二十七
「主文朗読は後回しにして、先に判決理由から述べます」
正面の裁判官席に座る安達裁判長がそう言い判決理由を述べるも、前田の耳にはほとんど何も入らない。
死刑確定への激熱演出と呼ばれる裁判長の主文後回しの言葉に、広い空間の法廷はざわつく。前田は目の前が真っ暗になり、視覚と聴覚は断たれたかのように、茫然自失となった。
「結果は重大で、犯行態様も隠蔽を図るなど悪質で、死刑をもって臨むことが、真にやむを得ないと認められる」
読み上げる安達裁判長の眼鏡が光って見える。
「判決を言い渡します。主文、被告人を死刑に処す」
安達裁判長は、厳かに言った。
「聞き取れへんかったので、もういっぺん言うてくれませんか?」
「死刑です」
安達裁判長は簡単に言った。
前田は国選弁護人の花井充の顔を見た。味方の弁護士であるはずの花井は、判決は当然だろうという顔をしている。
前田の死刑判決は全国へと流れた。
◇
死刑判決を受けた前田はその日、東京拘置所の三畳程度の部屋に戻ると、離婚により二歳で離ればなれとなった子供の夢を見た。来月の九月でもうじき五歳になる。
前田はガチャガチャの機械の前で、何やら子供に向かって懸命に説明をしていた。子供の顔立ちは、ぼやっとしてはっきりとしなかったが、自分の子供だとハッキリと感じる。
『やるな!』
止めているそのガチャはオヤジ(組長)ガチャと言った。
『血の繋がりがない人を僅か数回会ぉた程度から、オヤジと呼ぶオヤジガチャやねん』
『やったらアカンで、ホンマ』
『オヤジガチャに当たりなんか入ってへんちゃうか?』
『ガチャの中には、いろんなオヤジたちが入ってんねんけどな』
『横から覗いてみたらわかるけど、ガチャに入っとるオヤジたちは、一癖も二癖もありそうなオヤジばかりや』
『罪状違えど、もれなく前科もちの犯罪者や。天使のキラキラを期待するほうがアホや』
『運よく当たり引いたとしてもやで、ナンバー2がアカンかったら結局ハズレや』
『こんなガチャならやらなよかった。ホンマやで』
『絶対、オヤジガチャだけはやったらアカン!』
将来、ヤクザになってほしくない。会えない子供に夢の中で力説した。だが子供にもそれは言えた。
子供にとって実の親父は死刑。ガチャで言ったらどんだけハズレ。
『ああ、幼い君に何もしてやれぬまま死ぬパパを許してほしい』
『死刑になったパパを許してほしい』
そこで前田の夢は終わる。拘置所の枕をとめどなく涙で濡らした。独房で後悔に悶絶しながら朝を迎えた。
◇◇◇二〇一一年六月 東京拘置所C棟十一階◇◇◇
前田は死刑判決を受けてから八年の歳月が過ぎていた。
前田は一日中、考えごとの他にやることがない。作業などの労働もない。房内の白い壁を見ながら、この日も日課である考えごとをしていた。
柿澤瑛史郎を殺害した。子である柿澤譲のことも、殺害に至る直接の原因を作ったのは他でもない、自分自身だ。だが、従業員とも言える夕花の首を、瑛史郎が絞めたのは事実だ。
瑛史郎に殺す気がどこまであったかはわからないが、夕花に抵抗され止まったことを思い返すと、殺害する気はなかったのかも知れない。そうだとしても苦しい思いをさせたのは事実で、瑛史郎を懲らしめるのは当然と言えた。金銭の恐喝に行き過ぎがあったにせよ、夕花の首を絞めたことは、殴って終わらせられるような問題ではない。さらに仕返しにより左目を刺されて失明したことは、瑛史郎を殺害するに充分な理由と思える。
問題は譲の方だ。彼は何の罪もないのにパピが死に至らしめてしまった。柿澤宅の襲撃を決めたが、譲の殺害を教唆したつもりはない。一瞬の出来事で止めることはできなかったが、止められるものなら止めたかった。……いや、やはりあの時、父親を殺された譲は必死の抵抗をしてきた。強力な暴力以外でしか抑えることはできなかったであろう。
