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第2話 二人の出会い

【九日前】


7月25日。


蝉の合唱と15時を告げる島内放送の音楽を背に、スポーツバッグを肩にかけた水内航みずうちわたるは腕に朝顔のプランターを抱えて歩く。

日本にある学校のほとんどは今日から夏休み。

それは瀬戸内海に浮かぶ総人口417人の離島、乙波となみ島において唯一の中学校、乙波中学校も例外ではなかった。


航はこの島に住む中学一年生だ。

生まれて13年間、ずっと乙波島で生きてきた。

父も、その祖父母も、…離婚して島を出ていった母も。皆、乙波島の出身だ。

のどかで平和で、外部の人間も滅多に来ず、娯楽だって何もない。

航は、生まれ育ったこの島が大嫌いだった。


「…あちー…」


ひとりごちりながら住宅街へのあぜ道を歩く。

全員が顔見知りと言って差し支えないほど島民は少ないのに、島の面積は無駄に広く、通学路は相変わらず長い。

それが航がこの島が嫌いな理由のひとつでもあった。

航の後ろから、同じようにミニトマトのプランターを抱えた小学生四人が笑いながら彼を追い抜いていく。

五年生の少年二人と四年生の少女、その後ろをついて走る一年生の少年。

この四人が乙波小学校の全校生徒だなんて話は、きっと島外の人間ならにわかには信じられないだろう。


「…子どもは元気じゃなあ」


自身とそう歳の変わらない少年達の背に呟き、また歩き出す。




田んぼを通り抜け、小川にかかる橋を通ろうとして。


航は足を止める。


橋の横で、少年三人がスポーツバッグとプランターを地面に放り、何かをやっていた。

見ると、ライターで手持ち花火に火をつけ、地面のアマガエルに火花を浴びせているようだった。

カエルが痛みと熱さに逃げ惑う様を見て、少年達はゲラゲラ笑っている。

同じ中学校の不良、二年の松林まつばやしとその子分達だ。

見つかると厄介じゃから遠回りしよう、と踵を返しかけた時、運悪く子分の内の一人が航に気付いてしまった。


「お、片親のクソ内じゃ」


その声に他の二人も航を見る。

三人の中で一番体格の良い少年、松林が花火を放り投げ、カエルを踏み潰して航に詰め寄る。

内蔵をぶちまけて死んだカエルをちらりと見、航は眉をしかめた。


「おう、何ワシらんこと無視して帰ろうとしよるんな?」

「…しとらん」

「はあ?調子乗んなよクソ内!」


言って、松林は航の鳩尾に思いきり拳を叩き込む。

航の手からプランターが滑り落ち、土が松林の靴を汚した。


「ぐっ…!」

「おい!おめえのせいで靴汚れたんじゃけど!」


そう言いながら、松林は航の後頭部の髪を掴んで顔面を地面に叩きつけ、航の顔で花を擦り潰すかのようにぐりぐりと朝顔を押さえつけた。

支柱が頬を切りつけ、口の中に土と植物の青臭い味が広がる。

吐き出そうと顔を上げると、子分が火の付いた手持ち花火を航の顔面に当ててきた。


「あああっ!あづっ!!」

「ぎゃはははは!!」


地面を転げ回る航を見て、少年達は大爆笑する。

他二人も花火を持ち出し、ひとしきり楽しんだ後、三人は楽しそうに去っていた。


地面に仰向けになり、蝉時雨の中しばらく呆然と夏空を見上げた後、航はゆっくりと立ち上がってプランターを起こす。

朝顔の蔓は捻れ曲がり、葉っぱ達も千切れ、今朝まで立派な花を咲かせていた青の蕾は地面の染みになっていた。


「…おれのせいで、ごめんな」


呟きながら朝顔を植え直す。

それから、潰れたカエルにも土をかけてあげ、顔の泥を腕で乱雑に拭い去り、バッグをかけ直しプランターを抱き上げ、橋を渡る。




小高い坂道の住宅街。

狭い道を通りながら振り返ると、田んぼと校舎の背景一面に青い海が見える。


海は好きだ。どこまでも広くて大きくて綺麗で。

