六
「出来合いの冷凍かき揚げ使ってんのか、自分とこで作ってるのか。立ち食い蕎麦屋の実力が、それでわかっちゃうんだよな」
立ち食いそば屋を出ると、西宮に向かって山縣は言った。
「人手不足で作ってられないんでしょうね」
「そうなんだろうけどよ、冷凍のは玉ねぎの甘さがいまいちだな」
夕暮れの渋谷繁華街を西宮と歩く。
「ちょっとトイレ行きますね」
西宮はトイレを借りに五十メートル先のコンビニへ向かった。
しばらくして山縣の携帯が鳴る。沙希からだった。
――もしもし。
「沙希ちゃん、どうしたの?」
――あの、薬の情報を。
「おっ! オーケー。相手はどんな奴?」
――さっき付いた客です。また来るって。
「うん。うん。じゃあ次にその男が来たら、電話でそれとなく知らせてくれるかな」
「そしたら向かうからさ。沙希ちゃんがそいつと別れて少し離れてから、もう一度電話ちょうだい」
「それで沙希ちゃんは安心、安全」
――わかりました。
「客って見た目どんななの? ヤクザ風とかさ」
――六十ぐらいで痩せてて小柄です。
「六十ぐらいで痩せていて小柄ね。ふーん」
「さっきて、どこらへんで会ったの?」
――山縣さんといつも会うホテルです。
ムンクの絵があるホテルなら近い。丁度、山縣も立ち食い蕎麦屋を出た後にその辺りをうろついていたのだ。
「ちょっと待って。もっと特徴教えて。髪型とか服装とか、身に付けてる物とか」
早口になる山縣。
――髪型は短めで、服装は紺色スーツに、緑のショルダーバックです。確か名前は善雄と名乗っていました。
さっき会っていたばかりだから、沙希はスラスラと言えるのだろう。
「うん。うん。注射器とか持ってそう?」
――はい。持ってました。私にしつこくやらないかと言ってきて。腕に紫になるまで注射跡ありました。あんな酷い跡、初めて見ました。
携帯を持つ山縣の右手に思わず力が入った。なんという偶然か。
少し離れた自動販売機で飲み物を買い求めてる小男。たった今、聞いた特徴と一致しているではないか。善雄で間違いないだろう。
「薬、どこ隠してたかわかる?」
――財布の中です。
「財布の中ね。沙希ちゃん、今回はさ、悪いんだけど警察からお金は出ない」
「その代わりね、その代わりなんだけど、次に会ったら体で払うからさ。ありがとね」
沙希の返事を待たずに山縣は電話を切った。
特徴と一致する男は、自動販売機で買ったペットボトルの水をすごい勢いで飲んでいる。走り込んだわけでもなかろうに、シャブから来る脱水症状だと山縣には容易にわかった。
男はペットボトルの水を飲み干してゴミ箱に捨てると、すぐ側にある喫茶店の《憩》に入っていた。
水なら喫茶店でも飲めたはずだ。コップの水ではなくペットボトルで、大量の水をいっぺんに飲みたかったのだろう。コップの水では何度となくおかわりが必要で、目立つのを避けたに違いない。男の動きは手に取るようにわかる。
外から《憩》の中の様子を伺う。待ち合わせのようだ。男の座った先に誰かいる。待ち合わせ相手は誰なんだ? と山縣は外から首を伸ばして凝視した。
佐々木だ! 三島組若頭の佐々木と待ち合わせとは、一体何の要件なのだろう。佐々木が覚醒剤の供給元なら、捕まえれば大手柄である。
山縣にとって佐々木は過去からの因縁があった。近付くか? いやこのガラス張りの店なら、この位置からならある程度わかる。幸い今は気付かれていないのだ。店内に入ることで気付かれないとも限らない。
マークしているその小男は、佐々木に向かって何かを差し出した。佐々木が受け取り数えだす。
どうやら金だ。
金を受け取ると佐々木はすぐに席を立ち、出口のこちら側に歩いてきた。
どうする? 西宮は近くのコンビニのトイレに向かったままだ。
佐々木にいくべきか、特徴と一致する男に向かうか、両方を食い止めるか。しかし佐々木の容疑は何も固まっていない。佐々木が覚醒剤を売ったとは考えにくい。
だとしたらあの金は何だ? 考えが決まらないままに立ち往生していると、佐々木が《憩》から出てきて対面した。
「これはどうも。山縣さん」
佐々木の自信に満ちた目がこちらを見る。警察のくせにポン中と蔑み笑うかのように、山縣がポン中なことをまるで見抜いているかのようだ。
「佐々木」
「何ですか?」
淀みない返事で、佐々木は白と直感した。
