第九話
俺が公爵家に来てから、あっという間に3ヶ月が過ぎた。最初のうちは慣れなかった生活も、今では当たり前になってきていた。
「それにしてもアドル。お前の成長速度、めっちゃ速いな。」
そうつぶやきながら、アドルの放つ無数の剣戟を捌く。すでに戦闘を開始してから30分は経っていた。3ヶ月前ではおそらく立っているだけでも、ギリギリだっただろう。
しかし今では膝に手をつくどころか、呼吸を乱す様子も見せていない。3ヶ月でここまで進歩するのは、すごいことだろうと俺は考える。
「顔色変えずに防がれても、嫌味にしか聞こえないぞ!!」
アドルはそう言って、さらに剣を速く振る。しかし3ヶ月でいくら成長したからといって、しょせんは3ヶ月の努力だ。この程度の強さでは俺に勝てない。
アドルが剣を切り返そうとする瞬間、刺突を放つ。アドルはすぐに防御へと転じるが、刺突を上手く受け止められず、体勢を崩してしまう。
そしてそのままアドルの首元に剣を添える。
「ほいっ、俺の勝ち。」
剣を鞘へと戻すと、アドルがふと話しかけてくる。
「おい、シェル。今の俺は冒険者でいうと、どれくらいのランクになるんだ?」
ふむ。アドルはそんなことを気にする人柄だっただろうか?そんなことを疑問に持ちながらも、どれくらいの強さか考えてみる。
「うーんとですね。Aランクぐらいでしたら、互角に戦えると思いますよ。あっ、でもSランクよりのAランクでしたら、まだ勝てません。」
「そうか。」
そう言って、沈黙するアドル。ふむ、やはり何かあるのだろう。最近あったことと言えば…。
「勇者のことか?」
勇者…それはこの世界のもととなったゲームの主人公。遡ること一ヶ月ほど前、その主人公が教会で魔法適性を見てもらい、勇者だと発覚したのだ。
この王国の住人は10歳になると、教会にいって魔法適性を見てもらうのだ。もちろんアドルも誕生日になったら、行くことになる。
勇者は世界にたった一人しか存在しない光属性の持ち主だ。とは言っても俺みたいな例外は存在するのだが。
俺のその言葉に、アドルは目に見えて身体を揺らして反応する。うむ、当たりのようだ。しかしなぜだろう?アドルは勇者になりたいとか思っていたのだろうか?
「アドルは勇者になりたかったのか?そうだとしたらまぁドンマイだな。」
俺のつぶやきに、返ってきたのは否定の言葉であった。
「違う。俺は別に勇者を目指していたわけではない。ただ俺は勇者に勝てるのかと思ってな。」
「なぜ勇者に負けたら駄目なんだ?別にそれくらい構わないだろう。」
「勇者に負けるのが駄目なんじゃない。同年代に負けるのが駄目なんだ。俺は公爵家の人間として、同年代に負けては駄目だと思うんだ。」
なるほど、そういうことか。次期公爵の称号が、公爵家の一員という立場が、アドルの足枷になっているようだ。
「なら負けなければいいんじゃないですか?負けたら駄目なら、誰にも負けなければいい。誰にでも勝てるようになればいい。それだけの強さを手に入れればいい。」
「だが。」
「それが無理なら、負けるのを受け入れてください。別に俺は怒りません。アドルが選んだことなので。」
何かを言おうとするアドル。だがこれだけは言わせてもらおう。
「ただ強くなりたいのなら、強くしてあげます。それが俺の役目でしょう?それにアドルの師匠は俺ですよ。俺がどれだけ強いか忘れました?」
そこまで言ってようやくハッとした顔になるアドル。
「俺は最強だ。だから安心しろ。お前を世界で2番目に強くしてやる。」
アドルは大きく深呼吸をすると、こちらに視線を合わせてくる。
「そうか。なら心配はないな。あとは俺が努力をするだけということか。」
だがそれでも不安そうな表情のアドル。
「アドル。一つ言わせてもらうが、勇者という称号を得たからといって強くなるというわけではないぞ。」
何を言っているんだと思うかもしれない。それほどまでに当然のことだ。だがこの世界の人間は勇者を絶対視し過ぎている。
「勇者は単純に言うと、光属性を持っただけの魔法師だ。勇者が強いのは、光属性を使えるからだと思っているだろ?違うんだよ。光属性魔法もあくまで魔法だ。魔力がないと使えない。」
当然のことであって、誰もが気づいていない事実。
「勇者が強いのは、努力をしたからだ。光属性魔法も水属性魔法もなにも変わらない。極めればどちらも強力なものになる。勇者は光属性魔法以外になんの魔法適性があるか聞いたか?」
「土属性だ。」
「そうだ。今アドルの使える魔法の属性はなんだ?」
「火属性、風属性、土属性だな。」
「勇者は光属性と土属性だけ。お前は火属性と風属性と土属性だ。どっちのほうが、多くの魔法を使える?」
「俺だ。」
「そうだ。アドルのほうが、才能を多く生まれ持ってきているんだ。それに剣の実力だって、普通のAランク冒険者と遜色ないだろう。勇者は一ヶ月前に使えるようになった光属性魔法と土属性魔法。それに対してアドルは、昔から鍛錬をしている剣に魔法がある。負ける理由がどこにあるんだ?」
