無希
──人は平等ではない。詳しく言えば、命に対しては平等だろう。しかし、神はそれ以降の事に関しては無関心である。生まれや育ち、個々の能力。それらには圧倒的なまでの優劣が存在しているのだ。人は平等であると謳い騙る者達は偽善者でしかない。
妬もうが羨ましいがろうが努力をしようが、生まれ持った才覚の前では無意味である。それをたった今、兄とし敬愛する者に冷めた双眸で睨まれた者は自覚していた。
「……」
「──カイン様。フェルド様に話をかけるのはお控えください。またベンネ様にお叱りを受けてしまいますよ」と、側近であるメイド・フェナリー=ククスは耳元で囁くように言う。
フェルド=カイウスは双子の兄だ。文武両道であり、英雄的素質を併せ持った男。均整の取れた体は、服の上からでも分かるほど鍛え上げられており、さながら鋼を思わせる。カインの憧れであり、たった一人の兄弟だ。
小さい頃は優しく器も大きく強かった。毎日のように一緒に居たし、近所の森に良く冒険に出掛けたものだ。だが、いつからだろうか、カインを煙たがっては邪魔者扱いするようになったのは。数年はまともに会話すらしていない気がする。
「分かってるよ、でも……」
あの頃の光景が目に浮かぶ。楽しく、温かく、毎日が活き活きしていたあの頃が。視線を伏せ口の端を噛み締めた矢先、一階に降りたフェルドの声が微かに響く。
「父上、お帰りになられたのですね」
「……ああ」
白い軍服を着た父・ベンネ=カイウスは単調に返答すると、冷めた視線をカイン──ではなく、付き人であるフェナリーに向けた。
「で、フェナリー?なんでカインが玄関まで来ている?」
「……すみません。少し館内を散歩した方が良いかと……。精神的にも肉体的にも、体を動かす事は大切ですので」
違う。フェナリーはしっかりと役目を果たしていた。言う事を聞かずに、行動したのはカイン本人である。彼女はしっかりと忠告をしていたのだ。にも関わらず、大丈夫だと言い放ち、我を貫き館内を歩き回っていた。
否。ベンネが今日、魔獣討伐の任から帰還する事を知っていたが故の行動。
今日こそは、普通に会話をしたいと。ささやかな願いであり、今一番欲しいものだから。カインは強く握り拳を作ると、早まる律動を深呼吸でなだめつつ口を開く。
自分が伝えたかった事。自分が今一番したい事。今日こそは今日こそはと、覚悟を決めながらも後回しにして逃げていた。
「父上ッ!!」
「……ふぅ。おい、フェナリー」
冷めた視線がカインの胸をエグる。これ以上は話をかけるな。言葉に出さず態度で示すベンネの気迫に息は詰まる。だけれど、今日言わなきゃもう先がない。そんな気がしてならなかったのだ。
「父上!俺も兄さんと一緒に遠征に行かせてください!!」
「──いいか?カイン、お前はカイウス家で産まれていない。存在していない。俺の息子はフェルド、たった一人。分かったなら部屋に戻れ」
カイウス家──
魔法剣を得意とする家系であり、治癒術を得意とするデイトラ家・魔術を得意とするフィーニス家と肩を並べる、由緒正しき血筋。
故に、王家からの信頼も厚い。現に、父であるベンネは魔法剣を扱う部隊の軍団長を務めている。
兄であるフェルドもしっかりとその血を引き継いでおり、優秀だ。方やカインは魔法剣を扱えない。カイウス家にとっての、誇りを引き継いでいないのだ。
無能力者であるカイン。カイウス家の面汚しである子供に対しての処遇は至って簡単だった。それは産まれていないことにする。
そう。カイン=カイウスと言う青年は、存在していないのだ。矢面に立つことは許されず、外に出る事も許可されない。
けれど、カインは自分の立場を無理矢理にでも受け入れた。無個性のレッテルを貼られるのは必然であり、不思議な事ではない──と。
しかし、敬愛している父に言われるのは訳が違う。
胸を切り裂く言刃がカインの心に激痛を強いる。
「恐縮で御座いますが、ベンネ様。そのような御発言はいくら何でも……」
「お前まで俺に口答えするのか?フェナリー」
「ごめん、フェナリー。部屋に戻るよ。無理を言ってごめんね。俺が甘かったんだ」
震え掠れた声に最早、語気は宿っていない。一度も目が合う事のない父から目を逸らし、カインは踵を返した。
「カイン様、私は貴方様の努力を知っています。ここに居る誰よりも。だから、生きる理由を見失わないでください」
──生きる理由とはなんなのだろうか。こんな不平等な世界で。いいや、望まれて産まれてきた訳ではないのに。カインは自分の事を恨みながらも、フェナリーの言葉に答えることなく自分の部屋に戻ったのだった。