05
花嫁にはならない、そう決めたはずなのに、私は今レイヴァン様の腕の中にいる。
お父様はずっと怫然とした顔でレイヴァン様を睨んでいる。
飴色の髪の彼女、レベッカ様は「私のお腹にはレイの赤ちゃんがいるの!」と言った。
だけどレイヴァン様は「絶対に有り得ない」と言う。
しかも自分の首に懸けてでも絶対に有り得ないと言い切った。
──信じて、いいのよね?
式場の控え室にあの後お父様はレベッカ様を秘密裏に連れて来た。
「な、何よー!」
初めて対峙したレベッカ様は勝ち気そうなお顔だが感情がすぐに表情に表れる素直な方だとお見受けした。
ウエディングドレス姿の私を見るなり「あんたがレイの婚約者?!レイは私を愛してるんだから返して!」と声を荒らげた。
ズキズキと胸が痛んだが、彼女からしたら愛し合う2人を引き裂く悪役なのだとトドメを刺された気がした。
今にも憤怒しそうなお父様を目で制し彼女が言いたいだけ言わせた。
私は聞かなければならないのだ、私の罪の大きさを自覚しなければこの気持ちは決して消えてはくれないのだから。
そんな中彼女の口から「お腹には赤ちゃんがいる」との言葉が飛び出した。
これには私だけでなくお父様も酷く驚いていた。
彼女に『レイ』と平民を装った名を名乗っていた所でレイヴァン様はこの国を担う王族であり王子だ。
これから1時間半の後に式が執り行われるとは言えまだ未婚。
未婚の王子が女性を妊娠させていたとなれば醜聞以外の何物でもない。
それにレイヴァン様の子がお腹にいるのであれば、例え彼女の身分が低くても、教養が足らずとも王家の血を継ぐ者を身に宿す彼女は王家で大切に扱われる事だろう。
その中に私がいては益々2人の仲を邪魔するだけ。
「あなたはレイヴァン様と結婚なさりたいのね?」
「当たり前じゃない!なんたって私、愛されてるのよ!」
「そうですね...愛する人には幸せになって欲しいと私も思っています、愛しているからこそ」
手も声もみっともなく震えている。
心が嫌だと叫んでいる。
もう諦めて、覚悟も決めたつもりでいたのに、最後の一言がどうしても言えない。
幼い頃からずっとレイヴァン様を好きだった。
さり気ない優しさも、穏やかな笑みも、少し低めの声も、偶に少年のような意地悪をする子供っぽい一面も、疲れた時に私に寄り掛かって眠る姿も、国の事を考えて真摯に政務を務める姿も、孤児院の子供達と無邪気に駆け回る姿も、ただいまと言って笑う笑顔も、剣の練習試合で負けて悔しさに震える背中も、強い所も優しい所も弱い所も全てが愛おしく、大好きだった。
──本当に大好きだったの...今でも。
何も言わない私に代わってお父様がレベッカ様に説明をするのをぼんやりと見ていた。
ウエディングドレスを脱ぎレベッカ様に渡すと、レベッカ様は嬉々として身に着けたのだが、胸もウエストも私よりもあったようで背中の編上げのリボンがギリギリまで開き、何ともはしたない感じになっていた。
子がいるというお腹は一切の膨らみもなく、まだ孕んだばかりだとお腹も全く目立たないのだなと思っては悲しくなった。
「はぁ?字なんて書けないわよ!」
式で正式な妻となるには結婚誓約書に自筆のサインが必須になるのだが、レベッカ様は文字が書けないと言う。
分かっていた事だったが実際に聞くと衝撃だった。
「書けなければ結婚出来ない」
お父様がそう言うとレベッカ様は渋々といった感じで自身の名の文字を覚え始めたのだが、孤児院にいる子供達よりも覚えが悪く、見ていられなくなり私がレベッカ様に指導した。
「ふん!字が書けるからって偉そうに!」
最初はそう言って私を睨んでいたのだが、何とか手本を見ずとも自分の名前が書けるようになると「私が字を書けるようになるなんて!凄い!ありがとう!」と子供のようにはしゃいでおり、その姿がとても愛らしく『レイヴァン様はこういう所に惹かれたのだろな』と思っては胸が痛んだ。
式の開始時刻が迫り、私はクローゼットの中に身を潜めた。
レベッカ様はポリーが用意した分厚く胸まで隠れるベールをすっぽりと被って椅子に座っている。
対応したお父様は「私は気分が優れない。晴れの日に水を差してしまうようで申し訳ないが、娘のエスコートを頼めないだろうか」と見知った騎士に父親役の代理を頼んでいた。
騎士様に手を引かれてレベッカ様が部屋を出ても侍女達は残って部屋の片付けを始めた為、私は暫くの間クローゼットの中で息を殺していた。
「お嬢様、もう大丈夫ですよ」
ポリーの声で漸くクローゼットから出ると、ポリーが用意してくれた平民が着る服を身に纏い、人目に触れないように裏口まで向かった。
裏口には我が家の物とは違う簡素な馬車が停まっていたが、御者は我が家の御者長であるダンだった為ホッとした。
その後の事は省かせていただく。
そして今、私はレイヴァン様の腕の中にいる。
このまま時が止まればいいと思いながら。