第3話 志田泳斗
【八日前】
7月26日。
「こんにちはー。三宅のばあちゃんおるー?」
時刻は昼過ぎ。航はクーラーボックスを携えて三宅家の玄関にいた。
足元で腹を見せつつ転がるポンを撫でながら航が呼び掛けると、家の奥から「はいはい、今行きますよ~」としわがれた声が返ってきて、ほどなくしてゆっくりとした足音と共に老婆が現れる。
航の祖父母よりも年老いている彼女は、航を見るとシワだらけの顔を優しく綻ばせた。
「わーちゃん、いらっしゃい」
「こんにちは。これ、父ちゃんから。今朝獲れたアジとスズキ。こないだのキュウリのお礼じゃって」
「あらぁ、ありがとうなぁ。えいちゃーん、ご近所の水内さんにお魚頂いたで~」
ばあちゃんが家の奥へ声をかけると、程なく居間の方からひょっこりと少年が顔を出した。
昨日見たのと同じ人物だ。少年は航のことを警戒しているのか、恐る恐るといった雰囲気でこちらの様子を伺っていた。
「東京に住んどる孫の泳斗じゃ。今は病気で声が出んのじゃけど、昔は明るくておしゃべりでなぁ…。ほれ、えいちゃんこっち来い。この子、お隣の航ちゃん。挨拶し」
ばあちゃんが手招きすると、強ばった表情で泳斗は玄関までやって来た。
泳斗の手に光る銀色の板をみて、航は目を輝かせる。
「えっ!!それスマホってやつ!?」
急に大声を上げられ、泳斗の肩がびくっと跳ねる。
冷や汗をかきながらも泳斗は頷き、それからスマホにフリック入力で文字を書き、画面を航に見せる。
『志田泳斗 しだえいと です。高校三年生です。』
「すげー!!」
目をキラキラと輝かせる航に三宅のばあちゃんは笑う。
「わーちゃん、麦茶飲んでいき。水羊羹もあるけぇな」
「やったー!」
扇風機の回る居間、座布団に座って軒先で昼寝するポンを眺めていると、台所の方から麦茶の入ったグラスと皿に乗せた水羊羹を持って泳斗がやって来た。
うっすらと聞こえてきた会話から察するに、三宅のばあちゃんは電話対応中らしい。
泳斗がちゃぶ台にグラスと皿を置く。
麦茶の中の氷同士がぶつかって、小さく涼しげな音が鳴った。
泳斗はそのまま退室しようとするが、航は咄嗟に彼の手首を掴んで引き留める。
汗ばんだ小さな手の暖かい感触に、泳斗の体がぎくりと強張るが、航はお構いなしに目を輝かせて泳斗の胸ポケットのスマホを注視していた。
「なあなあ、さっきの文字書くやつどうやってやったん?もっかいみして!」
「…」
観念したように泳斗は頷くと、航の隣に座り、見えやすいように彼の目の前で遅めの速度で文字を入力して見せた。
『こんにちは こういう感じ』
「えっ!?何!?早っ!わからん!!都会じゃ!!」
『わたるくんはスマホもってないの?』
「持っとらん。おれが、っていうか、この島の人みんな持っとらんよ。基本 家電で、父ちゃんくらいの歳の大人は二つ折りのやつ使っとる」
『そうなんだ パソコンとかは?』
「学校の授業でちょっとやるけどうちには無ぇ。じいさんばあさんばっかじゃし、多分持っとる家は少ねぇと思う」
うきうきした様子で、航は興奮気味に泳斗に言う。
「なあなあ、もっと都会のこと色々教えて!泳斗さんってバスとか電車乗ったことあるん?あっ、テレビで見たけど、東京には『たぴおか』とか『ぱんけーき』とか変わったおやつあるんじゃろ!?」
「ほっほっほ。すっかり懐いとるなぁ」
電話が終わったらしいばあちゃんが笑いながら居間に入ってきて、よっこいしょ、と座椅子に腰掛ける。
それから、泳斗の方を見て言った。
「えいちゃん。せっかくじゃし、休みの間航ちゃんの勉強見てやってたらええが?えいちゃん、学校の先生目指しとったじゃろ?」
「えっ、そうなん?頭ええんじゃなぁ」
尊敬の目で見つめられ、泳斗は少し頬を赤らめつつ、悩ましげに視線を泳がせる。
が、結局、しばらくして了承の意を示すようにこくんと頷いたのだった。