まねく女
「このぶんならよ、陽の暮れる前には『お屋敷』につけそうだ」
懐に出っ張る箱をおさえながらおしえると、どうしたわけか、すこしひらいていた蓋が、すとん、と閉じた。
「どうした?」
音までたてて、家の戸板をあわててとじるようなそれにおどろいて蓋を爪でたたく。
ぞぞぞぞぞぞ
首のうしを寒気がぬけた。
「 もし そこの旦那さん 」
やさしげな声にふりむけば、道のむこうに、女が立っていた。
こんななにもない道ぞいの林からでてきたように木のそばに立つ女は、上等な着物を着ているのに、ぜんぶが着崩れていて、はだしに履くのも上等な草履で、髪は結わずに顔の片側へとながして、なんの化粧もしていない。
なんだかこわいのは、そんなナリの女が、しっかりとヒコイチをみて、ほほえんでいたからだ。
ほほえんだ女が片手をあげて、まねく。
用心のため懐の箱をおさえたまま、ヒコイチはゆっくりと女のほうへ足をむける。
着物も草履も顔も、これといってよごれていない。旅慣れない奥様が旅の途中で、襲われたり転んだということでは、なさそうだった。
ゆっくりとあしをすすめるあいだも、女はヒコイチからめを離さない。
ヒコイチも目をあわせたままよってゆくが、顔は女のようにほほえむどころか、強張ったままどこもうごかせない。
少しでも目をはなせば、なぜかこの女に喰われてしまうような気がした。