〈23〉王立学院3年生・詮議⑥
いったん話の区切りとなり、誰ともなくため息がもれます。
お茶が入れ替えられ、ついでに窓のいくつかも開けられました。
清冽な春の夜風が私のほおを撫でていって、少し気分が良くなります。
そんな私の様子を、マチュー様は伺っていました。
残念ながら、私の話はまだ終わりではありませんので、彼に微笑んで再度口を開きました。
「ブリス様は、3年生の始業式で、武技大会での優勝と引き換えに想いを受け取っていただきたいと言いました。
私は、その後に、わたくしの立場と考えを明確にした手紙を送りました。
すでに私にはリシャール様という将来を共にしたい方がいることを明かし、だからブリス様からはどのような申し出も受けることはないと、はっきりお断りしました」
マチュー様は、手元のティーカップをいじりながら、一際大きな声で「なんだ!」と言いました。
「つまり、ブリス君は、とっくの昔にクラリス嬢に振られてるんじゃないか!
なのに、食い下がって武技大会で駄々をこねたのか?」
目を丸くしながら言ったその言葉は、純粋に驚いているようでした。
改めて関わりのないマチュー様に言われると、ブリス様の行動がいかに強引なのかがわかります。
オレリーは、「そんな、クラリスに断られたのに、大会でのあの行動だったのですか?」とつぶやいて絶句しました。
ブリス様は、黙ったままでしたが、握ったこぶしがブルブルと震えはじめました。
強い、まるでにらむような視線で私をひたすら見つめてきます。
ギラついたその目はとても平静とはいいがたく、私は思わずリシャール様にすがりました。
あの表情は、ディナーの後に彼に絡まれたときと同じで、どこか狂気じみています。
「君、自分が今どんな目でクラリス嬢を見ているか分かっているのかい」
平坦なマチュー様の声に、ゆっくりと視線をめぐらせたブリス様は、どこか異質さも感じられます。
「大げさにいえば、今にも彼女を殺しかねないような激情と危うさがある。
とてもじゃないが、好きな人を見る目じゃないけど?」
しばらく中空をにらんだブリス様は、ゆっくりと深呼吸をして、ガクリと頭を下げました。
「でも俺は、本気だったんです」
表情を伺えない、くぐもるような声でブリス様がつぶやきました。
「『でもでもだって』を繰り返すばかり、まるで3歳児だね」
言い募る言葉を、冷たくさえぎったのはリシャール様でした。
柔らかく笑っていますが、その目はブリス様を、ひたと見詰めています。
「君は、好意を持っているというけど、その割にはクラリス嬢の気持ちをないがしろにするのだね」
彼は、にぎっていた拳をひらいてはまた握りなおすだけで、返答はありませんでした。
「そういえば、ブリス君にちょっと訊きたいんだけど」
マチュー様が会話に加わってきました。
「武技大会のあと、君の願いがかなってクラリス嬢と結婚できるようになったとして。
彼女が、君のことを愛してくれるようになると本気で思っていたの?」
顔をやっと上げたブリス様の目は、宙をさ迷っていました。
「クラリス嬢、君はどうなったと思う?」
唐突に話題がこちらに振られましたが、私は言葉に迷いませんでした。
「もしそんな展開になったら、ブリス様は私の心が誰にあるのかを知りながら、奪ったことになります。
無理やり強制される結婚では、愛するどころか、憎く感じてもおかしくはないのでは?」
力なく私を見たブリス様の目に、見る間に涙がたまってきました。
「ブリス君、君はこの件ではあくまで加害者だ。
なのになぜ泣きそうになっているんだ?
いくらなんでも図々しいだろう」
ひんやりとしたマチュー様の言葉に、ブリス様は、ぐいぐいと服の袖で目元をぬぐいました。
長い間、場は沈黙に包まれました。
心苦しさに胸が痛み、私は重いため息を吐きました。
基本的に、好意を示された相手に断わりを入れるのは、とても重荷になるのです。
私は遠征実習で唐突な告白をされて断ったときから、ずっと彼に対して罪悪感と申し訳なさ、心苦しさを抱いていました。
彼にまつわる出来事で、私はなんど泣いて、苦しんで、寝れない夜を過ごし、胃を痛めたことか。
でも、始業式での武技大会にまつわる宣言から、その心苦しさを越えた怒りをずっと感じていました。
あげく、私が誰を想っているかを明らかにしても、彼は引こうとしませんでした。
マチュー様とリシャール様がいう通り、ブリス様は私に自分を認めさせることしか考えていませんでした。
何度も目元をぬぐう仕草を見せる彼に対しても、「これで、ようやっと終わったのね」と思えども、とても同情する気にはなれません。
私がこうむった被害に比べると、彼の涙は「被害者ぶってる」と腹立たしく思うほどですが、彼のやったことは今や王太子殿下がしっかり把握されています。
これからこの国を支配する方がその過ちを把握しているというのは、もし自分がその立場に立たされたら、とても恐ろしい事です。
私は彼の行動によって、様々なものを失いました。
特に、広がった私の悪い噂は、取り返しがつかない打撃です。
学院の生徒は、おそらく大なり小なり彼のやろうとしたことを知っているでしょう。
それはつまり、私のことも併せて知られているということです。
私の噂を知った人は、自分の家族や兄弟、知り合いにも話しているかもしれません。
騎士団長と国王陛下だって彼のことを知っているのです、もしかしたら高貴な方々の所まで、私のことは「彼の愛を足蹴にした高慢な女」として伝わっているかもしれません。
ブリス様に、一度広まった噂を鎮める力はないでしょう。
なにより、人は信じたいものを信じるのです。
私がこれからどれほど身を慎んだとしても、一番最初に出回った噂のみを信じる方だっているかもしれません。
「つまり……私は、成人して社交界デビューする前から、謂れのない負の烙印を彼によって押されたのではないですか」
言っているうちに、泣きたくなってきました。
なぜ、私がこんな目にあわなければならないのでしょう。
ブリス様は、顔色を失い、呆然としていました。
ようやっと、自分が何をやったのかを本当の意味で理解しはじめたのかもしれません。
でも、もう、何もかにもが遅すぎるのです。
ここまで読んでくださりありがとうございます。
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