三
一人になった天内は、楽しみとしているキメオナのためDVDを手にした。どれで抜こうか、慎重に選ぶもなかなか決まらない。
抜かないと眠れない、天内はそれはわかっていた。射精は眠るために必須条件とさえ言える。それにも関わらず、DVDを一旦は手にしたが、何故か気分になれない。
天内は通っている風俗のことを思い出した。指名する美女、名前はジュリと言った。
「はい、これあげるね」
ジュリが差し出してきた小さな紙切れは、風俗の一回無料チケットであった。
「ありがとう」
嬉しくなりジュリの手の甲に騎士のように接吻した。あの時から何かがおかしい。コンビニでゼリー飲料を買いに行く時も、ジュリがいないかと、いるはずもない姿を目で探すようになっていた。こんな気持ちになるのは随分と古い記憶だ。何度か恋もしたが、ここまでピュアに胸が締め付けられるのは、小学生以来かも知れない。
滝里と前田が帰ると、天内はちゃぶ台に便箋を置いた。ジュリ(沙希)への手紙を書こうとしていた。筆を取る。全く何を書いていいのかわからない。
瞳を閉じてジュリのことを想う。艶やかなピンクの唇。均衡の取れた美しいバスト。美しい髪質のロングヘア。
ああ、ぶっ壊したい! ぶっ壊したくてたまらない!
これでは一体何を書けばよいのか、まるでわからなくなった。
好きだ。 天内誠より
それだけまず書いてみた。
キマりすぎて、なかなか眠れそうにない。筆が乗ってきて長々と書けるようになってきた。だがやがていつの間にか、天内は手紙を書きながら気を失って寝た。抜かないと眠れないはずの天内にとって、それは何ヵ月ぶりかわからないほどの珍事であった。
夕方になり目覚めた天内。今日一日、何をするか決めている。
無料チケット、ガチャガチャの指輪、ラブレター、大事な三つを忘れてないかと、ポケットを何度も確認した。健忘症対策に有効なのは反復だ。間違いなくそれらがあるのを、異常なほどに確認してマンションを出てジュリへと向かった。
◇
「盗聴されてるから、手紙にしたよ」
エアコンの効いた狭いホテルの部屋で、天内はベッドのジュリに優しく囁いた。ラブレターを渡すとジュリの反応を待つ。どんな返事が来るのか緊張していた。
「盗聴って何? 恐いんだけど……」
「それにこの手紙、ほとんど斜線が引かれていて読めないよ」
作り笑いのような、ひきつった顔でジュリが言った。
「お願いだからよく読んでよ」
「だから、斜線が引かれていて読めないから。それにこれ無茶苦茶だよ。文やたら区切りなく長いし、主語ねじれてるし」
「よく読んで!」
「……キモすぎる」
キモすぎる、微かな小声だったが、デビルイヤーにはそれでも聞こえてくる。
「でも、無料チケットくれたじゃん! それって気があるってことじゃ?」
「あれ十回来た人、全員に配ってたキャンペーンだよ」
両思い、何をどうやったら無料チケットでそう受け取れるのか、思い違いを告げられると、心の中の何かが切れて奈落の底に落ちていく。
失恋の悲しみに沈んでいくなか、滝里の組の若頭の話を何故か思い出した。
――女なんて、まぶして入れちゃえばイチコロだよ――
「ちょっとトイレ」
天内はトイレの個室に入ると、ズボンをおろした。手の平に唾を吐く。そこにシャブをふりかけ、それをそのままチンポに塗りたくった。
どうせなら絶頂を極めたい。ペニスを片手で掴むと、指先で尿道を広げた。そこに注射器の針先を一センチほど通す。もともと尿道は穴が開いている以上、針を突き刺す必要はない。シャーッと水に溶けたシャブを流し込んだ。
一瞬にしてチンポに大変な事件が起きた。ここが頂点かと思っていた快楽の頂は、さらに遥か上があったのだ。そのことを正に、身をもって感じた。
トイレから出るとベッドの沙希に向かう。
――キモいだと! ふざけるなよ! 泣かしてやる! 泣かしてやるぞ――
――行くぜ! ウマい棒、シャブ味――
命を燃やす全身全霊の本気のキメセクがついに始まる。人間をやめた天内は性獣デビルマンへと進化を果たした。
ジュリの尻を掴んで後ろから突く。剝き出しになった性感。悶え狂うジュリを見て、鬼にシャブ棒だな、と思った。
