十四
コンビニの弁当コーナーには、美味しそうな弁当たちが並んでいる。
肉に焦げ目のついた照り焼きチキン弁当を食べたいと園部夕花は二つ手に取った。
レジに目を向けると客が列をなしていて、店員は客をさばくことに集中している。
こっちの様子に気付いてはいないようだ。
弁当を手提げバックに放り込むと足早に店を出る。店を出てからは、駆け足で住まいのボロアパートに戻った。
夕花は部屋に入ると、先ほど盗んだ照り焼きチキン弁当を一つ、布団の上で胡座をかいている父親、園部規矩雄の前に置く。
四畳半の風呂無しボロアパートの室内には、家具らしきものは一つもない。敷かれっぱなしの布団だけが二組あるだけの部屋。六月の暑さだというのにエアコンすらなかった。
父、規矩雄からは弁当をあげたのにありがとうの一言もない。一瞬ため息をついたかと思うと、規矩雄は箸をつけないでいた。
この弁当のために、娘は泥棒をしたのだと嘆いているのだろう。だがしばらくすれば、規矩雄が食べだすのは知っていた。盗んで食べる生活は既に半年は続いている。
バブル経済とやらが崩壊し、年々暮らしは悪くなっていった。
半年前に母親の洸子が離婚により出ていくと、規矩雄も住んでいたマンションを夜逃げして、このボロアパートに引っ越した。ボロアパートでの生活は食事にも事欠いた。
規矩雄はこれではいけないと、説教めいたことでも言いたいのか、まだ食べようとしていない。しかし盗んだ弁当とはいえ食べなければ死ぬ。そのため説教などできないでいるのだろう。
そんな父を無視して迷わず、弁当の蓋を開ける。弁当は照り焼きチキンの他に、揚げ物、彩り豊かな野菜が盛り込まれていた。一口食べると、口の中に広がる旨味が栄養失調の体に染み渡る。
規矩雄が働いて、家に金を持って帰ることはない。
不動産屋の成れの果て、喫茶店ブローカーだと仕事を嘆く父。聞いたことがない職業だったが、全くお金にならないというのだけはわかる。
ボロアパートの家賃は滞納している。電気もガスも止まっていたが水道だけは使えた。
「照り焼きチキン、美味いな」
規矩雄も食べ始めると照り焼きチキンの味を褒めた。
「糞親父! 食べるなら早く食えよ!」
父への怒りがこみあげ罵声を浴びせた。
規矩雄の目に一瞬、殺意のようなものが見えた。離婚して母がいなくなって以来、家庭環境は劣悪を極める。一家無理心中の事件になるのではないかと本気で思える。
事ここに至っては、生きてくには売春しかない。夕花は十六歳で痛切に思った。
◇
就職活動の一環として引き寄せられるかのように夕花は度々、新宿歌舞伎町に見学に来ていた。新宿歌舞伎町、ここで働けるようになり自立していかなければならない。歌舞伎町に来る度に決意は強くなる。
新宿コマ劇場前に、いつものように昼間から座り込む。学校は当然、行っていない。それどころじゃないからだ。行き交う人の流れを見ていると、好奇の眼差しをしたヤクザ風な薄気味悪いオジサンが近付いて声をかけてきた。
「何してるの?」
「暇してる」
夕花は何て答えてよいかわからず適当に答えた。
薄気味悪いオジサンは、短髪ソフトモヒカン、小太り体型で三十代くらいに見える。
「暇してるんだ」
「あれ持ってるよ!」
オジサンは少し考えるかのように間を開けてから言った。
「あれって何ですか?」
聞きながらも、あれと言う言葉の響きにワクワクした。
オジサンは右手と左手を握ったままに夕花の面前まで手を伸ばしてきた。
「どっちもだよ」
オジサンは、両手の握った拳を開いてみせた。右手の手の平にはテカテカとした小さなビニールの中に、無色で透明な結晶のようなものが入っているのが見て取れる。
左手の手の平にはタバコのように巻かれてはいるがタバコよりも細く、なんだか雑に巻かれたようなものが二本ある。どちらも実物は初めて見たが、何かはわかる。
それよりも気になったのは開いて見せた両手の指が、左右共に幾つも欠けているのが目についた。
「右と左、どっちが好きなの?」
楽しそうに聞くオジサンの質問に答えられないでいた。
「立ち話もなんだから、そこのお店でおごってあげる」
「おごってくれるんですか?」
丁度、お腹も空いていたしオジサンについていくことにした。両手に出して見せた物も気になる。
ファーストフードの店のカウンターで、ハンバーガーセットを二つ注文して二階の席へと上がった。店内は空いていて、他の客と少し離れた二人席のテーブルに座ることにした。
「あたし、ちょっとお手洗い行ってきます」
一旦は座るも、そう言ってすぐに席を離れた。
トイレに入ると鏡の前で、どうしようか考えていた。一刻も早く自立しなくてはいけない。あのオジサンなら十六歳の自分でも、働き先を紹介してもらえるのではないかという考えがわいてきた。
そう思うとトイレから出て、自分の席の方を見る。
すると、さっきのオジサンがコーラの蓋を開けて、何かを混入しようとしている姿が見えた。夕花の視線に気付いてか、さっと手早く蓋を閉めて何事もないかのような態度をしている。
「あたし、これ飲まないです。今、何かしてましたよね」
席に戻り座ると言った。
「見てたの?」
オジサンの目に困惑した光が宿った。
「あたし、仕事を探してるんです」
「え? 仕事?」
「うちで働きなよ!」
驚いた顔から、嬉々とした表情にオジサンの顔が変わる。
「あたし、働けますか? その、歳が十六でも?」
「ファンタスティック!」
「あの、実は家出して住むところもなくて」
「ファンタスティック!」
自身の悩みを、ファンタスティックとまるで意に介さないオジサンに、運命の出会いかのように感じ始めていた。
「うちがやってる店、紹介するよ。でもね一つだけ足りないものが君にあるよ」
「何かわかる?」
「何ですか?」
「覚悟だよ! 今からホテル行くよ」
「オレの名前は鉢平ってんだ。君の名前は?」
「園部です。園部夕花」
自立したかったのではない、堕ちたかったのだと夕花は段々に気付き始めていた。
ホテルで、パピに勧められるがままに夕花は覚醒剤を吸った。若すぎる夕花にはあまりにも衝撃的な体験。その瞬間から人生の中心が覚醒剤となり、人生の最上のものが覚醒剤となった。