表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
奇跡の更生  作者: 浮舟
16/25

十六

 坂本組の企業舎弟が所有する港の倉庫の一つ。そこに坂本組の監禁部屋があった。

 広い倉庫の室内の中にある防音のコンテナハウス。

 坂本組幹部の青根将吾は、そこで弟分の窪川稔が前田を連れて来るのを待っていた。ここに連れてくる場合、だいたい殺すと決まっている。

 係留してある小型のクルーザーで沖に死体を沈めにいく、死体の隠滅も早い。

 だが、今日は殺しは必要ない。芝居の演技をするだけでいいとなっている。

 いつもこんな楽な仕事だといいのになと考えていたら、窪川が前田を連れて到着した。

「あんたが前田さんか。聞いとると思うねんけど、狭いのは堪忍やで」

 青根はすまなそうな顔をしてみせた。部屋の真ん中に置かれている檻は、猪用の箱罠だ。

 幅一メートル、奥行き二メートル、高さ一メートル。立ち上がることはできない。座ることがやっとの広さ。     

 実際、こんな檻に入らなくてはならない前田が哀れに思える。

「トイレとか行くんやったら先に行ってな」

 何も喋らない前田。

「兄貴が聞いてくれてんのに黙りとはなめとんのか!」

「ワレ、関西やろ。オレはワレみたいなの嫌いやねん」

 段々にヒートアップする窪川。

「あまり言うことやないねんけどな。オノレがやっとることあれやで、阪神の応援席で巨人応援してるようなもんや! 関西人のくせしてよう」

「よせ! それ以上言うなや」

 窪川を静止した。

 前田は開かれた檻に、犬のように身を屈めて無言で入った。

 窪川が南京錠で鍵をかける。

「柿澤さん、呼んであるさかい、もう少しの堪忍やで」

 前田は地面に顔をつけるように土下座の姿勢となった。全身が震えていた。先程からずっと泣きながら黙り続けている。一言の返事すらもしないままだ。

顔を地につけての土下座の姿勢は、リクエストしたわけではない。泣き顔を見られたくないようにしていると思われた。

 青根は前田の立場になってみた。坂本組と三島組では、坂本組が格上だ。

格上ではあるにせよ、こんな屈辱を受けるぐらいなら喧嘩といきたいところだろう。だが前田の属する組織のナンバー2である佐々木が、早々に今回の謝罪話の成立を引き受けている。

 組織は前田を守るどころか見放した。いや、見放すだけならまだいい。おそらくは断ったであろう謝罪を半ば強要したのだろう。

 佐々木は坂本のオヤジに三千万もの金を借りている。無利息、無担保で催促は一度としてされていない。その毒饅頭は、今日のような日のために坂本のオヤジが事前に仕掛けた罠だ。

