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奇跡の更生  作者: 浮舟
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「出来合いの冷凍かき揚げ使ってんのか、自分とこで作ってるのか。立ち食い蕎麦屋の実力が、それでわかっちゃうんだよな」

 立ち食いそば屋を出ると、西宮に向かって山縣は言った。

「人手不足で作ってられないんでしょうね」

「そうなんだろうけどよ、冷凍のは玉ねぎの甘さがいまいちだな」

 夕暮れの渋谷繁華街を西宮と歩く。

「ちょっとトイレ行きますね」

 西宮はトイレを借りに五十メートル先のコンビニへ向かった。


 しばらくして山縣の携帯が鳴る。沙希からだった。

――もしもし。

「沙希ちゃん、どうしたの?」

――あの、薬の情報を。

「おっ! オーケー。相手はどんな奴?」

――さっき付いた客です。また来るって。

「うん。うん。じゃあ次にその男が来たら、電話でそれとなく知らせてくれるかな」

「そしたら向かうからさ。沙希ちゃんがそいつと別れて少し離れてから、もう一度電話ちょうだい」

「それで沙希ちゃんは安心、安全」

――わかりました。

「客って見た目どんななの? ヤクザ風とかさ」

――六十ぐらいで痩せてて小柄です。

「六十ぐらいで痩せていて小柄ね。ふーん」

「さっきて、どこらへんで会ったの?」

――山縣さんといつも会うホテルです。

 ムンクの絵があるホテルなら近い。丁度、山縣も立ち食い蕎麦屋を出た後にその辺りをうろついていたのだ。

「ちょっと待って。もっと特徴教えて。髪型とか服装とか、身に付けてる物とか」

 早口になる山縣。

――髪型は短めで、服装は紺色スーツに、緑のショルダーバックです。確か名前は善雄と名乗っていました。

 さっき会っていたばかりだから、沙希はスラスラと言えるのだろう。

「うん。うん。注射器とか持ってそう?」

――はい。持ってました。私にしつこくやらないかと言ってきて。腕に紫になるまで注射跡ありました。あんな酷い跡、初めて見ました。

 携帯を持つ山縣の右手に思わず力が入った。なんという偶然か。

 少し離れた自動販売機で飲み物を買い求めてる小男。たった今、聞いた特徴と一致しているではないか。善雄で間違いないだろう。

「薬、どこ隠してたかわかる?」

――財布の中です。

「財布の中ね。沙希ちゃん、今回はさ、悪いんだけど警察からお金は出ない」

「その代わりね、その代わりなんだけど、次に会ったら体で払うからさ。ありがとね」

 沙希の返事を待たずに山縣は電話を切った。

 特徴と一致する男は、自動販売機で買ったペットボトルの水をすごい勢いで飲んでいる。走り込んだわけでもなかろうに、シャブから来る脱水症状だと山縣には容易にわかった。

 男はペットボトルの水を飲み干してゴミ箱に捨てると、すぐ側にある喫茶店の《憩》に入っていた。

 水なら喫茶店でも飲めたはずだ。コップの水ではなくペットボトルで、大量の水をいっぺんに飲みたかったのだろう。コップの水では何度となくおかわりが必要で、目立つのを避けたに違いない。男の動きは手に取るようにわかる。

 外から《憩》の中の様子を伺う。待ち合わせのようだ。男の座った先に誰かいる。待ち合わせ相手は誰なんだ? と山縣は外から首を伸ばして凝視した。

 佐々木だ! 三島組若頭の佐々木と待ち合わせとは、一体何の要件なのだろう。佐々木が覚醒剤の供給元なら、捕まえれば大手柄である。

 山縣にとって佐々木は過去からの因縁があった。近付くか? いやこのガラス張りの店なら、この位置からならある程度わかる。幸い今は気付かれていないのだ。店内に入ることで気付かれないとも限らない。

