1: 竜王陛下の偽装妻になりました。
いま、目の前に竜王陛下がいる。
燃えるように赤い髪をふわりと揺らし、彫像のように見事な肉体を持つ、全国民の憧れの的でもある竜王陛下が、私に頭を垂れ……というか、東の国の伝統謝罪『土下座』をしている。
全裸で――――!
「俺にはお前しかいないんだ! ウィスタリア!」
竜王陛下の格好は横に置くとして。これが、好きな人からのプロポーズだったのなら、どんなに心ときめいたか。
「頼む! 偽装妻になってくれ!」
――――偽装、妻。
竜王城の湯殿係になって何年だろうか。十になる前に使用人見習いとして城に入り、なんやかんやで湯殿係になった。理由は匂いがしないから。
人間族自体があまり強い匂いを発しないらしく、匂いに酷く敏感な竜王陛下は、生活圏内の使用人を出来る限り人族にしている。
そして、私室と湯殿は特にリラックスしたい場所だからということで、限られた者しか入ることが許されていない。
湯殿は、大ベテランのマリーさんと、私だけ。
私室は、これまた大ベテランのシモンさん。
大ベテランの二人は御年六十を超え……ちょっと焦っている。次代がいないのだ。特にシモンさんは執事も兼任しているので、仕事量が尋常ではない。
皆が本当に焦っていた。
そして、別件で焦っているのが、評議会の面々だ。
平均寿命は五〇〇歳という長命種である竜族だが、長命なことがたたり、酷く妊娠しづらい。そんな欠点を乗り越えることが出来るのが『番』という唯一の存在だ。
番を見つけることは簡単なのだという。竜族は、生殖可能な年齢になると、どんなに番が離れていようとも、番から発生するフェロモンを嗅ぎつける事ができるのだとか。
そして、その番を見つけると、生殖機能が目覚めるらしい。
普通は。
残念なことに、いま目の前で全裸土下座を披露している竜王陛下は、欠陥のせいで番を認知できないのだ。
何がどう欠陥かというと、鼻栓をして過ごしたいと豪語するほどに匂いに敏感すぎて、毎日頭痛と目眩に襲われているのだ。
魔法でシャットダウンすればいいじゃないかと思うのだが、そのせいで番に気付かなかったら……と我慢し続けているらしい。
更に面倒な欠陥があった。
それは、番が命と言っても過言ではない竜族だが、寿命の中ほどになると遺伝子が危機感を覚えるのか、番以外にも発情するようになるのだが、竜王陛下にはその兆しがミリもないらしい。
「頼む!」
「無理ですっ」
「二年、二年でいい。それまでになんとかする!」
「あの……番様が二年で見つかるという保証はないですよね?」
だって、すでに三〇〇年も見つかってないのだから。
「ぬぐっ……」
「もう脱いでますが……」
「唸っただけだ!」
「あ、そうでしたか。申し訳ございません」
竜王陛下がここまで焦っているのは、理由がある。
評議会が、陛下に強制解放薬を飲ませようとしているのだ。解放薬と言っているが、つまりは強制的に発情させる薬だ。
そして、家格が釣り合うからと、陛下が心底嫌いだと言い続けている宰相閣下の娘――カルミア嬢が妃候補として選出されたのだ。
何がどう嫌いかというと、白竜は腹の中は真っ黒で酷い臭いがするから、らしい。意味が分からない。
「頼む、ウィスタリア!」
「はぁ…………もぉっ。二年ですからね!?」
「っ! 感謝するっ」
「ぎぇぁぁぁぁ!」
感極まった竜王陛下が、飛び上がるようにして全裸で抱きついてきたものだから、びっくりしすぎて叫んでしまった。そして、体勢を崩してしまい、床に二人で倒れ込むはめに。
そのタイミングで、叫び声を聞いて慌てて入ってきた騎士に惨状を目撃され…………まさかの、竜王陛下が発情して私を襲ったという勘違いに。
噂があれよあれよと広まっていった。
「まさか、三週間で…………」
あれよあれよの流れは尋常じゃなく速かった。たった三週間で竜王陛下と私の結婚式が行われるとは――。
「いつもぎっちりと纏められていて気付かなかったが、ウィスタリアの髪は毛先にいくほど藤色が濃くなっているのだな」
「はぁ」
「美しいな」
「……どうも」
そんなことより、なぜ偽装妻なのに夜着を着せられ主寝室に連れ込まれているのだと聞きたい。
もちろん、夜着の上にはぶ厚いガウンを着て完全防備しているけれども。
「竜族の初夜というか蜜月は二週間あってな」
「…………は?」
「そんなに引くなよ!」
いや、だって、二週間も初夜ってどういうことよ? それもう十四夜じゃ!? え? 十四日間も主寝室に籠もりっきりになるの!?
頭の中は大忙しだったが、努めて平静は装った。
「大丈夫だ。俺は基本的にこの部屋にいないから、好き勝手に過ごしてくれ」
どういうことかと思えば、蜜月の期間中は竜王の仕事から解放される。なので、部屋にいるふりをして、世界中を飛び回って番を探してくるのだそうだ。
食事は決まった時間に隣の部屋にワゴンで運ばせるようにするから、それを主寝室に引き入れて食べればいいとのことだった。
二人分来るから、竜王陛下の方のご飯を食べて私の方のご飯をほぼ残していれば不審に思われないと言われた。
「え、なんでですか?」
本当に素朴な疑問だったのに、陛下は気不味そうにしながら、そういうものなのだとモゴモゴと話していた。意味が分からない。
とりあえず、食材を無駄にするのは嫌だけど、仕方ないので食べれるだけは食べようと思う。
「じゃあな! 早速、番を探しに行ってくる!」
そう言うと、陛下は転移魔法を使いヒュンと消えてしまった。
初夜に寝室に取り残されたのなら、普通の花嫁は嘆き悲しむのだろうが、私は違う。ベッドからさっと立ち上がり、主寝室内のソファとローテーブルか置いてあるところへ大股で近付いていった。
「いただきます!」
ローテーブルには、今からパーティーでもするのかというくらいに、おつまみ系やくだもの、飲みものなども沢山用意してあった。
結婚式での緊張や、陛下との悪巧みがバレやしないかなんて緊張から胃がひっくり返りそうで、食事が摂れていなかった。
「うんまぁ!」
キャビアとか初めて食べた。サーモンとクリームチーズのカナッペ、めちゃくちゃ美味しい。
普段は絶対に食べられないであろう超高級な食材たちを、心ゆくまで堪能しベッドに戻った。
お腹も満たされたし、これでゆっくりと眠れる――――。