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花風船  作者: 奇群妖
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十三章

「ただいまー……」


 ふらふらと、家の鍵を開けて玄関に倒れこむ。

 靴を脱ぐ気力も起きないぐらいふらふらなのは、お酒を飲みすぎたせいだけじゃない。


「……転勤」


 ただひたすらにその言葉を反芻する。

 スマホを開くと既に日付が変わっていた。

 このまま寝てしまおうか。私は元々送別会をやるなら週末だと考えていたので、今日は金曜日……いや、日付が変わったからもう土曜日か。今日は土曜日なので、寝てしまっても良いだろう。

 寝ちゃおっか。このまま。


 それで朝起きたら、全部夢になっていればいい。寝坊したせいで会社に遅刻したって良い。


「昇進なんて、しなくてよかったのに」


 プツン、と電源が切れたように私は夢の中に落っこちた。


***


 夢を、見た。

 脇本さんが居て、『愛の成る木』を二人で見る夢だ。

 脇本さんはあの植物の風船を華奢な人差し指でつまんで、笑顔をこちらに向けるのだ。


『××××。もう、朝だよ』


 


 瞬間的に瞼が開き、床に転がりっぱなしのスマホを拾いあげる。

 9月18日土曜日、九時三十五分。今日から23日までシルバーウィークの始まりだ。


「はぁ~……」


 嫌なことだって、そうそう都合よく夢扱いにはなってくれない。

 事実私は玄関にお腹をだして寝っ転がってたし、服だってスーツのままだ。

 微妙に二日酔いっぽさもある。

 良いことは大体夢の中でしか起こらないくせに。現実って言うのは理不尽だ。


 思い返してみると、確かに脇本さんがあそこにいるのは当然のことだったのだ。

 転勤になるのだから、と部長が頑張って脇本さんを誘っている情景が目に浮かぶようだ。


 とりあえず立ち上がるのは辛いので、ゾンビみたいに這ってリビングまで移動する。

 植木鉢が目に入ったので、いつものように話しかけてみる。


「……元気?」


 元気そうでは、無い。

 そりゃあそうだろう。だって昨日、帰って来てからすぐ寝ちゃったせいで水あげてないし。


「水あげなきゃだよね……」


 でも、ここから水道まで行くのは面倒くさい。と言うか無理。

 そこでふと思い出して、会社に持って行ってる鞄を開ける。


 そこには薄ピンクの水筒が入っていた。左右に振ってみると、ちゃぷちゃぷと音がする。


「麦茶だけど、今はこれで我慢して……」


 昨日の飲み残しだ。昨日のお茶は古いから、今日はもう中身を捨てて水筒だけ洗わなくてはいけない。

 それだったら『愛の成る木』にあげちゃった方がよっぽど良い使い方だろう。

 それに麦茶だって言い換えてしまえば葉っぱの煮出し汁なわけだし、案外良い肥料になるかも。

 

 ベランダの鍵をなんとか開けて、ベランダに出る。

 若干段差はあるけどそこはこう、でろんっ、と行こう。スーツが汚れるけど構うものか。どうせ洗濯機行きだ。

 そういえばどっかのタイミングで、猫が階段を流れるように滑り落ちてく動画、みたいなのを見た記憶がある。どこで見たんだっけ。

 よく覚えてないけど、とにかくそんなイメージで。

 でろんっ。


「ぁ痛あ!」


 案の定ベランダの床に頭を強打して頭を抱え込む。痛い。たんこぶとかできちゃいそう。

 でもしょうがないからそのまま植木鉢に麦茶を注ぎ込んでやった。


「はぁー……ぁ」


 もう一回ため息をつきつつ何とか起き上がる。

 秋晴れの空がきれいだ。私を馬鹿にしてんのか。


「女心と秋の空……ってね」


 何を表すことわざだったのか覚えてないけど、なんとなく口にしてみる。

 少し元気を取り戻しつつ、でもやっぱり気分は沈みつつ。


 なんだ神様。私をどうしたいんだ。

 風が吹いて、『愛の成る木』の風船がかさかさと揺れた。

 ……ん?かさかさ?


 見ると、緑だった風船のうちいくつかがすっかり茶色に代わって枯れ果てたみたいになっている。

 

「え、嘘」


 昨日私が水をあげなかったから?そんなに早く?

 そんな、ことってあるのだろうか。

 風に乗ってかさかさと揺れる風船が、鈴のように見えた。


「ど、どうしよう……」


 枯れている葉っぱってそのままつけっぱなしで良いのだろうか。

 焦った私はすぐにサイトを開き--


〈九月半ばになると、『愛の成る木』は種子を付けます。風船のような種は最初は緑ですが徐々に変化していき、その後は茶色に変わります。根元まで全て茶色になったら収穫時。摘み取ってしまいましょう。

 その後はそのまま振って楽しむもよし、中身を取り出して眺めるも良し、ご自由にお扱いください。すべての実を収穫しきったら、『愛の成る木』は終了となります。〉


 どうやら、私のせいで枯れたわけでは無いと知って少しだけほっとする。

 と同時に、もう終わりなのかと拍子抜けもしていた。

 だってここまで育ててきて、こんなつまらない実がなって終了だなんて。

 凄く綺麗な花が咲くわけでもなく、美味しい果実が実るわけでもなく、ただただこんなカサカサの風船みたいなものが生っただけだなんて。

 しかもなんなら、『愛の成る木』とか言っておいて全然木じゃないし。ツタだよ。『愛の成るツタ』に改名しなよ。語呂悪いなぁもう!


 イライラに身を任せて、思わずツタから茶色い風船を千切り取ってしまう。そのまま人差し指と親指で、風船の空気を抜くときのように押しつぶして--


「……?」


 コリ、という硬い感触。

 風船の中に何かが入っていた。


 パリパリになった風船は簡単に破ける。落ち葉をくちゃくちゃにする時みたいにバラバラにして、手のひらに中身を転がした。


 それは、公園とかによく落っこちているBB弾のように見えた。黒色で丸っこい、あのBB弾だ。

 でも少しだけBB弾と違うのは、真っ黒な表面にインクで描いたかのような、真っ白なハート模様がくっきりと浮かんでいたこと。

 

 そんなものがコロコロと三つ、私の手のひらの上で踊る。

 指と指の隙間からこぼれ落ちそうになったBB弾を思わず急いで受け止めて、つい笑ってしまう。

 『愛の成る木』なるほどね。くだらない。


 ほんとうに、くだらない。


「はぁあ、何を馬鹿みたいになってたんだか」


 綺麗だけどさ、愛の成る木、ってそう言うんじゃないでしょ。

 もっとこう、神聖なものだと思ってたなぁ。

 でもこの……種、なのかな。は結構可愛い。

 案外悪くないかもしれない。

 そう思った瞬間、一気にため込んでいた涙が流れ出た。


「あ、あれ……おかしいな……」


 別に泣くことでも何でもないのに。でも涙が、溢れて止まらない。

 

 声も立てずにひとしきり泣いて、涙が止まるころには私の心はすっかり冷静になっていた。

 昨日は結構お酒を飲んだから、さっきの涙もきっとお酒の味がしただろう。そのせいで少しだけ酔っていたのかもしれないけれど、ともかく私はこう決意したわけだ。


 脇本さんが転勤する前に告白しなきゃ、と。

ヒント13:『愛の成る木』の英名には Balloon バルーンという単語が含まれます。

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