第十一話
俺の身体から放たれる膨大な魔力に臆したのか、アイーザは足を一歩引く。しかし自分が足を引いたという事実を認めないためだろうか、こちらに向かって大声を出す。
「アリエナイ、このワタクシが臆しているだなんてアリエナイ!!さっさと殺しなサイ、ケルベロス!!」
身体に魔力が満ち、全能感に包まれている俺は、内心がっかりしていた。
(なんだ。こんな小物だったのか…俺が第二形態になったのは。)
気づけば、目の前に黒炎が迫っている。だが俺の精神は、怖いほどに冷静であった。俺の眼には、黒炎がスローモーションのように映って見えた。
右手に魔力剣を生成。そしてそれを上へと振る。
「そんな攻撃でなにがデキル!?灰燼へと帰せ!!」
アイーザがそうつぶやいた瞬間、世界が斬れる。咄嗟の判断で、アイーザは横へ飛んだ。その判断は、アイーザの命を危機一髪で救った。
飛ぶのは紅い鮮血。空を舞うのは、魔族の右腕。おそらくアイーザがその場から動いていなければ、真っ二つになっていただろう。
はるか先にあった山は真っ二つに割れて、青空に広がっていた白雲にも切れ込みが入っていた。
「バカナ、バカナ、バカナ!!オマエのその力、その姿!!それはまるであの天魔族のようではナイカ!!」
「おいおい、本性がむき出しになってるぞ。それにそのお前の身体、本体じゃないな?」
アイーザが口をポカンと開ける。
「どうやら正解だったようだな。それと…。」
バサリと俺の翼が羽ばたく。その直後、俺はすでにアイーザの目の前に移動していた。
「さっきのは正解だ。」
耳元でそうつぶやいて、殴り飛ばそうとする。が、俺の一撃にアイーザの肉体が耐えきれず、拳が頭を貫通してしまう。
「死んだ…か。」
これでケルベロスたちの支配は解けるのかと思ったが、今だにこちらへの敵意は消えていなかった。
「仕方ない。可哀想だが、殺すしかないな。」
ケルベロスの足元に高速移動して、アキレス腱を斬り裂く。脚で身体を支えられなくなり、体幹が崩れたところで、回し蹴りを放つ。
片方が空中に飛ばされている間に、もう片方のケルベロスに向けて圧倒的火力の火炎放射を放つ。放たれた炎は、赤い炎を超える火力の蒼炎であった。
蒼炎に気づいたケルベロスが黒炎の弾丸を放つが、蒼炎に呑まれて消えてしまう。そのままなす術なく、炎に包まれるケルベロス。
直後、地面に叩きつけられる感じで、ケルベロスが着地する。ケルベロスには、すでに抵抗する気力など残っておらず、地面でぐったりとしていた。
そのケルベロスに俺はゆっくりと歩み寄っていき、魔力剣で首を斬った。
血は飛ばない。ただただ赤い水たまりが広がっていくだけだ。それは単純で、あっけない幕切れであった。
振り返って、蒼炎を放ったケルベロスのほうを見るが、いまだに蒼炎に包まれており、悲痛な鳴き声を出していた。
「終わりにしようか。」
そうつぶやいて、蒼炎の火力をさらに上げる。徐々に肉体が崩れていき、やがて全てが灰になった。
「まぁ、こんなものか。」
若干の落胆とこれから起こるであろう面倒事を憂鬱に思いながら、倒れているファラスさんのもとへと歩く。
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<Sideファラス>
一瞬だった。本当に、一瞬だった。私があそこまで苦戦した相手を一瞬で殺してしまった。どこか悲しそうな顔で、シェルくんはこちらへと歩いてくる。
「戻りましょうか、ファラスさん。」
シェルくんは私を抱え、翼を羽ばたかせて浮遊する。どちらも一言も喋ることなく、気まずい空気が流れる。
「この姿について、なにか追求しないんですか?」
頭の中にあったパズルの最後の一ピースがはまった感覚がした。
(あぁ、なるほど。シェルくんは恐れていたのか。自身の普通とは言えない姿を、見られることを。たしかにいくら強いからといって、シェルくんは10歳の子供だ。大人である私でさえ知られたくないことはある。なら俺がするべきことは、シェルくんを安心させること。)
「君がどんな種族であれ、今まで君にお世話になったことは変わらない。今、私が命を救われたこともね。それに主に関しても、大丈夫だと思うよ。あの御方は公爵家に害をもたらす人でなければ、きちんと接してくれるはずだ。」
「…なら、良かったです。」
「あぁ、だから心配するな。それに私もシェルくんの不利にならないように動くからな。」
そう言って、安心させるためににっこり笑う。シェルくんの表情は見えない。しかしまとっていた尖った雰囲気が和らいだように感じた。
再び沈黙が場を支配すること30秒ほど。その沈黙はシェルくんの「着きましたよ。」という一言で消え去った。
「大丈夫だったか!?」
主や先代当主様がこちらへと、兵たちの間を通って駆け寄ってくる。
「怪我はなかったか!?身体に違和感とかはないか!?」
