〈26〉王立学院3年生・親友じゃない
「……クラリス!」
背後から私を呼び止める声に、アラベルとともに足を止めました。
「オレリー、夜ももう遅いのにどうかされたかしら?」
彼女に向き合うために振り返ると、顔色を失ったオレリーが立ちすくんでいました。
「クラリス」
もう一度、ただ私の名前を呼んでから、一度ぎゅっと目を閉じ、再度目を開けたオレリーは深く頭を下げました。
「ごめんなさい、いえ、申し訳ありませんでした。
学院で、私はあなたの一番そばにいたのに、ずっとクラリスとブリス様の仲を誤解していました」
廊下の灯りを反射して、オレリーが涙目になっているのが分かります。
アラベルが、小さく笑いました。
「オレリーさん、その『誤解』って、具体的になんなんです?」
相変わらず切り込む彼女に、オレリーがじゃっかん及び腰です。
「始業式でブリス様が武技大会優勝を宣言したあと、クラリスが心に決めた相手がいると伝えていたなんて知らなかったわ。
私、ずっと、あなたの『イヤイヤ』は好意の裏返しだと思っていたから。
ねぇ、どうしてリシャール様のことを教えてくれなかったの?」
今度こそ、アラベルははっきり笑い声をあげました。
「あなたの言うことって、その程度なのね」
蔑んだ口調に、オレリーもさすがに険しい表情になりますが、「だって、なにも分かってらっしゃらないのですもの」という妹の言葉にひるんだようです。
「お姉さま、本当のところはどうだったのです?
なぜ、オレリー先輩には、お姉さまの真意をお伝えしなかったのです?」
笑み交じりのアラベルの言葉に、苦笑してしまいます。
「オレリー、私が何も言わなかったのは、あなたのことが信用できなかったからよ」
目を見開くその表情は、「信じられない」と語っているようでした。
オレリーは子爵家の娘で、学院に入る前から面識はありました。
顔見知り程度だった彼女が私に接近してきたのは入学してまもなく、ブリス様に遠征実習で告白されたしばらく後のことでした。
彼女は、恋愛物語が大好きなのです。
騎士の卵が傷の手当てをしてくれた女性に一目ぼれして告白し、玉砕したものの諦めきれずに「まずは友人として自分を知ってほしい」と迫った話も把握していました。
「あなたは、自分が好きな恋物語が現実でも繰り広げられていると思ったから、より接近しやすい私に狙いを定めたのでしょう?」
微笑みかける私を、彼女は呆然と眺めてきました。
「あなたが私のために心配りしてくれたことは分かっているわ。
明るいあなたは付き合いやすくて、世話になったこともたくさんあった。
でも、最初からブリス様と私の物語を『消費』するために近づいてきたあなたを、信頼しきるなんて無理な話よ。
ましてや、リシャール様との大事な思い出を、あなたに教えるわけがないじゃない」
金魚のように、オレリーは口をパクパクさせています。
「ねぇ、クラリス、わたしたち、親友でしょう……?」
うかがうような彼女の言葉に、私は曖昧に笑って返答はしませんでした。
その沈黙を、彼女は答えとして受け取ったのでしょう。
「そ、んな……」
彼女の頬を、涙の筋が伝っていくのが見えました。
「当たり前じゃない、あなたがお姉さまに信用されるはずがないわ」
憤然とした妹が、オレリーに食ってかかります。
「お姉さまは、つねにブリス様からのアプローチを嫌がっていたわ。
始業式での申し出以降は、しばらくは食事もろくに喉を通らなくて、見るからにやつれてしまわれて。
そんな状態のお姉さまをあなたは『嫌いキライも好きのうち』程度にしか考えなかったのでしょう?
自分が見たい恋物語のヒロイン像を無理やりお姉さまに当てはめて、現実のお姉さまは何一つ見ていなかったのでしょう?」
妹の、水色に近い薄い青の瞳が濡れたように光っています。
「あなたは、お姉さまの一番近いところにいたわ!
同い年で、学院の同じクラスで、そりゃあできることだって限られるでしょうけど、私があなたの位置にいたなら、お姉さまのことをもう少しは守れたのに!!」
妹の言葉は、最後は悲鳴に近いものでした。
思わず、私は彼女を抱きしめました。
「もういいわ、もういいのよアラベル。
泣かないで、あなたは本当に良くやってくれたもの。
あなたが魔女様のことを教えてくれなければ、私は最悪の結末を迎えていた。
そうならずに済んだのは、全部ぜんぶ、あなたのおかげなんだから」
「お姉さま! おねえさまぁ!!」
声をあげて泣き始めたアラベルの頭を撫でながら、私はオレリーに声をかけました。
廊下の向こうに、迎えに来られたのだろう彼女のお母さまの姿が見えます。
「オレリー様、こんな夜遅くまで足止めして申し訳ございません。
お気をつけてお帰りください」
にっこりと貴族の微笑で挨拶をする私を、オレリーは痛みをこらえるような顔でみましたが、最後は黙ってカーテシーをして去っていきました。
彼女のことを友とすら思えなかったのは、ブリス様関連の事柄で、私の意思をことごとく無視したからです。
オレリーは、「自分はクラリスの味方よ」という態度でしたが、常にブリス様をかばい、ブリス様の言うことを良いほうに良いほうにと解釈し、私もまたブリス様を好いているけれど素直になれないだけ、という前提でいました。
彼女は私のことを見ていませんでした。
私とブリス様を透かして、自分が思うところの最高の恋物語を夢想していただけなのです。
等身大のブリス様と私をみて、そのうえで私たちを後押しして恋を成就させようとしていただけなら、私だってこんなにオレリーを拒絶しないですんだのに。
その後、父はカルタン男爵と数度の話し合いをしたようです。
私はその場に呼ばれることはなく、別途マチュー様から聴取されるにとどまりました。
マチュー様は、両親と兄のことも詮議にかけたかったようですが、私がお願いして取りやめていただきました。
「私と妹はいまだ未成年です。私たちをどう扱うか、その権限を有しているのは伯爵家当主とその夫人にのみあります」と述べると、しばらく黙考されたあと、意見を取り下げてくださいました。
「その代わり、と言ってはなんですが」
マチュー様が、そう切り出したのは意外な提案でした。
「留学、ですか。……今から?」
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