十七
前田は左眼球の摘出手術をした後、そのまま入院となった。面会に佐々木若頭が訪ねてきた。病院の場所は青根からでも聞いていたのだろう。
「前田、おう、大丈夫か?」
前田はベッドに横になり、顔を佐々木に向けはしたが、返事はしないでいた。大丈夫なわけがない。
「あの後、青根が指持ってきた」
ベッドの横の椅子に座ると佐々木が小声で言った。病室はカーテンで仕切られているが、他の患者も入院している。
「それに約束の金もだ。百ある」
佐々木は前田の枕元に封筒を置いた。
「悪かったな。まさかのまさかでよ」
「坂本組とは兄弟分としての付き合いがある」
「指詰めた以上は、坂本組とはこれでおわりよ」
前田は黙って聞いていた。期待してなかったが、佐々木が仇を取る気がないのはよくわかる。
三島のオヤジに直談判する気でいた。
自分とデリヘルの女が組んで、柿澤をハメたとする偽りの情報。佐々木が取りなして、一旦は三島のオヤジは信じているかも知れない。
だが失った自分の左眼を見て、三島は何と言うだろうか。
「それからな、オヤジに話もってくなよ。破門されるぞ」
それを見透かしたかのように佐々木は言った。
「え!」
「元はと言えば、テメーが堅気ハメたことが始まりで、あちらは指詰めしてる」
残った目から涙が溢れてきた。どうして真実は自分にあるのに、話を聞いてもらえないのか? こんな組に入った自分が間違いだったと理解した。
「若頭……」
涙声になった。
「ん? 何だ?」
「組、辞めさせてください」
泣きながら言った。
「馬鹿野郎! 次の幹部はテメーだ! 弱音なんか吐くんじゃねーっ!」
佐々木も涙声で応えた。
組織とは、時に間違いや不条理を受け入れることだと前田は思った。正しいだけではやっていけない。間違いと不条理を上層部のために、その身に受けきった時に、幹部への道が開かれるケースもある。なりたかった幹部への道が、このように開かれるとは思いもしなかった。
◇
佐々木は病院を出ると、さっきからどうも胸くそ悪い気分でいた。
堅気を苛めるなという三島の教えを前田に教えた。だが堅気を苛めることを習わしとしてきたのは、他でもない佐々木自身だ。
三島のオヤジの話を歩きながら思い出す。オヤジが言うには不動産バブル、あの時からヤクザは変わったんだと言う。あの時にヤクザが金をもった。
持ったことがないものまで、急に金を持つことでおかしくなる。堅気を苛めることが金になると気付いてしまった。価値基準が任侠から遠ざかったとオヤジは嘆く。
そしてバブル経済崩壊後以降は、今度は金に困ることにより一層それが鮮明になったと。
ヤクザも右翼も、任侠や思想だけでは、メシが食っていけるわけではなかった。
堅気を追い込んだ前田が悪い? 佐々木は堅気を追い込んだことは数え切れない。もしも履歴書というものを書くとしたなら、特技は堅気を追い込むことと書かないと嘘になるくらいだ。
坂本組には借金がある。長く返せないでいたが、それこそが坂本組が他組織に頭があがらなくするよう、戦略的に貸し付けを行ってきたものだとはわかる。わかったところで、どうしようもない。
前田を折檻することにはなったが、本当にこれでよかったのか? 自分の若頭としての面子は立ったのか? 堅気を苛めすぎたことへの折檻、それなら仕方ないと丸め込んだが、堅気を苛めるのはいつものことなのだ。
矛盾が生じる。芝居のはずが約束の範疇を超えて、前田は大怪我までさせられた。
これではいくらなんでも報復しないといけないところを、見事に幹部の青根が指を差し出した。
坂本組が入りこういう結果になったが、坂本組が入らなければ、どのみち柿澤の件は警察沙汰になっていたと思われる。弱味があったればこそ柿澤は警察に行かないでいたが、あれ以上、追い込めば有無を言わさず警察に駆け込んだことだろう。そうなれば前田の逮捕は目に見えている。
そうだ! これでよかったのだ! そう思うと胸のムカつきはいつしか消えていた。
前田が抜けたエンジェルソースのことも気になる。しっかりやれてるか様子を見に行くことにした。