第一話
時は深夜。セイメント王国王都アリバースの路地裏を、小太りの中年男性が走っていた。男の脳内には、あらゆる疑問が浮かび上がる。
(なぜだ、なぜだ!!なぜバレた!?いや、そもそもどうやって知った!?私の計画は完璧だったはずだ。なのに、なにのなぜあの怪物共が出張ってくるのだ!?)
男は王都でも有名な商会を運営していた。繁盛するためには、どんな後ろ暗いことだってしていた。そしてそれがバレないように、隠蔽だってきちんとしていた。
「はぁはぁ。ここまで来れば、さすがに撒いただろう。応援もかなりの数を呼んだし、ひとまずは落ち着こう。」
呼吸を整えて、ゆっくりと歩き出す…はずであった。ドチャリと音がする。直後、男は地面に倒れていた。
「はっ?」
足首から先の感覚がなくなっていることに気付くがもう遅い。すぐさま激痛がやってくる。
「ああぁぁぁぁぁ゙ぁ゙ぁ゙ぁ゙ッ!!」
生まれて一度も経験したことのない痛みに発狂するが、痛みは収まらない。
(いつだ!?いつ襲われた!?気配はなかった。それに援軍はどうした?)
「やぁ!!さっきぶりだねっ!!」
子供特有のかん高い声が響く。それは先ほど体験した悪夢。男の眼には、黒髪の少女の皮をかぶった怪物の姿が見えていた。
自分程度ではなにもできないという、圧倒的な理不尽に対して怒りが湧いてくる。男は感情に任せて怒鳴り出す。
「なぜ…だ?なぜお前は俺を襲った!?俺はお前たちに手を出していない。それに害も与えていない。なのに、なぜだ!?依頼か?それともなんだ?愉しブヘッ。」
男の言葉を笑顔でのんびりと聞いていた少女が突然、無表情で男の顔面を蹴り抜いた。そしてまた表情を笑顔へと戻す。
「ひっどいなぁ。人を殺すのが愉しいだなんて、そんなわけないじゃん。当然、依頼だよ…ボスからの、ね。」
それにさ、と少女は言葉を続ける。
「僕たちに手を出してないから、手を出されないなんて考えは甘いんじゃない?アナタたちだって、関係ない人たちを巻き込んだりしているんでしょ?なら、手を出されても文句は言えないんじゃないかな?」
ギリッと歯を食いしばって、男は少女を睨む。しかし少女は地面に這いつくばっている男を見下し続ける。男は地面に這いつくばったまま、周囲を見渡す。
(近くに援軍がいるはずだ。)
男の内心を見透かしたように少女はつぶやく。
「ざーんねん。アナタの味方っぽい人たちは、全員四肢を切断しといたからほとんどが死んでるんじゃないかな?」
男の脳がその言葉を本能的に拒否する。男の思考はそこで停止するが、時は止まってくれない。
「じゃーねぇ。」
その言葉を最後に、男は永遠に意識を失った。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
黒髪の少女…アーシャは鼻歌を歌いながら、家族の待つアジトへと帰っていた。
「ふんふんふーん。ボス、喜んでくれるかなぁ。」
アーシャの首元にふわりと風が吹く。その瞬間、アーシャは首を高速で傾けた。直後、先ほどまでアーシャの頭があった場所を、一本のナイフが通り抜ける。
地面に深々と突き刺さったナイフを見て、アーシャはふくれっ面を作る。そしていつの間にか背後に現れていた青髪金眼の男へ、地面からナイフを抜いて振り返りざまに投擲する。
その速度は音を置き去りにして、すでに男の眼前へと迫っていた。しかし男が動揺した様子は見て取れない。男は悠然と、人さし指と中指でナイフを挟む。
「以前より弱くなったんじゃないか…糸王。」
アーシャは先ほどと違って、底冷えするような声で男に言う。
「君の方こそ、弱くなったんじゃない?ナイフを投げる速度が落ちてたよ、冥王。」
冥王と呼ばれた男が額に青筋を立てる。
「なら、どっちのほうが強いかここで試してみるか?」
「いいよ。僕としてはこれ以上君にでかい顔されるのは、嫌だからね。さっさと決着をつけようか。」
まさに一触即発の雰囲気であった。いつ戦いが始まってもおかしくない状況で、突如空中から大量の剣が降ってくる。
両者は一瞬で、その場から飛び退く。アーシャも冥王と呼ばれた男も、空中の同じ場所を注意深く見ていた。
ゆっくりと、金髪金眼の絶世の美女が降りてくる。その姿は月明かりに照らされて、まさに神のようであった。
