十八
山縣の佐々木への苛立ちは限界に来ていた。人の気も知らないで、佐々木は会うたびにおかしな挨拶をしてくるようになった。口に握った手を当てて、その手をピストンさせて会釈する。尺八のジェスチャーをしてのこんにちは。
あの野郎! やっぱり沙希とのことを盗撮してやがったに違いない。からかってやがる。あの野郎との因縁も、そろそろ決着つけてやる! 自宅マンションの湯船に浸かりながら、山縣は佐々木との対決を決意した。
◇
人々が忙しそうに行き交う昼下がりの渋谷繁華街。山縣の寝不足の目は、佐々木を捉えた。
佐々木は笑いながら近付いて、口に握った右手をあてがい、いつもの挨拶をしてきた。
「おう、ちょっと悪いな」
それに構わず山縣は佐々木に声をかけた。
「は? 何ですか?」
「近くで事件あってな。ボディーチェックだ。形だけでも協力してくれ」
「はーっ。早くしてくださいよ」
佐々木はため息をつくと面倒くさいと言わんばかりの顔をした。一通りポケットを探り、軽く佐々木の背中を叩いた。
「おう、悪かったな。行っていいぞ」
しばらくして西宮が山縣の所に来た。
「お待たせしました。なかなかトイレが空かなくて」
「いや丁度いい、向こうに佐々木がいんだろ」
「え? どこです?」
「新しくできたラーメン屋のあたりに」
「ああ、いますね。はい」
「あいつ挙動おかしいな」
「え!」
「悪いけどお前が行ってきてくれないか」
「すまんけどオレは、だいぶ熱があるみたいで帰らせてもらうよ」
額に手をあてて山縣は立ち去った。
佐々木の背中に近付いていく西宮。
「おい! 佐々木!」
佐々木はふて腐れたように顔を背けた。
「佐々木、そこの壁に手をつけ!」
西宮は壁を指さした。
佐々木は汚い雑居ビルの壁にかったるそうに手をついた。
「さっきも身体検査やりましたよ。はあ。面倒臭ぇな」
ボディーチェックをする西宮の手は、スーツの上着の右ポケットで止まった。
小さな袋が出てきた。
「おい! これは何だ?」
「な!」
中を開けて覗き見る西宮。覚醒剤が入っていた。西宮は佐々木を逃がすまいと上着を掴む。
「バカな! 違う! こんなことはあり得ない!」
「あいつだ! 山縣が!」
「テメーら! こんなやり方が通るとでも」
服を掴んだ手を振り払おうとした佐々木の右手が、西宮の右頬への打撃となった。
「貴様っ! 抵抗するか!」
「ぐはっ!」
西宮の骨法による掌打が、佐々木のこめかみを捉えた。佐々木はその場に足元から崩れる。
腰のベルトに通した手錠ケースから、素早く手錠を取り出すと佐々木の両手に掛けた。
「公務執行妨害だ! 佐々木景政、十五時二十三分現行犯逮捕!」
試薬はまだだが、覚醒剤所持に使用の可能性も当然ある。西宮は手柄に震えた。
◇
その日の夜になって、山縣は自宅から西宮に電話をかけた。
――もしもし。
すぐに西宮は電話に出た。
「悪いな、西宮。少し話せるか?」
――大丈夫です、山縣さん、熱は大丈夫ですか?
「ああ、少し休んだら良くなった」
――こちらも話したいことがあります。
「なら先に話してくれ」
――はい。佐々木の奴が、山縣さんが仕込んだ物だと言い続けてまして。
「いいか、西宮。佐々木は悪党だ。佐々木の話に耳を傾けるな」
――わかってます。あまりしつこいもんですみません。
暫し流れる沈黙のあと、山縣は口を開いた。
「こっちの話しってのは、一つ目はオレは警察を辞めることにした」
――え! 何故です?
「佐々木がオレを有ること無いこと、誹謗中傷してくるのが、わかってる」
佐々木が自分の覚醒剤使用の疑いを既に喋っているだろう。まして沙希とのことを盗撮されていたならどうしようもない。
なんにしても、とにかくシャブ抜きが必要だ。だが盗撮されていないのなら、証拠は全くないから逃げるように辞めても警察は動かないだろう。だが、もう職場が警察では精神がいい加減に厳しい。
「だからもう面倒臭くなったから辞める」
――そんなことで。
「二つ目はな、出所は匿名だが売人の情報がある」
「名前は滝里香介、三島のとこのだ。電話は、090‐××××‐××××、住所は渋谷区神泉町××××マンション四〇一だ」
――はい。あたらせていただきます。
「西宮、一緒に仕事できて良かった。ありがとうな、話は以上だ。じゃ」
――山縣さん!
西宮の呼びかけには応えず電話を切った。