〈30〉旅発つ日②
マチュー様と一緒の騎士が、あの男の腕を背中で縛り上げています。
私はそれを見ながら、言い忘れていたことがあったのを思い出しました。
「あぁそうだ、あなた償いをするって言ってたわね。
そんなの永遠に無理なのよ」
私は激情の名残のまま吐き捨てました。
「私の家族は、あなたのせいでメチャクチャになった。
お互い短所がありつつも、それなりに仲の良い家族だったはずなのにね」
ギュッとアラベルが私に抱き着いてきました。
それは、制止だったのでしょうか、慰めだったのでしょうか。
「父は、私を軽視して、私の言葉には耳を傾けてくれない。
兄は、私が正当な要望を出しても、自分が面倒だという勝手な理由で逃げるだけ。
母は……もう、私のことを自分の子供とすら思っていないかもしれないわね」
「そんなことは……!」
男が私に反論しようとしたのを、背後の騎士がその頭を殴りつけることで遮断してくれました。
鈍い、人を殴る音は怖いはずなのに、なんの感情も動きません。
どうせ、「そんなことはありません、あなたの家族はあなたのことを愛しています!」なんてふざけたことでも言うつもりだったのじゃないかしら?
「あなたが、あなたさえ私の前に現れなければ。
私たちは、きっと、今でもただ普通の家族でいられたわ。
私は!
父と母に愛されていると思えていたでしょう!
面倒くさがりな兄のことも、しょうがないなと思いつつも兄として尊敬できていたでしょう!
それを壊して、永遠に失わせたのよこの悪魔が!」
気づいた時には、両頬が濡れていました。
そっと妹がハンカチで私の目元をぬぐってくれます。
「もう、私の家族は、心から信頼できる相手は、アラベルだけよ。
あなたは妹以外の、私の家族を殺したも同然よ」
「アラベル、アラベル、本当にごめんなさい。
こんなことに巻き込んで、まだ年端もいかないあなたに負担ばかりかけることになって。
学院で友達を作る、そんな当たり前のことすらできなくなったのもごめんね。
本当に、なんど詫びても足りないわ」
次々と涙があふれてきます。
いつも口が達者なアラベルが、「そんなことないわ、謝らないでお姉さま」とか細い声で途切れ途切れにつぶやいています。
たとえアラベルが私のことを許してくれているとしても、私の罪悪感は一生消えないわ。
あの男が、私があの男を愛するように強制しようとしなければ、私のこの罪だって生まれなかったはずなのに。
拘束ついでに猿轡をされたあの男が騎士によって連行されていきます。
マチュー様は、私がどうにか泣き止むまで待ってくださいました。
「リシャールの乗った馬車が、王宮近くで運悪く事故に巻き込まれてしまいまして。
船便に間に合いそうにないと連絡をもらったので、早馬を走らせたんですよ。
なんとなく悪い予感もあって……まさか、本当に当たるとは」
マチュー様がしかめっ面で語るのに、私は深く頭を下げました。
「本当に何度もご助力いただき、深く感謝申し上げます。
人を……殺さずにすみましたわ」
彼は片手をあげて、私の頭に触れようとする寸前で思いとどまりました。
「失礼、思わず手が伸びてしまった。
クラリス嬢、俺の妹はあなたたちとほとんど年齢が変わらないんです」
思わず、私たちに兄としての行動をとりそうになったということですね。
彼の苦笑に、思わず胸が暖かくなりました。
きっとこの方は、とても妹想いなのでしょうね。
マチュー様は出航の延期を船長に指示してその場を去りました。
来週から留学先での授業が始まるため、私たちはこの船便に絶対に乗らなければなりませんから。
ミシュレ家の、見慣れた家紋が刻まれた馬車が到着するのは、それから半時ほど後のことでした。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
1話1話、17時40分に投稿予定です。