シェルくんは二人の反応に若干戸惑っているようで、こちらに助けを求めるような視線を向ける。
「主様、シェルくんが戸惑っています。少々落ち着いてください。」
私の言葉にハッとした顔をする二人。その様子に苦笑してしまう。シェルくんのほうを見ると、拳をぎゅっと握りしめて俯いていた。ほんの少し、震えているようにも見えた。これは背中を押す必要がありそうだ。
「主様、シェルくんから報告があるそうです。聞いてあげてください。」
私の方を見ているシェルくんにウインクを飛ばす。余計なお世話だったかもしれませんが、これくらいは許してほしいですね。とりあえず私は見守るとしましょう。
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<Sideシェル>
ファラスさんからウインクが飛ばされる。多分、この場で全部言っておいたほうが良いのだろう。大きく深呼吸をして、心を落ち着かせる。
「俺は、実は人族じゃないんです。」
みんなが黙って俺の言葉を聞いている。これから起こるかもしれない最悪の未来、もしくは最高の未来。どちらに転ぶかはまだ分からない。だけど言わなければいけないこと。地面を向いていた顔を上げて、セイルさんの目を見てつぶやく。
「俺は天魔族なんです。」
誰も、なにも喋らない。そんな空気を壊したのは、セイルさんの一言だった。
「なるほど、だから強かったのか。」
思っていた反応とだいぶ違った。そんな俺を放って、セイルさんとファラスさんは話し始めた。
「だから言ったのじゃ。わしはシェルが天魔族だと。」
「まぁでもこっちから聞かなくてよかっただろう?シェルの成長に繋がったし。」
「うむ、それもそうじゃな。」
再び困惑する俺に、ファラスさんが本日二度目の助け舟を出してくれる。
「主様、クロエラ様。シェルくんに状況を説明してあげてください。」
「あぁ、ごめんね。実は前にシェルくんについて話したんだけど、その時に多分人族じゃないなって思ってたんだ。」
なるほどといった感じである。納得すると同時に、自分のことが愚かだとも思えてきた。
(俺はこんないい人たちを疑っていたのか。)
セイルさんが俺の内心を読んだかのように言う。
「シェルくん、きみは自分が悪いことをしたと思っているのかもしれないけど、そんなことはない。きみはまだ子供だ。僕はきみの3倍以上生きているけど、間違えることは普通にある。というか間違えないほうが、おかしいんだ。人生で何百何千とする間違いのうちの1回だ。そんなもの次から気をつけてくれれば気にしなくてもいいんだよ。」
目が熱くなり、視界がかすむ。なんだろうと思い目をこすると、こすった指が湿っていた。
(あぁ、これは涙か。転生してから流してなかったから、忘れてしまっていたみたいだな。)
この日、俺は異世界で居場所を手にした。それはまだどんな場所か分からない。でも一つ言えること。それは今、俺が幸せだということだ。
一人の兵士がこちらへと駆け寄ってくる。そしてセイルさんの前で跪いて、大きな声で喋る。
「スタンピード、収束いたしました!!」
その言葉に近くにいた騎士たちが歓声を上げる。
「勝った、勝ったぞーー!!」
「よかった、よかった。」
「俺は、俺たち生き残ったんだ!!」
一人の騎士がこちらに歩み寄ってきて、頭を下げる。
「シェル殿とファラス様がケルベロスを倒してくれたおかげで、私たちは生き残ることができました!!我々は神獣が魔物側にいると知った時、絶望しました。ですが絶望に屈せず、我らを助けてくれた英雄に感謝を!!」
そう言って騎士は顔を上げると、ニカッと笑う。
「我らにとっては、シェル殿が天魔族か人族かなど関係ありません。我らにとってシェル殿は、命を救ったヒーローみたいな存在です。それに私たちは人族や天魔族である前に、この世界に生まれ落ちた一つの命なんです。だから天魔族のシェルという自分に誇りを持ってください。シェル殿が我らを救った、その事実に変わりはないのですから。」
会話を聞いていた他の兵士や騎士たちが、「そうだぞー。」や「ありがとなー。」と言ってくれる。
今までの人生、自身が天魔族であることに誇りを持ったことなどなかった。それどころか、天魔族であることに劣等感を感じていた。しかし今は、今だけは天魔族であることに誇りを持てそうであった。
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スタンピードから数日が過ぎた。あれらの事後対応は全て公爵家の人たちがやってくれて、俺は普段通りアドルに訓練を施していた。今日もいつも通りアドルとの訓練を終えて屋敷へ戻ると、イヴァーナさんにセイルさんが呼んでいると伝えられる。
(ふむ、なんだろうか。俺の情報に関して、隠滅できないことがあったとかか?)
