〈32〉彼女の知らない後始末①
マチュー・ド・レスピナスは、執務机を挟んで向かいあう己の主君に礼をとった。
「ブリス・ド・カルタンを牢に入れました」
簡潔な事実を述べてから、そこに至る詳細を説明していく。
普段は人当たりのよいルイス王太子が笑顔を消すのは、それだけで威圧感になり、自分の非ではないと知りながらもマチューは気を引き締めた。
「か弱い少女をつけ狙うとは、高潔であるべき騎士の風上にも置けぬ」
不愉快をにじませた彼の言葉に、マチューは「おっしゃる通りです」と頷きを返した。
「騎士の内定を取り消すか?」
「殿下、どうかそれは思いとどまりください」
室内でもっとも身分の高い王太子の言葉に、護衛の騎士が間髪入れず抗った。
「なぜだ、このような男を騎士団に迎えては、騎士の名折れだろう」
ルイスがペシペシと叩いているのは、ブリスに関する報告書で、今やその紙束はなかなかの厚さになっている。
「この男を、野に放ってはいけません」
「……飼い殺しにするべき、ということでしょうか」
マチューの問いに、騎士はわずかにうなずいた。
「それに、騒動が大きくなったのは騎士団長のせいでもあります」
護衛の次の言葉に、王太子は頭が痛いというように眉間にしわを寄せた。
普段は寡黙な護衛騎士がたまにしゃべると、基本それは抗弁できないほど正しいのだ。
ブリスが起こした騒動が広く噂になったのは、本人と騎士科の友人たちの行動による。
しかしそれだけで、彼の言葉が国王陛下のもとにまで伝わるなど通常はありえない。
そのありえないことが起きたのは、騎士団長が陛下に定例会議前の雑談で伝えたからだ。
そして国王もまた、背景をよく調べずに、軽率に大会で優勝したブリスを祝福してしまった。
この行動のせいで、ブリスだけではなく、クラリス嬢のことまで王都の貴族中で噂になった。
始末のために、王太子が関わらなくてはならなかったほど、事態は大きくなりすぎたのだ。
「そうだな、自らのやらかしは、騎士団内で始末をつけてもらおう」
王太子の言葉に、その場にいる側近全員が同意を示した。
「それにしても、騎士団長はなにを考えてここまで大事にしてくれたのか」
うんざりとした様子の殿下の言葉に、マチューは自分の侍従から新たな報告書を受け取った。
「ブリスを引き立てたかったそうです」と、王太子の執務机にさらなる書類を積み上げる。
ブリスは地方男爵家の三男で、本来は王都の学院に通える身分ではない。
しかし騎士を目指して実直に磨いた実力は本物で、周囲の勧めがあり男爵は彼を地方の学校ではなくわざわざ王都へ行かせた。
2年生になると学生だけが出場する武技大会で、上級の3年生を押しのけて優勝するほどなのだから、傑出しているのは間違いない。
常に優秀な騎士を求めている王都の騎士団は、早速彼に目をつけた。
若手の騎士を何度か学院に通わせて、ブリスの指導にあたらせたほどだ。
3年生になったブリスが本職の騎士が集う武技大会に出場するという話は、この若手が騎士団にもたらした。
騎士たちは、この話題に非常に盛り上がった。
彼らは『美しい乙女との婚姻を望む騎士の卵が、困難に打ち勝って勝利と栄誉を得ようとしている』という、騎士道物語のようなブリスの行動に強く興味をいだいた。
騎士団長もまた、彼の行動に感心した一人だった。
そして、ブリスの後押しのつもりで、この国の王にこの話を伝えてしまったのだ。
マチューが作成した報告書に簡単に目を通した王太子は、「なるほど、善意からの行動だったのだな」と嘆息した。
誰かへの善意は、ときに誰かへの悪意になりえるのだとマチューは痛感していた。
この挑戦をブリスがクラリスに明かしたあと、彼女は自分の気持ちが彼にはないことを伝えていた。
『言った言わない』にならないよう手紙を送ったというところに、本気が表れている。
しかし、ブリスはこの手紙を無視する形で大会に出場した。
「せめてどこかで彼が引き返してくれていたら、こんなことにはならなかっただろうに」
王太子が示した憐れみには嘘が感じられなかった。
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