 悔し涙を流し男泣きする前田に、青根は同情の念を禁じ得ない。同じ極道として前田が堪え忍んでいるのは、上の命令によるものだと、わかりきっている。

 前田に筋があることも、話を聞いてわかっている。お抱えの女の子を守ろうとしただけなのだ。それ以後の恐喝はあったにせよ、やったことからして柿澤の罰金は当然と言えた。

 金も力も、こちらが上だということにより、筋を曲げさせて屈服させているのだ。青根にとってもあまり気分がいいものではない。

 そうとはいえ、自分に与えられた任務はキッチリこなすしかない。

弟分の窪川が一旦部屋を出ると、次に戻る頃には柿澤を伴って部屋に入ってきた。

 柿澤の眼前に、憎き前田を対面させる。前田は土下座の姿勢で顔を伏せて震えたままでいる。

 柿澤は、屈んで檻に寄り添うかのようにした。

「柿澤さん、これで気がすみましたやろ」

「うちも殺しまでは受けてへんさかい、ほなこれでしまいに」

 青根は公開リンチの解散を早々に促した。

「ちょっと待ってください。私はこいつに話があります」

 柿澤が言うと皆が黙った。

 前田の嗚咽だけが部屋に響く。

 鉄格子の隙間から、柿澤は左手を入れた。左手で髪を掴み上げ前田の顔が見えるようにした。

「グッ」

 前田が唸った。目は真っ赤で涙が溢れ、唇はわなないて震えている。

「なあ、ゴミ!」

「オメーのせいでオレはたくさん失ったよ」

「どれだけ失ったと思う?」

 柿澤の語りかけに前田の返事はない。

「なあ、ゴミ!」

「オレはずっと努力してきた」

「それこそ小さい頃から、厳しく育てられてきたんだ」

「どれぐらい厳しかったと思う?」

「ゴミのお前に言っても、わからないだろうな!」

「とにかくだ! 死に物狂いで努力し積み上げてきた物が……」

「ゴミのせいで全てが台無しだっ!」

 一瞬の出来事だった。言い終えると柿澤は、隠し持っていたフォークで、前田の左目を突き刺した。

「ぐわーっ!」

 前田は瞼を閉じたが、瞼の皮膚を貫通して、フォークの尖った先は、眼球に深く刺さった。前田は両手で左目を抑えたが、刺さったフォークは抜けないまま流血していた。着ている服も血に染まる。

 まさかの展開に唖然とした。

 全て芝居の楽な仕事と踏んでいたら、とんでもないことが起きた。

 青根はこの場をどう納めるか、すぐに判断した。

「柿澤さん、これはやりすぎと言うか話に聞いてへんことや」

「あんたは、すぐにこの場は帰ってくれ!」

柿澤は口で息を切らしながらも、前田の目を刺したことは満足を感じているかのように笑う。

「もたもたすんなや」

 そう言われると柿澤は黙って部屋を出ていった。

 こうなった以上、前田を殺すこともチラリと考えたが、誰がやったかあまりに明白すぎる。

 窪川と二人で、前田を檻から引っ張り出す。左目に刺さったままの痛々しいフォークはそのままにした。

「前田さん、大変申し訳ないことをした」

 柿澤を帰した後に青根は謝った。

 前田は血塗れのまま呻いていた。

「おい、タオル何枚か持ってきてくれ」

 青根は上着内ポケットに仕込んでいたドスを取り出した。置かれたテーブルの上に左手を置く。小指の第一関節にドスをあてがい指詰めに集中した。

 ハンマーのようなもので叩き落とす道具が欲しいところだが、あいにく指詰めなどすると想定して準備などしてきてない。何か叩ける道具がないかと部屋を見渡したところ、これといって丁度いいものは何もない。

 そのうちに窪川がタオルを持って戻ってきた。

「よし、窪川! ワシの指の介錯せい」

「え?」

「早せい!」

「兄貴の指を! そんなんできまへん!」

 頼んでも無駄と知ると、あてがったドスに体重を乗せるように左小指に押し込んだ。集中し一撃で落とすことを意識していたが、痛みが強くて力の落とし所を動かしてしまった。なかなか落ちない指に激痛と苛立ちを感じる。

「アホンダラ! 介錯もできひんのか!」

 額から流れ出る汗。手こずっても余計に痛いだけだと悟ると、改めてドスに向かって前屈みになるように体重を乗せた。

 やっとの思いで落とした指を大事に拾う青根。

「前田さん、この指は佐々木さんにお渡しするが、前田さんに対するお詫びやから」

 傷口は心臓の鼓動とともにズキンズキンと傷んだ。

 その指詰めは必要なことだった。三島組長に佐々木がとりなすことなくこの件が知れれば、抗争になるのは目に見えている。実際には手出しはしないとする約束を破ったのだ。

 タオルで巻く前に傷ついた左小指の切り口を見ると、血まみれではあるが切り口から骨が飛び出しているのが見える。

 自由になる右手で携帯から電話をした。

 窪川は青根の左手にタオルを巻いて抑えた。

――はい、こちら外屋外科。

「もしもし、あの外屋先生に代わってください。青根言います」

 間もなくして外屋直樹が電話に出た。

――はい。外屋です。

「外屋先生、すんまへんが指詰めしまして」

――え? またか!

「そちらにこれからお伺いしてもええでしょうか?」

「今回、指詰めたの自分ですねん」

――駄目だと言っても来るんだろ。

「はい、すんません」

 青根が言い終わると電話は切れた。

 青根は前田の方を向いた。

 前田は何も喋らないまま、息だけ荒くしている。そんな前田を倉庫を出て、セルシオの後部座席に乗せると、青根も隣に座った。窪川の運転で病院に向かう。眼科もある総合病院の近くで前田を降ろす。

 青根は車中、先日に立ち会った外屋外科での手術を思い出した。麻酔をして骨をリュウエルで削る。縫合し石膏で固定して包帯を巻く。麻酔が効きにくいのか、連れて行った組員は痛がっていた。青根はブルっと身震いした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