「糸王、冥王。二人のことをボスが待っています。こんなところで争っていないで、速く戻ってきてください。」
その美女は、アーシャたちの事情などお構いなしに告げる。美女の言葉にアーシャは反論しようとした。
「だけど。」
しかしその言葉は遮られる。美女から放たれる圧倒的な威圧感に。
「口答えは許しません。それでは速く戻ってきてください。」
そう言って、美女は粒子となって消えていった。
「幻影でここまでの威圧感を出すとはな。仕方ない、戻るか。ほら。糸王、さっさと戻るぞ。少しでも帰るのが遅くなったら、どうなるか分かったもんじゃない。」
男はナイスを鞘に納めて、歩き出す。アーシャもそれに追従するように、歩き出した。先に声を発したのはアーシャであった。
「ボスが待ってるって本当なの、イグニオール。」
振り返ることなく男…イグニオールはつぶやく。
「当然だ…と言いたいところだが、俺もついさっき伝えられたばかりだ。さすがにガイアさんが、ボスのことで嘘をつくとは思えないが、俺もまだわからん。」
そこまで言って、壁に手を付けながら、イグニオールはアーシャの方を向く。
「まぁ、他の奴らも浮足立っていたから、期待していいと思うぞ。」
イグニオールの触れていた壁がゴゴゴと言って動き出す。それはやがて扉へと姿を変えた。扉を開けたイグニオールに続き、中へと入っていく。
中はバーのような雰囲気になっており、仲間たちが酒を飲んでいた。しかし雰囲気はいつもより嬉しそうで、笑顔も多い気がした。
「やっぱりボスは帰ってきたようだな。よかったじゃないか、アーシャ。」
「うるさい。黙ってて。」
辛辣に返すアーシャ。しかしアーシャの口角が上がっていたのは、やはり嬉しさが抑えられないようだ。微笑ましいなとイグニオールは考える。
バーの2階へとつながる階段から1人の金髪の美女…先ほどアーシャとイグニオールを威圧していた女性が降りてくる。そんな彼女を見て、周囲で酒を飲んでいた男たちがコソコソと喋り出す。
「相変わらず美人だな、ガイア様は。」
「確かにな。だけど俺たちじゃあ無理だよ。だって…。」
「ガイア様にはボスがいるからなぁ。」
金髪の美女…ガイアは階段を下り終えると、バー全体を見渡した。
「貴方たちも知ってるように、暗殺ギルド宵月のボスである至高の御方が帰ってまいりました。今日はそれを祝して、宴会です。もちろんお金は私たちが払います。好きなだけ飲み食いしなさい!!」
ここは暗殺ギルド宵月の本部。そして世界最高の暗殺者たちが集まる場所でもある。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
目を開けると、暗殺ギルドを立ち上げた時からいる右腕…ガイアの顔が映る。
「お目覚めですか、シェル様。」
懐かしい夢を見ていた。2年前のあの日の夢を。心配そうな顔でガイアがこちらを見る。
「どうしたんだい?」
「いえ、苦しそうな表情をしていたので。大丈夫なら、いいのですが。」
ふむ、そんな顔をしていたのか。まぁでも、少し嫌なところもあったから仕方ないだろう。だけど仲間たちには、心配をかけないようにしておこう。
「ちょっと嫌な部分もあったかもね。まぁ大丈夫だよ。」
俺の言葉に安心したように息を吐くガイア。本当に俺はいい仲間を持ったと思う。ふと、馬車がどこにいるのか気になった。
「ここは、どこかな?」
「御者によると、もうすぐ王都アリバースに着くそうです。」
王都にいる宵月のギルドメンバーを思い出す。
「六王で王都にいるのは糸王、冥王、竜王だったね。彼らと会うのは2カ月ぶりだから、本当に嬉しいよ。ガイアも連絡はとっていたけど、会ってはいなかっただろう?ガイアの弟子の魔喰いも王都にいるんだろう?」
本当に懐かしい。以前会ったのが、はるか昔に感じるほどだ。ガイアから聞くに、彼らは王都で依頼を頑張ってくれたそうだ。
「そういえばアレに関しては、アーシャに言ってくれた?」
「はい、アーシャに言っておきました。今日、処理するらしいです。」
自分の心が先ほどと違って、冷酷になっていることに気付く。でも仕方ないことだろう。お世話になった人たち…エルフィス公爵家の人たちに手を出そうとしたのだ。