裁判を振り返りる。難しい裁判だったのではないかと思う。
殺害に使った証拠の銃がないのだ。パピがそのまま持っていってしまっている。共犯者がいるのは確かとはされた。
ドンクサイ奴だから、すぐに捕まるとしたパピは、予想に反してついに捕まったという話を聞くことはない。
瑛史郎が前田を失明させたことは確かなことから、瑛史郎一人の殺害なら、経緯を考慮すると死刑とはならなかったかも知れない。
供述調書に瑛史郎と譲の殺害を、共に否認を貫いてサインしたことが裏目と出た。
クラッカーによる硝煙反応の陽性を盾に、共犯者のパピに全てを押し付けようとしたのが痛恨の間違い。
譲の殺害も前田によるものとされた。共犯者の役割は物盗りの専念で、むしろ瑛史郎と譲、共に殺害の実行犯は前田とされたのだ。
強盗殺人罪、犯した罪は二人殺せば死刑は確定的だ。
後から瑛史郎の殺害だけは自分のしたことと言い直したが、供述調書にサインした後にコロコロと変えるためまるで信用がないとされた。
なんにしても譲を巻き込んでしまったことは、間違いなく自分の責任だ。
いつしか前田は、死刑を受け入れるようになっていた。
これまでの人生を振り返り、本当に自分がしたかったことは何だったのか? 天内の薬部屋で笑い合った時のことを思い出した。
ホンマはオレ、ヤクザやのうて人を笑わせるのが好きやったんちゃうんかな。
そうだ、本当にしたかったことは、お笑いやったんや。
今度、生まれてきたらお笑い芸人になりたい。笑いの中で生きたい。毎日そう思うようになっていた。しかし今世でそれを成し得ない者が、来世でも成し得るとは思えない。
死刑囚として拘束されてる身で、芸をみてもらう観客など刑務官ぐらいなものだ。いつしか死刑囚の身でありながら、刑務官を笑わせることを考えるようになっていた。
それは朝食を済ませて間もなくやって来た。
「おい! 出てこい!」
一人の刑務官が言う。
見ると房の外に刑務官が四人も立っていた。それを見ただけで、ついにこの日が来たのだとわかる。
房を出ると、すぐに後ろ手錠をされた。二人の刑務官が、前田の両脇を固めるようにして、後ろにも二人がついた。
「連行!」
刑務官の掛け声と共に死への行進が始まった。ついに来たとした予感は間違いない。歩く先には、等間隔で立つ刑務官たち。
疑う余地はない。死刑場へ向かう道のりだ。エレベーターに乗り一階で降りると、ここでも、死刑囚が暴れた場合に備えて刑務官たちが等間隔で立っていた。
ドアを開けて地下へと歩いて進む。教悔室に向かう。教悔室に着くと、お香の匂いが立ち込めていて、黒の漆塗りに金箔で輝く仏壇が目についた。部屋の中央にはテーブルをはさんで向かい合う椅子がある。
僧侶や神父の代わりに、席には刑務官の後藤輝元が座った。教悔室で使われる時間にコントがしたい、予めの前田の希望によるものだ。
前代未聞の前田の希望は末松重所長の心意気で許可された。後藤にはツッコミをお願いしていたが、ネタ合わせも練習も一切してきてない。
置かれた机には紙とペンが用意されている。前田は改めて周りの刑務官たちの顔を見渡した。誰もが厳粛でいて暗い顔をしている。観客としては最悪と言える。
前田の後ろ手錠が外された。
「前田君、そこに座りなさい」
後藤刑務官は、そう言って前の椅子に座るよう促した。
「コント。死刑」
前田はそう言って机の前のイスに座りかけたその時である。
ブーッ! ププッ! オナラをした。静寂の中、よく響いた。
