〈03〉王立学院3年生・始業式
「クラリス!」
学院の正門を過ぎたところで、背後から呼び止める声がしました。
振り返ると、クラスメイトのオレリーがひらりと私に手を振っていました。
「ご機嫌よう、クラリス! 久しぶりね!」
「ごきげんよう、オレリー。元気そうね」
「えぇもちろん、健康は私のとりえですもの」
オレリーが追い付いたので、ともに教室に向かいます。
「ついに私たちも3年生ね。なんだか最高学年だという感じがしないけれど」
「本当ね、不思議な感じがするわ」
そんな会話をしていた私を、前の男性が振り返ってぶしつけに眺めるのが視界の端に見えました。
「クラリス?」
「クラリスって、『あの』噂のご令嬢のことか?」
前を行く数人の男性は、おそらく2年生です。どことなく、その頬に幼さを感じます。
その視線は好奇心丸出しで、声を潜めようとしているのかもしれませんが聞こえる端々の単語からなんとなく会話の内容は察せるのです。
「へぇ、よっぽどの美女なのかと思ってたんだが」
そのうちの一人が、侮蔑の表情もあらわにそう言ってきました。
視線が私に向いていて、自分の発言を隠す気もないようです。
思わず息を飲みました。
ここ最近、何度も同じような目にあいました。
慣れているといえばそうなのですが、でも、けして愉快ではないのです。
「あ、教室はここよ! 席を確かめましょう」
オレリーがそう言いながら、私の腕を引っ張るように促します。
去り際に、まだこちらを見て笑っている先ほどの数人に、睨み返してやろうかと思いました。
けれど、そんなことをしたら私にまつわる「噂」にどんな悪評が加わるか分かりません。
気を利かせてくれたオレリーの後頭部を見ながら、唇をかみしめるくらいしか私にはできないのです。
「先ほどの男の子たちは、クラリスの知り合い……ではないのよね?」
「全く知らないわ。どうせ、私の名前だけ先に知っていたのでしょう」
席に落ち着いたオレリーは、気遣うように私の様子を伺っています。
けれど今は彼女の視線も煩わしく、カバンを置きながら視線をよけて下を向きました。
「クラリス、きっと彼らに悪気はないのよ。
噂のあなたと出会って、きっと、ちょっと浮ついてしまっているんだわ」
慰めるように声をかけてくれるオレリーに、
「そんなこと分かっているわ。
でも、見ず知らずの人に私の名前が知られていて、しかも勝手になにやら納得されたり
小声でヒソヒソと話されるのはうっとおしいの」
と思わず言い返してしまいました。
「クラリス……それは、そうだけど。でも、もう少し言い様というものが、ね?
きっとあの方々もあなたのことをちょっとからかっただけよ」
オレリーがなおも言い募るのですが、私は顔を上げられませんでした。
ただ、手元の万年筆をそっと撫でてその感触を確かめるばかり。
結局、先生が教室に入ってくるまで私と彼女の間にそれ以上の会話はなく、なんだかぎこちないままでした。
今日は学期の初日なので授業はなく、始業式や先生からの伝達などで終始します。
午前中で終わるので、帰りの時間になると教室が一斉に楽し気な雰囲気になりました。
オレリーもさすがに普段の調子を取り戻し、「午後は喫茶店に行きません?」と私に声をかけてきました。
「中央通りの薫香亭よ、なんでも春向けの新作ケーキが発売したって」
「おいしそうだわ!
そうね、馬車の迎えが来るからお母さまに言付けをお願いすれば大丈夫よね」
そんな会話を交わしながら廊下を歩いていた時です。
「クラリス嬢! お待ちください!」
学院の高い天井にまで響く、他の生徒たちのざわめきをかき消す大声が私を呼び止めました。
ざっと血が下がるような、心臓がはねるような感覚に思わず私は息を飲みました。
人をかき分けるように私に向かってくる、赤茶の髪の一人の男性。
気合十分とでもいうのか、緊張しきった様子ですがその目に強い輝きがあります。
私の前まで来ると、彼は騎士らしい端正な所作で跪きました。
周囲は驚いて彼をよけていたので、私と彼を中心にぽっかりと空間があきます。
「クラリス嬢、私はあなたをお慕いしています。
私のほうが身分も低く、分不相応なのは重々承知しておりますが、入学して早々の遠征実習で初めて出会ったときから、あなたが私の運命なのだと信じてきました!
今年、俺は在学中の身ではありますが国王陛下開催の武技大会に出場します!
必ずや優勝しますので、どうかその時は俺の想いを受け取ってください!!」
私は言葉もなく立ち尽くしてしまいました。
ですが、周囲を取り囲む人々が一斉に言葉を上げます。
「よっしゃよく言ったブリス、それでこそ男だ!」
と言って盛り上がっている方たちは、ブリス様と同じ騎士科の皆様です。
たまたま通りがかっただけと思われる方々も、好奇心いっぱいに盛り上がっています。
私たちを見つめるその輝いた眼に、こちらへの悪意などかけらも感じられません。
間近にいたオレリーは、最初声もなく立ち尽くしていましたが、ブリス様が立ち去った後に興奮を隠さずに私に抱き着いてきました。
「クラリス、クラリス!
どうしましょう、これってあの騎士物語みたいじゃない?!
騎士ウィリアムがお姫様に求婚した時みたいよ!
『この戦いに勝った暁には、栄えある勝利をわが姫に捧げたい』ってやつね!」
「オレリー、お願いよ、止めて。
どうして……どうして、ブリス様はこんな人目がある中で宣言してきたの?!」
「そりゃぁ、騎士として、いえまだ正式な騎士ではないけれど、その心構えを持つものとして正々堂々と宣言したかったのでしょう?
こんなにストレートな愛の告白をまさか目にするなんて思わなかったわ!」
跳ねるような彼女の足取りに、オレリーの喜びが表れているようです。
私が重苦しいなんともいえない気持ちになっているなんて思いもよらないのでしょう。
さっきまでの、新作ケーキを楽しみにしていた気持ちは完全に吹き飛んでいました。
結局午後のお出かけは私から断りましたが、オレリーはその意味も誤解したままでした。
「こんな大事件、あなたのお母さまに早速報告が必要ですものね!
気にしないで、今度お暇のある時にお茶にしましょうね!」
そう言いながら彼女は笑顔で手を振りました。
馬車に乗った私は、どこか呆然と窓の外を見ていました。
冷えた指先はいつまでもこわばったままで、途方に暮れるばかりです。
私はどうすれば良かったのかと自問しながら、過去を振り返るしかできませんでした。
一日一話の更新予定です。
お気に召しましたらブックマークやコメント・反応いただけるととても嬉しいです。