〈35〉挙式と旅立ち
一年の留学は、あっという間に過ぎ去っていきました。
アラベルは奨学金を獲得して引き続き留学し、そのままこちらの学園で卒業することを選びました。
私は、国に帰らずこの地でリシャール様と挙式をあげました。
旧王城に向かう坂道の途中に、かつての大聖堂があります。
城が移転するまではこの国の王族や高位貴族が婚姻や儀式を行っていたという、由緒正しい場所で結婚式を行いました。
参列した人々は少なく、伯爵の結婚としては粗末といってもいいくらいだったと思います。
それでも、アラベルやリシャールのお義母様、こちらへ来てから親しくなった留学生仲間や学園で新しくできた友人と、私たちを心から祝福してくれた人も多かったのも事実です。
リシャールは王太子殿下の側近の一人です。
殿下は学院を卒業したあとに3年半ものグランドツアーに赴き、何か国も訪れ知見を広められました。
彼より1歳年下のリシャールは1年遅れてツアーに参加し、側近として帯同したのです。
この長い長い旅のあいだに、殿下は世界の広さに気づかれました。
そして、国の向こうには更にまだ知らぬ国があり、大地が広がり、海があり、見知らぬ人々が見知らぬ生活を営むのを、見聞きしたいと希求されたのです。
しかし、国を預かる立場の彼に、旅に出る自由はありません。
思い悩まれた殿下が出した結論が、代わりとなる者に夢を託す、ということでした。
そのルイス王太子殿下の夢を引き継がれたのが、外交官を志していたリシャールでした。
そして、私はリシャールとともに旅に出ることにしました。
最初は彼からも大反対されました。
女の身で安全が保証されない旅に出るというのは、男性が旅をするよりもっと危険が伴います。
けれど、私はもう彼と離れたくはありません。
「どうか行けるところまで、ついていかせてくださいませ」と懇願した私に、リシャールは折れてくださいました。
挙式して帰国したあと、私たちは旅の用意をして慌ただしく出立しました。
最初は隣国から。
次に船にのって島国を訪れ、北上して数か国を旅し、今度は大きく南下しました。
一つの国に数か月から、長い場合は半年ほど。
彼が地方を視察する時は、私は無理をせずその国の王都などにとどまりました。
最初はグランドツアーの延長で遊興にふける怠惰な貴族、くらいの扱いでした。
しかし、訪れた国々での彼の扱いは数年もかからずに変わっていきました。
私が留学している間にリシャールの書き上げた論文が評価されはじめたこと。
数々の国を訪れ、経験を積んだ知見が、訪問した先にとっても価値があったこと。
それ以外にも様々な理由から、彼の重要性は増していきました。
そして、私もまた訪れた先で貴重な経験を得ました。
リシャールがカバーできない部分、つまり女性との外交を担当することで、私もまた王太子殿下の夢の一助となるよう努めました。
たとえば、今まで生国では取引のなかったワインを見出したり。
国が違うと、女性の服飾の色や柄の好みなどはけっこう違うのだと気づかされたり。
些細な気づきだと思っていたそれが、布織物を取引する商人にとっては垂涎の情報なのだと知ったり。
もちろん、失敗もたくさんしました。
わたしの不勉強ゆえに高貴な方の不興を買ってしまったことすらあります。
侮辱されて悔しくて泣いたことも、疲労からリシャールと大喧嘩したこともありました。
それでも迷いながらも、悪戦苦闘しても、私は彼と手をたずさえて、一歩一歩歩んできたのです。
いつしか、尋ねた国の王族の女性から、茶会やパーティーの招待を直接いただくことも珍しくなくなりました。
そんな私の転機の一つが、執筆をはじめたことでした。
リシャールは論文や新聞社への寄稿を行っています。
たまに国に帰ると、付き合いのある編集者と必ず面会するのですが、そのうちの一人が私に紀行文を書かないかと提案してきたのです。
なんでも女性向け雑誌創刊の企画があるので、その目玉となる筆者がほしいとのこと。
女流作家などほとんど存在しなかった時期ですので、ためらいもありましたが、リシャールも後押ししてくれたので一歩踏み出してみたのです。
そしてこれが、驚くほどの反響を得ました。
考えてみれば、異国を訪れるどころか、町や村から一度として離れることのないまま一生を終える人もいるのです。
旅をすることがあるとすれば、一生に一度の巡礼くらいでしょう。
すでに10か国以上を訪ねた私の経験は、唯一無二のものとなっていました。
女性向け雑誌に紀行文を掲載するだけの話が、気づいた時には他の雑誌にも寄稿するようになり、書籍として販売されるに至り、去年は翻訳版が売り出されました。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
1話1話、17時40分に投稿予定です。