「ない…な。」
「そうだろう?お前は勇者に勝てるんだ。なのになぜ考えることもせずに、勝つことはできないと決めつけていた?お前のしてきた剣の鍛錬はなんだったんだ?勇者の踏み台になるためか?」
そこまで言って、アドルが声を荒げて怒鳴る。
「ちがうっ!!俺が鍛錬してきた理由は、勇者なんかの踏み台になるためじゃない!!お前を超えるためだ。勇者なんかに負ける訳にはいかない!!」
そう言うアドルの瞳には、先ほどまでの弱い雰囲気は消えており、覚悟の決まった強い灯がついていた。
「覚悟は決まったみたいだな。その心を忘れなければ、大丈夫だろう。それじゃあ鍛錬は終わりだ。俺は午後からの講義の準備をしてくる。」
そう言って屋敷の中へと戻ると、いつもと違ってバタバタとしていた。俺がいつもと違う屋敷の様子に戸惑っていると、専属メイドであるイヴァーナさんがこちらに駆け寄ってくる。
「シェル様、探しましたよ。公爵様がお呼びです。急いで執務室に向かってください。」
切羽詰まった様子で、どこかに行こうとするイヴァーナさん。彼女を呼び止めて、俺はなにが起きたのか聞く。
「イヴァーナさん。一体どうしたんですか?」
「スタンピードです!!一万を超える魔物の群れがこちらに向かっているんです!!とにかく急いで、執務室に向かってください。」
スタンピード…それは大量の魔物が一度に出現することだ。発生理由などはまだ分かっておらず、唯一言えることとすれば、ソレは本当に突然起きるということくらいだろう。
執務室へと向かい、ドアをノックする。すると中から、厳かな声が返ってくる。
「入れ。」
その言葉に従って部屋の中へ入ると、セイルさんとリリィさん、クロエラさんにアイシスさん、公爵家の家宰であるサーヴィルトさん、公爵軍団長であるファラスさんという公爵家の代表的存在が勢揃いしていた。
開口一番に何を言うのかと思って様子を見ていると、突然セイルさんを最初にして、部屋の中にいる全員が俺に対して頭を下げる。
「ど、どうしたんですか?頭を上げてください。」
本当に突然のことだったので、これくらいしか言葉が出てこない。俺の言葉に対して、頭を上げることなくセイルさんは話し出した。
「スタンピードが起きたことは知っているか?」
それは先ほど、イヴァーナさんから聞いた。しかしスタンピード程度だったら、公爵家でも対処できるはずだ。
「このスタンピードはとにかく魔物の数が多いのだ。一万を超える魔物の群れがここへと向かっている。」
そこでセイルさんは顔を上げて、大きく息を吐き出す。その瞳には、絶望が映っていた。
「しかし問題はそこではない。一万の魔物であったら、まだ公爵家でも対処できる。今回のスタンピードの問題点は魔物側に神獣がいることだ。」
神獣…それは神の力を持っている魔物のことだ。神の眷属であったり、神を殺したり…。まぁ神獣が神の力を持っている理由は様々だ。
だが全てに等しく言えること。それは全ての神獣がとんでもなく強いということだ。
俺も何度か神獣と戦ったことはあるが、どいつもこいつもとんでもなく強かった。それこそファラスさんなんかとは、比にもならないくらい。
なんとなく話が読めてきた。おそらくセイルさんが言いたいことは…。
「すまないが、われわれに君の力を貸してくれないだろうか?」
こうなれば俺に頼むのも当然と言える。公爵家最大の戦力であるファラスさんより強い存在がすぐ近くにいるのだ。そんな人物を頼らないわけがない。
俺はほんの少しだけ、考えるそぶりを見せる。
(俺が本気を出したら、勝てるとは思う。だけどもしそうなるとしたら、俺の正体も同時にバレる。どうするか…。)
そんな風に考えていると、約10秒ほど経つ。
(逃げることは、後からでもできる。それに公爵家にはたった3カ月とはいえ、多大な恩がある。恩なんて考えずに、見捨てて逃げろ?そんなことは、絶対にしない。)
「分かりました。微力を尽くします。」
「そうか、ありがとう。そしてこんな目にあわせてしまって、申しわけなく思う。」
そう言ってもう一度、深く頭を下げるセイルさん。
(だけど以前の俺なら、断っていただろうな。まぁこれも良い変化なんだろう。)
俺は自身の考え方が変わっていたことに気づく。
(それにしても久しぶりに本気で戦えるかもな。)
俺の心は久しぶりの戦いで、無自覚に高揚していたのであった。
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夜、アドルやアルルちゃんが寝静まった頃、俺は足音を立てないよう静かに、執務室へと向かっていた。特に問題なく、執務室の中へとたどり着く。