執務室のドアをノックする。
「入っていいぞ。」
その声は、スタンピード前に呼び出された時とは違い、覇気に満ちあふれていた。ドアを開けると、ニコニコの笑顔のセイルさんとリリィさんがいた。
「なにか良いことがあったんですか?」
「あぁ。実はケルベロスを倒したから、王家から報奨金が出たのだ。それもかなりの額だ。」
「えぇ、これで民の暮らしを楽にしてあげられるわ。」
政治関連のことはよく分からないが、お金が手に入ったことはわかる。それがこの領のためになることも。
「それで、俺がここに呼ばれた理由を聞かせてもらってもいいですか?」
「あぁ、分かった。シェルくん。これを聞く前に一つ聞きたいことがあるのだが、良いかな?」
「えぇ、構いません。」
「ここでの暮らしは楽しいかい?」
ふむ、ここでの生活が楽しいか…か。多分ここで聞きたいのは、表面的なものではない。もっと深い、心の底から楽しめているかどうかというところだろう。それなら今の俺はこう答える。
「楽しいですよ。」
俺の言葉に、二人は面食らった顔をする。どうしたのだろうか?
「すまない。シェルくんが心から笑ったような姿を、初めて見たと思ったからな。」
あぁ、なるほど。たしかに俺は、公爵家で心の底から笑ったことはなかった。口元に手を当てると、たしかに口角が上がっていた。しかしそれはあの夜のような嘲笑の笑みではなく、幸福からくるような笑みだと思った。
「それでだ。君がここにいるのが楽しいと思うんだったら、一つ提案があるんだ。シェルくん、アドルの専属執事にならないかい?」
それは予想外の一言であった。
貴族の家で雇われる。それはその貴族がまともであったら、とてつもなく幸福なことである。そしてエルフィス家はそのまともな貴族に属する。しかも貴族の中では最上位。この家で雇われ続けられれば、将来は安泰だろう。
「アドルの許可は得ているのですか?」
本人の同意…これは大事だ。アドルに伝えていなかったり、アドルが嫌だと言っているなら、俺はなりたくない。これでも弟子の嫌がることはしたくない。
しかしそれは問題なかった。
「それは大丈夫だ。アドルも許可してくれた。」
それでも俺が悩む素振りを見せていると、セイルさんが執事になることのメリットを口にする。
「執事になれば、他の家からのちょっかいから守ることができる。先日のスタンピード、あれでのシェルくんの活躍はできるだけ秘匿したけど、多分王家や一部の有力貴族にはバレている。そういう家からの刺客から、我がエルフィス家は守ることができる。」
たしかに俺の情報がどこからか漏れている可能性があるわけだ。それを嗅ぎつけた有力貴族や王家からのちょっかいを防ぐことができる…それはかなり魅力的だ。それに公爵家には恩もある。
だがそれでは俺は公爵家に与えられてばかりだ。俺からもなにか返すべきではないだろうか?だけど多分、セイルさんたちは大丈夫だと言ってくれるだろう。
考えること約十秒ほど、俺の心は決まった。
セイルさんの目を見て、ゆっくりはっきりと喋る。
「俺は…。」
空では俺の心を表すかのように、雲一つない快晴の空が広がっていた。