十人近く立ち並ぶ刑務官たちは、コテコテのギャグに驚いた顔をしている。笑ってはいけない、究極の場所だった。多くはこらえて笑わない。
前田はお菓子もタバコも断った。
「前田君、遺書や。最後に残すことがあれば書きなさい」
刑務官の後藤は言った。
ペンを取る前田。紙に書いてから読み上げた。
「僕、オバQ」
何人かの笑い声がした。
「オバQって、遺書やねんからオバQに決まっとるやないかい! そこ自己紹介いらんやろ!」
「転生したらまた死刑囚だった件」
「また死刑囚ってキツイな、ホンマ! どんだけ悪いねん! ゆうか何も変わってへん設定で転生すんなや!」
「痛いの痛いのー、飛んでけー」
「知らんがな! 飛んでくの履いとるスリッパや! だいたい遺書に書くことちゃうやろ!」
「しかし今日は気持ちのええ朝でんな、気持ち良く死ねそうですわ」
「お、普通に喋るんかい。せやな、漫才許してくれた所長に感謝せいよ」
「後藤君、よう頑張った。お別れや」
「アホか! 何でオレが死ななアカンねん! 悪いことしてへんわ!」
「後藤君、遺書や。書きなさい」
「ドアホ! 死ぬのお前や!」
「化けて出るで!」
「ふざけんな! コラ!」
「おいで。おいで」
手招きしながら言った。
「なんやこの手まねきは! どこに連れてく気や!」
何も言わずに手招きした。
「その手、やめいや!」
「お前、さっきから恐すぎやぞ! ホンマにサブなってきたわ! ええ加減にせい!」
腕時計をチラリと見る後藤。
「あ、ぼちぼち時間や」
後藤が終わりを告げた。始まったばかりでいつまでも続けていたかったが、そうもいかない。ツッコミを入れてくれた後藤に頭をさげてペンを置くと、後ろにいた刑務官たちに後ろ手錠をされる。
半ば引きずられるようにして廊下を歩かされ、奥の部屋の一室に連行された。部屋にはまた黒と金に輝く仏壇が設置されていて、右側に青い色をした両開きのカーテンがしてある。
カーテンの先には何があるのか嫌でも想像が働く。
刑務官の誰もが厳粛な面持ちをして、末松所長の言葉を待った。
「前田君、これまでよく頑張った。本日これより刑の執行をします」
重苦しそうに末松は言った。
いきなり後ろにいた刑務官に目隠しされた。両開きのカーテンを開く音がする。
ああ、もうすぐ死ぬんだと思った。カーテンの開いた方へと引きずられる。
死刑執行の踏み台、今立たされてる場所がそこだと脳裏に浮かんだ。
黙々と執行へと準備が進められていく。両足を縛られ、首元に縄がかけられた。
「いよいよお別れや。最後に言い残すことは?」
後藤の声がした。
「ダメっ! 絶対っ!」
「止まるか! ドアホ!」
後藤が言い終えると、三人の刑務官は構えていた執行ボタンを一斉に押した。
鉄製の踏み板はバーンと音をたてて開き、四メートルほど勢いよく下に落下すると、前田の脛椎は一撃で砕けた。
激しく痙攣する身体を、下で構えていた森刑務官が抱き付くようにして抑える。死にゆく前田を皆が見守る中、前田を抑えつけている森刑務官が笑ってしまっていた。
「はひっ! 腹いてっ! やべっ!」
堪えきれない悲鳴にも似た笑いが、森刑務官の口から漏れる。
ニコニコしながら前田の痙攣する身体を抑えつける森刑務官。物凄いギャップの光景に、ついに我慢の限界は堰を切った。
笑ってはいけないと耐えていた分の反動は大きい。そこからは誰もが耐えられずに、大爆笑で前田のコントは見事に成功したのだ。どの刑務官たちの顔も笑っている。
「絶命! 報告します。午前九時四十四分執行。死亡、九時五十八分。所要時間十四分三秒」
胸に聴診器をあて、死亡宣告をする医務官の顔も笑っている。
爆笑に包まれるように前田は死んでいった。
完