…この向こうに本州があって、そこにはこの島よりも広い世界があって、たくさんの人がそれぞれの人生を生きている。

そうやって海の向こうの遠くに思いを馳せるのが、航の数少ない趣味の一つだ。




慣れ親しんだ民家達の前を通り、ふと足を止める。

水内家の近所の三宅みやけ家だ。三宅ヨネ子という名の老婆一人と雑種犬のポンが住んでいる。

三宅のばあちゃんは小規模ながら畑をしていて、自分が食べるだけでなく時折直売所に出品もしている。

夫は数年前に他界し、子供達もみな結婚や就職で島を出ていっているため、たまに航も自身の祖父母と一緒に農作業を手伝っているのだ。

その為、航とポンは仲が良い。

航にとってポンはこの島で唯一の友達と言っても過言ではなかった。


「おーい、ポン~」


軒先の影に落ちている焦げ茶色の塊に呼び掛けると、丸まって寝ていたポンはピンと耳を立て、キラキラとした目で起き上がり、航の元に駆けてきた。


「ワンワン!ワフン!」


ポンは玄関のフェンスに捕まり立ち、へっへっへ、と舌を垂らしてもげそうなほど尻尾を振る。


「よーしよしよし」


航もフェンスの隙間に右手を差し込んで、ポンの頭を撫で回した。

フンスフンスと鼻を鳴らして喜んでいたポンは、ふいに耳をピクリと動かすと、くるりと回って玄関の方を見た。

その直後にガラガラと玄関のスライド式の古い扉が開く音が響く。

三宅のばあちゃんだ。挨拶しよ。

そう考えて、航は視線を上げ。


固まった。


そこにいたのは、航がよく知っている腰の曲がったしわくちゃの老婆ではなく、見知らぬ少年だった。


年齢は航より上、高校生くらいだろうか。

黒いスエットパンツに白いシャツといったラフな格好だ。

陽に当たって少し色が抜けた癖だらけの航の髪とは正反対の、夜闇のような艶やかな黒髪。

前髪が長くて目元が見えづらいが、目の下にうっすらと隈があり、右目の下にはほくろもある。

一言で言って、この島の人間とは雰囲気が違う。


彼は航に気付くと、驚いたように目を丸くし、それから気まずそうに視線を反らした。


両者とも無言で、蝉の声とポンの息遣いだけが二人の間に響く。

不意に風が吹いて、風鈴が鳴った。


「……お兄ちゃん、だれ?」

「…っ!!」


航が問いかけたその瞬間、少年は怯えたように目を見開き、まるで化け物でも見たかのような顔で後退り、慌てて家の中へ帰ってしまった。


「…なんなん?」

「ワンッ」


後にはただ、呆然と立ち尽くす航と相変わらず尻尾を振っているポンだけが残された。



「ただいまー」


庭先にプランターを置いて、スライド式のドアを開けて家に入る。

スポーツバッグを置くために居間に入ると、祖父母がテレビを見ていた。

ニュースキャスターに真剣に相槌をうつ祖母とは対照的に、祖父はどうでも良さそうにあられをボリボリ食べている。


「お帰り。…まあまあ、まーた派手に汚れて…」

「また松林のじじいの孫か?おえんぞ航、男じゃったらガツンとやり返さんと!」

「…風呂入ってくる」


呟くように言って、航は祖父母に背を向ける。

ふと、その背中に祖母は問うた。


「そうじゃ。航、今日ヨネ姉さんにうた?」

「三宅のばあちゃん?会うとらんけど…なんか三宅のばあちゃんちに知らんやつおった」

「ああ、じゃあその子じゃ。ヨネ姉さんのな、二番目の娘さん…刻子ときこちゃんじゃったっけ。ほれ、東京に嫁いでった。その子の子供が泊まりに来とるんじゃって」

「ふーん」


脳内にさっき出会った少年の顔が浮かぶ。


「…なんか無愛想なやつじゃったよ。おれが誰って聞いてもなんも言わんかったし」

「そりゃあ、そうじゃろ」


祖父はあられを雑に口に放り込みながら言った。


「病気で声が出んようなったけぇ、夏の間こっち来るんじゃって、ヨネ姉さんが言いよったけぇの」

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