山へかえす
―― ひげ
突然、ヒコイチのあたまに言葉がうかぶ。
まえに、西堀の隠居のところへ正月によばれたとき、息子のセイイチが料理屋に頼んだという、船のかたちの器にもられた生きづくりの刺身に、ヒコイチがみたこともない大きな海老がいて、そのエビにある《ひげ》をおもいだした。
だがよ、ありゃあ、・・・こんな貝がつくようなもんじゃアねえだろう・・・
『ひげ』はヒコイチからはなれると、アンマが杖でさぐるようにむこうへとむかい、ひっくりかえったままの大きな獣にあたり、腹のあたりをさぐると、貝の中からまた男の声が、「うむ」として、『ひげ』が、すうっ、と貝殻の隙間へひきさがった。
「 これは、アンコウの親父殿にまかせたほうがよかろうて 」
「 いや。山のアヤカシなぞ、親父殿も喰わんじゃろう 」
「 もとは狸じゃろう?ここの山神はなにしておるんじゃ 」
「 竜王様に献上してみるか?いまどき山でも珍しき者じゃろう 」
こそこそと、なにやら貝の中で話し合う声がもれでてきた。
しばらくそれがつづいたが、「そうじゃそうじゃ」とうなずきあうような声ばかりになると、またしても『ひげ』が、すうっとでてきた。
「 それならば、これは、山へとかえそうぞ 」
ひゅっ
風をきるおとをたて『ひげ』が振られて、かるく当たったかにみえた《ムジナ》のからだが、指ではじいた豆のようにちいさくなって山へととんできえた。