「またな」
「どうも」
佐々木は立ち去った。
立ち去る佐々木の後ろ姿を見詰めるも、佐々木にばかり気を取られていい状況ではない。むしろ、今気にすべきは店内のポン虫の方だ。
丁度、コンビニから出てきてキョロキョロしている西宮の姿が見えた。しばらくして西宮がこちらに気付き駆け寄ってくる。
「一瞬、どこ行ったかと思いましたよ!」
それには山縣は答えず《憩》の中に目を向けて
「奥の席に座ってるのいるだろ!」
「はい? あの人がどうしましたか?」
「ありゃ、ポン虫だ!」
「ええっ!」
「このまま行くぞ!」
山縣と西宮は《憩》に入った。
◇
オレンジジュースを口にしながら、喫茶店《憩》の入り口を眺めるかのように見ている善雄に真っ直ぐ向かう。西宮と二人して挟み込むようにして善雄の両隣に座った。逃げ場を一瞬にして固める。
「ちょっといいですか?」
「警察です。警視庁の山縣と申します」
警察手帳を見せて名乗った。
善雄は瞬間、顔を曇らせたが、努めて冷静さを装うかのよう。職務質問をかわすことは、ポン中には必要とされるスキル、慣れっこなのだろう。ここからが腕の見せ所だ。
瞳孔を覗きこむように、山縣は顔を近付けた。
クンクン、クンクン。犬が匂いを嗅ぐかのように山縣は鼻を鳴らす。
「いい匂いがしますねっ!」
匂いを強調するように伝えて、覚醒剤容疑で来てると、すぐにわからせた。
「は? 何のことだ?」
焦り苛立つ善雄の声。
既に空になっていたオレンジジュースのグラスを善雄は手に取る。
「それ、空っぽですよ」
西宮に言われて善雄がグラスを置いた刹那、山縣は左手を取りスーツの裾をいきなり捲った。
「お注射されたみたいですけど、何の注射ですか? 献血か何かですかね?」
いきなりする職務質問のやり方ではない。警察が人権を無視したやり方をするのは、かなり自信をもった時だけ。
「はい、献血です」
されど職務質問をかわすのは善雄も百戦錬磨なのだろう、顔色一つ変えていない。
「ぶはっ。献血ですか、どちらでされました? 時間と場所は?」
「そんなことあんたに言う必要はない」
「はあ、そうですか。こんなにも紫になっちゃって」
注射の青痣を人差し指を立てて、くすぐるように山縣は優しくさすりニヤニヤと笑った。
「身分証見せてもらえますか」
「僧に向かって失礼な! 俗物があっ! 喝っぅうう!!!」
突然の善雄の強烈な大喝に、黙って聞いていた西宮は驚いて椅子から転げ落ちた。
善雄の大声に、店内にいた人達がこちらの席に注目する。
「びっくりしたー。いきなり脅かさないでよ」
「ね、やめて。恥ずかしいから、次やったら怒るからね」
西宮は椅子に座り直すと、心臓に悪いと言わんばかりに胸をさすり笑った。
財布から健康保険証を取り出しテーブルの上へと善雄は投げつける。
「なんという無礼千万! 腐っても、この善雄、不浄なる者が気安く触って良い体ではないわ!」
「不愉快だ! ワシは帰る! 礼状も持たずして何の証拠がある!」
「匂いだ、紫だと、わけがわからない。このたわけが!」
保険証を財布にしまおうとする刹那、財布ごと山縣は引っ手繰った。
財布の中身をチェックする。
ぬちゃっと湿った万札に気付いた。
「おい、この一万円札なんでベトベトしてんだ?」
山縣が、財布から一枚の濡れた万札を取り出す。
「ベトベトじゃないか! 万札をストローにして吸ったら金運が上がるとでも思ってんのか?」
匂いを嗅いでみせて笑う山縣。
「それがなんだ! その金、落とした時に拾ったらそうなっただけだ!」
「バーカ! オメー、これシャブだろが!」
財布の小銭入れの中に、隠していたパケを取り出して見せた。
「粉が万札にも付着してんな」
「鼻からも吸ったか? 炙って吸ったり、スニッフィングしたり、注射したり、お前も忙しい奴だな」
「お坊さん、試薬するよ。確認するから一緒に見な。すぐわかるから」
西宮は簡易検査キットを取り出す。小さな試験官に、パケに入っていた覚醒剤の結晶を落とし込む。
「陽性だっ! 覚醒剤所持現行犯で、お前を逮捕する!」
「次は小便だな。逃げられると思うなよ、強制採尿するだけだから」
「冷たい鉄の輪の感触は、逮捕された現実を受け入れるには充分な重さだろ」
手錠を掛けると山縣は、勝ち誇るように笑った。