 マークしているその小男は、佐々木に向かって何かを差し出した。佐々木が受け取り数えだす。

 どうやら金だ。

 金を受け取ると佐々木はすぐに席を立ち、出口のこちら側に歩いてきた。

 どうする? 西宮は近くのコンビニのトイレに向かったままだ。

 佐々木にいくべきか、特徴と一致する男に向かうか、両方を食い止めるか。しかし佐々木の容疑は何も固まっていない。佐々木が覚醒剤を売ったとは考えにくい。

 だとしたらあの金は何だ? 考えが決まらないままに立ち往生していると、佐々木が《憩》から出てきて対面した。

「これはどうも。山縣さん」

 佐々木の自信に満ちた目がこちらを見る。警察のくせにポン中と蔑み笑うかのように、山縣がポン中なことをまるで見抜いているかのようだ。

「佐々木」

「何ですか?」

 淀みない返事で、佐々木は白と直感した。

「またな」

「どうも」

 佐々木は立ち去った。

 立ち去る佐々木の後ろ姿を見詰めるも、佐々木にばかり気を取られていい状況ではない。むしろ、今気にすべきは店内のポン虫の方だ。

 丁度、コンビニから出てきてキョロキョロしている西宮の姿が見えた。しばらくして西宮がこちらに気付き駆け寄ってくる。

「一瞬、どこ行ったかと思いましたよ!」

 それには山縣は答えず《憩》の中に目を向けて

「奥の席に座ってるのいるだろ!」

「はい? あの人がどうしましたか?」

「ありゃ、ポン虫だ!」

「ええっ!」

「このまま行くぞ!」

 山縣と西宮は《憩》に入った。


   ◇


 オレンジジュースを口にしながら、喫茶店《憩》の入り口を眺めるかのように見ている善雄に真っ直ぐ向かう。西宮と二人して挟み込むようにして善雄の両隣に座った。逃げ場を一瞬にして固める。

「ちょっといいですか?」

「警察です。警視庁の山縣と申します」

 警察手帳を見せて名乗った。

 善雄は瞬間、顔を曇らせたが、努めて冷静さを装うかのよう。職務質問をかわすことは、ポン中には必要とされるスキル、慣れっこなのだろう。ここからが腕の見せ所だ。

 瞳孔を覗きこむように、山縣は顔を近付けた。

 クンクン、クンクン。犬が匂いを嗅ぐかのように山縣は鼻を鳴らす。

「いい匂いがしますねっ!」

 匂いを強調するように伝えて、覚醒剤容疑で来てると、すぐにわからせた。

「は? 何のことだ?」

 焦り苛立つ善雄の声。

 既に空になっていたオレンジジュースのグラスを善雄は手に取る。

「それ、空っぽですよ」

 西宮に言われて善雄がグラスを置いた刹那、山縣は左手を取りスーツの裾をいきなり捲った。

「お注射されたみたいですけど、何の注射ですか? 献血か何かですかね?」

 いきなりする職務質問のやり方ではない。警察が人権を無視したやり方をするのは、かなり自信をもった時だけ。

「はい、献血です」

 されど職務質問をかわすのは善雄も百戦錬磨なのだろう、顔色一つ変えていない。

「ぶはっ。献血ですか、どちらでされました? 時間と場所は?」      

「そんなことあんたに言う必要はない」

「はあ、そうですか。こんなにも紫になっちゃって」

 注射の青痣を人差し指を立てて、くすぐるように山縣は優しくさすりニヤニヤと笑った。

「身分証見せてもらえますか」

「僧に向かって失礼な! 俗物があっ! 喝っぅうう!!!」

 突然の善雄の強烈な大喝に、黙って聞いていた西宮は驚いて椅子から転げ落ちた。

 善雄の大声に、店内にいた人達がこちらの席に注目する。

「びっくりしたー。いきなり脅かさないでよ」

「ね、やめて。恥ずかしいから、次やったら怒るからね」

 西宮は椅子に座り直すと、心臓に悪いと言わんばかりに胸をさすり笑った。

 財布から健康保険証を取り出しテーブルの上へと善雄は投げつける。

「なんという無礼千万! 腐っても、この善雄、不浄なる者が気安く触って良い体ではないわ!」

「不愉快だ! ワシは帰る! 礼状も持たずして何の証拠がある!」

「匂いだ、紫だと、わけがわからない。このたわけが!」

 保険証を財布にしまおうとする刹那、財布ごと山縣は引っ手繰った。

 財布の中身をチェックする。

 ぬちゃっと湿った万札に気付いた。

「おい、この一万円札なんでベトベトしてんだ?」

 山縣が、財布から一枚の濡れた万札を取り出す。

「ベトベトじゃないか! 万札をストローにして吸ったら金運が上がるとでも思ってんのか?」

 匂いを嗅いでみせて笑う山縣。

「それがなんだ! その金、落とした時に拾ったらそうなっただけだ!」

「バーカ! オメー、これシャブだろが!」

 財布の小銭入れの中に、隠していたパケを取り出して見せた。

「粉が万札にも付着してんな」

「鼻からも吸ったか? 炙って吸ったり、スニッフィングしたり、注射したり、お前も忙しい奴だな」

「お坊さん、試薬するよ。確認するから一緒に見な。すぐわかるから」

 西宮は簡易検査キットを取り出す。小さな試験官に、パケに入っていた覚醒剤の結晶を落とし込む。

「陽性だっ! 覚醒剤所持現行犯で、お前を逮捕する!」

「次は小便だな。逃げられると思うなよ、強制採尿するだけだから」

「冷たい鉄の輪の感触は、逮捕された現実を受け入れるには充分な重さだろ」

 手錠を掛けると山縣は、勝ち誇るように笑った。



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