「お客さん方、そろそろ検問所だぞ。身分証の準備をしていてくれ。」
御者の言葉に、思考を切り替える。再会に思いを馳せながら。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
「貴方たちも知ってるように、暗殺ギルド宵月のボスである至高の御方が帰ってまいりました。今日はそれを祝して、宴会です。もちろんお金は私たちが払います。好きなだけ飲み食いしなさい!!」
ガイアの言葉に少し気恥ずかしくなる。どうやら俺が帰ってくるのを知って、宴会の準備をしてくれたようだ。
(至高の御方って、そんなんじゃないのになぁ。それに俺たちが、お代を出すのか。別にいいけど、これは懐が寂しくなるな。)
そんなことを考えながら、階段を降りる。
「みんな、久しぶりだね。元気にしてたかい?」
バーのいろんなところから、寂しかったーなどと声が聞こえてくる。
「俺もだよ。ガイアも言っていたけど、今日は好きなだけ飲み食いしてくれ。それじゃあみんな、飲み物は持ったか?」
みんなの顔を見渡すと、ニコニコと笑顔を浮かべていた。うん、大丈夫そうだ。
「それじゃあ、かんぱーい。」
そうして宴会が始まった。
一番最初に俺のもとへやってきたのは、やっぱりガイアであった。
「どうですか?久しぶりの本部は。」
「みんな、楽しそうでよかったよ。まだ立ち上げた当初の時は楽しかったけど、ここまでにぎやかじゃなかったからね。」
感慨深げにつぶやくと、ガイアも過去を懐かしむような目をしている。
「はい、シェル様が宵月を立ち上げた時のメンバーは、シェル様と私と剣王と竜王だけでしたからね。それが今では五十人を超える王国最強と名高い暗殺ギルドになるとは。分かってはいましたが、嬉しいですね。」
そんな風に話していると、宵月の最高幹部である六王の一人であるアーシャがこちらへと歩いてくる。
「ボスっ、久しぶりです。元気でしたかっ?僕はボスがいなくて寂しかったけど、元気に過ごしてました!!」
アーシャの二つ名は糸王。これは暗殺の際に糸を使うことから、この呼び名にした。安直?いいんだよ。シンプルイズベストさ。
「久しぶりだね、アーシャ。俺も寂しかったけど、元気だったよ。」
「なら良かったです!!」
ニコニコお笑っているアーシャ。そんな彼女にガイアが話しかける。
「久しぶりですね、アーシャ。以前会った時に言っていた、私を倒すという目標は達成できそうですか?」
ガイアの存在に気づいていなかったのか、げっと言わんばかりの顔をするアーシャ。そして次に悔しそうな表情をした。
「まだ、無理。でも絶対に倒す。」
決意の籠もった声でアーシャはそう言い切った。どうやら出会ったばかりの時の自信のなかった自分からは抜け出せたようだ。ガイアも同じようなことを思ったようで、嬉しそうにつぶやいた。
「なら今後も精進するように。待っていますからね、アーシャ。」
後進が育っているようで、本当によかった。まだ全盛期は来ていないから引退する気はないが、これなら俺がいなくなっても王国最強の暗殺ギルドめあれるんじゃないだろうか?
ガイアがいつの間にか持ってきていたジュースを受け取って、口へ運ぶ。その味はとても甘く、俺の心を酒のように酔わせるのであった。
まだまだ夜は、終わらない。
^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^^
<三人称視点>
物語はまだ、始まらない。だがそれでも人の営みは、いつもどこかで起きている。それは英雄の前日譚かもしれないし、後日譚かもしれない。どこにでもある普通の家庭の日常かもしれないし、誰かの悲劇かもしれない。
世界は踊るように変わっていき、最強は新たな舞台へと舞い降りる。しかし少年はイレギュラー。その存在は世界に混沌をまき散らす。
既定路線を知っている者は言う。俺が主人公になってやる…と。
世界に希望を抱いている少女は言う。私が魔王を倒してみせる…と。
世界の悪意に触れた少年は言う。こんな世界は壊してやる…と。
様々な人たちの思惑が交差する中、シェルは再び世界に波紋をもたらす。さぁ、舞台の上で踊り狂え。君たちの物語は、まだ始まったばかりなのだから。