中にはお昼ごろ執務室にいたメンバーと、騎士団のお偉いさんたちが数名が立っていた。重苦しい雰囲気の中、セイルさんが口を開く。
「よく来てくれた。それじゃあ君たちに作戦を伝えようと思う。」
この場に集まった理由はただ一つ。それは今回のスタンピードに対する作戦を告げるためだ。
「今回のスタンピードに集まった魔物の数は約一万。その全てが狼型に分類できる。幸いなことに魔物たちは南から一直線でこちらに向かっているため、他の方向は気にしなくてもいい。」
そう言って、各々に役目を割り振っていくセイルさん。
「ファラスとシェル以外は、この領内に入ろうとしている魔物の討伐に向かってほしい。そして今回の魔物の親玉…神獣ケルベロスとの戦闘はこの領内で最も強い二人、ファラスとシェルに行ってほしい。」
妥当な判断と言えるだろう。それにしても神獣がケルベロスだったとは、意外である。ケルベロスはこの世界の神王であるユリシスの兄神の冥府神プルートゥのいる冥界の番犬をしているという神獣だ。冥界にいるケルベロスは、誇り高い精神を持っている神獣だ。
(つまり今回の神獣は野良ってことか。)
野良の神獣…それは野生の神獣ということだ。神を殺した神獣や、何らかの形で神からの支配を逃れた神獣、そして偶然が幾重にも重なって生まれた神獣…それらが野良の神獣に分類される。
「先に言っておくが、君たちは死にそうになったら逃げてくれ。これは公爵家当主としての発言ではなく、一人の人間としての発言だから、従っても従わなくても良い。ただこの言葉だけは心に留めておいてほしい。君たちは生き延びてくれ。私からは以上だ。」
そう言って話を締めくくるセイルさん。彼の言葉で俺の中の一つの疑問が解決した。
(セイルさんが慕われているのは、真面目に仕事に取り組んでいるからじゃない。いや、それもあるんだろうけど、彼が慕われている理由は多分この人柄からだろうな。)
「各自、明日の昼に出発するから、それまで英気を養っていてくれ。それじゃあ今日は解散だ。」
そう言うと、次々に人が執務室から出ていく。
俺もそれに合わせて執務室から出て、自分の部屋へと向かう。しかし素直に寝る気にはなれなかった。
「少し…剣を振るか。」
剣を手に取り、いつもアドルと訓練をしているところに来ると、素振りを始める。しかしその素振りはいつもと違い、雑念にまみれていた。
「怖いのか?戦うのが。そんなまさか?ありえないだろう。たかが神獣。その程度、難なく倒せないと最強とは呼べない!!」
自身の心に自問する。しかし当たり前のように、答えは返ってこない。
ザッ、ザッと砂を踏みしめる音が響く。
「ふむ、こんなところにいたのか…シェル。」
現れたのは己の弟子。いつもは自信に満ちあふれていたその目には、なぜか哀しみの想いが浮かんでいるように見えた。
先ほどまでの様子を悟らせないよう、瞬時に笑顔を取り繕う。
「どうしたんだ、アドル?こんな時間に訓練場に来るなんて。」
ポツリ、ポツリとアドルが喋り出す。
「お前は、なんで!?なんでそんな悲しそうな表情をしている!?」
「いつもの自身を信じて疑わない…そんなお前はどこにいった!?」
「お前は最強なんだろう?ならもっと、背筋をちゃんと伸ばせ!!」
「お前は俺にこう言った。剣の頂は基礎を極めた先にあると。だが今のお前はどうだ?極めたどころか、まともに振れてすらいないじゃないか!!」
アドルはそこまで言って、ハッとした顔になる。おそらく自身が何を言っていたのか気づいたのだろう。だが俺にとっては、良い薬になった。
「すまない。今言った言葉は忘れてくれ。だがこれだけは言わせてくれ。今のお前は俺の憧れたお前などではない。話はそれだけだ。」
そうして屋敷へと戻っていくアドル。アドルの姿が完全に見えなくなる。俺はそこで自身に違和感を感じた。
鉛色の刀身に映る自身の顔を見る。そこには口角を上げて、悪魔のように嗤う俺がいた。
「ハハッ、俺は何を感じていた?恐怖?そんなもの、俺はとうの昔に置いてきた。あの日、あの場所にな。紛い物の恐怖なんてものはいらない。俺は最強…ゆえに何にも恐怖しない。」
すでに心にかかっていた深い霧は消えていた。俺の心に昏く黒い闇を遺して。
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<三人称視点>
少年は喪った。だからまた喪わないために、全てを棄てた。
少年の心の根底には、全てを呑み込む深淵のように深い闇黒が眠っている。ソレは常に少年の心を蝕んでいる。
少年は喪った。自身を闇から救う圧倒的な光も、蝕まれた心を癒やす愛も。少年をその呪縛から解き放つ存在は、まだ現れない。
だが少年は手に入れた。心が安らぐ、自身の居場所を。それは小さな一歩だが、たしかに幸福へ進むための一歩であった。
少年が喪ったものを再び手に入れる日は、そんなに遠くないのかもしれない。