〈31〉旅発つ日③
ミシュレ家の、見慣れた家紋が刻まれた馬車が到着するのは、それから半時ほど後のことでした。
馬車から降りてきたのは、ブルネットの青年と、彼にエスコートされたマダムでした。
夫人は顔をあげて私たちを認めると花が咲くように微笑みます。
「クラリスさん、アラベルさん、お久しぶりね。
お二人とも、ずいぶんお待たせしてしまってごめんなさいね」
親し気に挨拶してくださるミシュレ伯爵夫人に、心がほぐれるような安堵を感じます。
「ミシュレのおば様、お久しぶりです」
挨拶するアラベルとともに、カーテシーで礼をとります。
「留学おめでとう、あちらでは健康にお気をつけてね。
リシャールが一緒ですから変なことは起きないかと思いますが、なにかあったら周囲の大人を遠慮なく頼るのですよ」
未成年の私たちを当たり前に心配してくださる様子に、姉妹で素直に頷きました。
「ところで」
夫人が優雅にあたりを見渡しました。
「あなたたちのお見送りはどうしたのかしら?」
当然の疑問と思いますが、私とアラベルは肩をすくめて答えにしました。
母はとっくの昔に帰ったと伝えれば、夫人はあきれ気味でした。
「むしろ、会わなくて良かったです。
下手に鉢合わせすると、あの人が何を言い出すか分かりませんから」
「まぁ、アラベルさん。
そんなお口をきいてはだめよ。
曲がりなりにもあなたたちのお母上なのですから」
夫人の優しい言葉に、「でも、あの人ってば、こないだリシャール様にも失礼な態度を取っていたから」とアラベルが拗ねるように言います。
今回の交換留学で、監督者としてリシャール様も帯同されると教えてくださったのはマチュー様です。
自分を取り巻くわずらわしさから抜け出したいという気持ちもありましたが、それ以上に、リシャール様と一緒にいられると知って留学を希望しました。
3年も離れ離れでしたから、今度は自分が国を離れるというのは避けたかった私の気持ちはきっと、王太子殿下にもマチュー様にもバレバレだったのです。
留学のための最終説明でリシャール様のことを知った母の態度はひどいものでした。
アラベルが心配するように、今回遭遇していたらミシュレ夫人にも難癖をつけていたかもしれないので、さっさと帰ってくれてむしろ良かったのです。
懐中時計を確認したリシャール様が、顔をあげました。
「母上、ここまでお見送りありがとうございました。
あちらに到着したら、帰りの船便に便りを託しますので」
リシャール様が、彼のお母さまと別れを惜しみます。
「ずっと忙しくしていたのですもの、少しゆっくりして養生するのよ。
できればでいいから、連絡を頂戴ね」
「ご心配ばかりおかけしてすみません。
必ず、こまめに便りを送りますので」
ミシュレのおば様は、リシャール様だけでなく私とアラベルも抱擁で送りだしてくださいました。
船が港を出ても、夫人が、いつまでもいつまでも手を振っていました。
家族よりもミシュレのおば様の見送りのほうが、はるかに真心がこもっていたと思うのは、親不孝なのでしょうか。
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