞬間、自身の中で何かが切れた。何かが切れたとはっきりと自覚した。
ズボンポケットに突っ込んだ右手に力を入れ、女子高生に近付く。
「何だ? テメーは?」
不審を問いただすかのような、男子高生の怒声は、天内の中で耳鳴りに変わった。
◇
山手線の新宿方面行き電車に天内が乗ったのは、階段の途中にいた西宮にも見えた。
西宮は階段を三段跳びで上ると、ギリギリで天内が乗った電車に飛び乗ることができた。天内を見掛けた方へと、急いで向かうが車内が混雑していて思うように進めない。混雑をかき分けながらとにかく急いだ。
ようやくにして電車の端近くまで辿り着く。西宮は一つ先の車両へと連結する、ドアの窓の向こう側に天内の姿を見つけた。天内が女子高生たちに近付いていく後ろ姿が見える。なんだか天内の様子がおかしい!
天内がズボン右ポケットから手を素早く出した。
西宮の視覚はスローモーションに変わった。
「天内っ! 貴様ーっ!」
西宮は駆けながら大声を張り上げた。
右手を大きく振りかぶる天内。
――ダメだ! 間に合わない――
――失態だ! 自分の目の前で――
「痛いっ!」
悲鳴をあげる女子高生。
遅れたが西宮は、後ろから天内を、掴んで引きずり倒した。天内に後ろ手錠をかける。
倒れた天内の側には、青々と光るオモチャの指輪が転がっていた。
それをぶつけたというのか? 女子高生は痛がってはいたが軽傷に見て取れる。状況的にそれ以外は考えられない。
その日、天内が起こした包丁を振り回しての逃走事件は、全国ニュースとなる。天内が全国デビューした瞬間であった。