快楽に狂い合う二人。天内は時間も空間も支配した。
時間の概念は消し飛び、空間は一つになった体以外は何の意味も成さない快楽だけがある世界へと変じた。
紛れもない快楽の頂点、何ものにも代え難い狂喜。
五分位は過ぎたのか? 天内は時計を見る。ベッドのヘッドボードに置かれた小さな時計が、百二十分のプレイ時間のうち既に百分は休まず突きつづけたことを示していた。あまりにも早い。過ぎた時間は百分どころか十分にも満たないと感じた。
セックスを支配した、そのつもりでいたが百二十分コースで入った以上は、時間の支配など嘘でしかない。
気持ち良すぎるのに全く射精しない。精液が駄々漏れしていた。それ自体が射精と思えるほどだ。だが着替えを入れても十五分はまだ突ける、そう思いなおした。もうじき支配した時間が終わってしまう。
ジュリもようやく人間の言葉を話し始めた。
「これ以上突いたら暴行だよ」
ジュリの台詞に、これが強姦だと思うことができると、天内は快感がさらに上乗せされた。
ジュリの言葉に返事はせず、突くことで返事した。凄まじい快楽。
ジュリにも伝わったのか、快感に耐えかねるように、体をよじらせては、小さく波打つように痙攣する。
百二十分、許された時間は終わった。時間と空間の歪みは元に戻る。
「風俗嬢ってのはね、たくさんの男を見てきてるから男を見る目はあるのよ」
「あんたこの先、自殺しないでね」
別れ際、ジュリは意味深に言った。
◇
一人になり道玄坂を渋谷駅に向かって歩く。天内はズボンポケットに、ガチャガチャの指輪が渡しそびれたままなことに気付いた。
ジュリを犯した満足と、失恋の深い傷、感じたこともない複雑な感情に天内はゾクゾクと身震いした。
その時だ! 遥か上天で雷が光ったかと思うと、雲が割れて天空から〝聖なる偉大な何か〟が出現された。
〝聖なる〟と感じるという感覚、それ自体が全く初めての体験。それだけでも出現された〝何か〟とは神や仏と言う言葉以外にあてはまるものがないと天内は感じた。
畏れ多くて全身に鳥肌が強烈に立つ。
出現された神は実体が本来ないのか、雲を使って空全体に自身の顔を作り上げてみせた。髪は白く長い巻き毛、力強い眉毛、目には一切を見通すかのような澄みきった輝き、その巨大な顔は高貴で、神として王者の風格を感じさせる。
その偉大な神は、天内のためにもったいなくも降臨されたのだ。
――天内よ!――
(か! 神様!)
――これ以上シャブやるなら、お前の脳をゴキブリの脳味噌と取り替えるよ――
(ひっ! やめて!)
(やめてください!)
(ぐわぁーっ!)
◇
あの日、神様の声を聞いたのを境に天内は変わった。幻聴幻覚は当たり前。ないことのほうが珍しいくらいだ。壊れるのは時間の問題というよりかは、もう壊れてしまった。
ある時なんかは、そこら中の家々からセックスの喘ぎ声が聞こえる。絶対、本物だとして疑うことはできない幻聴だった。
ある時は走っている車の全てがパトカーに見える。全ての車に赤い点灯管がついて見えた。一般車輌は一台とてない。車の全てがパトカーとなったからには、絶対にパクられると天内は思った。
部屋から怯えて出られなくなったりしたかと思えば、反対にいてもたってもいられず用もなく夜の街に飛び出した。
この日も夢遊病となり、夜の街を浮遊し新宿のカプセルホテルに泊まる。着替え、シャワーを済ませるとカプセルに入った。果たして眠れるか? 案の定、なかなか眠れない。
そのうちに、あちこちのカプセルからセックスの喘ぎ声がしだした。カプセルホテルのサービスのエロビデオだ。イヤホンを利用してるはずだが、物足りないのか音漏れするほどあちこちうるさい。そうでなくともデビルイヤーが、微かな虫の羽音まで聞き分けかねないほどに研ぎ澄まされている。音という音に非常に敏感になっていた。
突如、右耳の中が、バチバチバチっと異様な音を立てた。
幻聴ではない。身体の何かのパーツが壊れた音だ。大変なことが起きたと感じたが、今は寝れるものなら寝たかった。
「うるせーーっ!」
エロビデオの音漏れに対して怒号を叫ぶと、パタンとそのまま気絶した。
天内が寝たこともあり、警察を呼ばれることはないままに終わった。




