十二章
「「「「カンパーイ!」」」」
カチン、というグラスとグラスがぶつかり合う心地いい音。グラスの中の氷が揺れて、表面を水滴が流れ落ちる。
夏も終わりに近づいて涼し気になって来た今日この頃、私が幹事として色々頑張った送別会が開かれた。
場所は会社の最寄り駅のすぐそばにある焼肉屋さん。そう、今日は食べ放題である。
真っ赤に燃える炭火の上に置かれた網はまだ使われていないから銀色に光っている。
だが残念だったな、その輝きは今だけの物よ!どうせしばらくしたらお肉の焦げ付きとかで汚れるんだから!
乾杯の合図を行ってすぐに、私は肉の塊を網の上にぶち込んだ。
ジュワァという心地いい音が辺りに広がって思わず唾を飲む。最高。
小日向選手、真っ向からお肉と対峙しております。脂の垂れそうなお肉の赤みを見つめている小日向選手ですが、このお肉が鳥なのか牛なのか豚なのか分かりません!
「小日向君何やってるんだい?」
「あ、いえ、心の中でセルフ実況を」
「……?」
「このお肉は何のお肉なんですかね?」
「あーっと……多分牛かな?」
やはり牛だったか!
そして坂口部長は何でも知っていらっしゃる。凄い。
「ほら、このお皿に書いてあるし」
「えっ」
部長に差し出されてみてみると、確かにお皿の柄が牛になっていた。
見てみるとどのお皿も、載っているお肉と対応した動物の柄が書かれている。凄い分かりやすいシステムだ。
「でもお皿洗い面倒くさそうですね。動物分けないといけないでしょうし」
「そうだねぇ……。あ、そっちのカルビ取ってくれるかい?」
「はい、どうぞー」
坂口部長と談笑しているとお肉が焼けたので、すぐに頬張る。
「あつつつつ」
「何やってるんだい小日向君は……はい、君のビール」
部長から手渡されたビールを飲んで口の中を鎮火。危なかった。火傷するところだ。
「ありがとうございます部長……」
「誰もお肉を取ったりしないんだから、もっとゆっくり、ね?」
「ふぁい……」
部長の笑顔が今はまぶしいです……。
私をにこにこしながら見ていた部長は安心したような顔で言う。
「……大丈夫そうだね。よし、それじゃあ僕は他の子のところにも挨拶に回らなくちゃだから、ちょっと行ってこようかな」
「あ、そ、そうですよね!私だけ長々と話しちゃって……」
「いやいや全然。小日向君はコロコロ表情が変わって面白いからね。娘を見ているみたいで飽きないよ」
そう言うとまた少し笑って、部長は席を立って行ってしまう。他の男の人とか、女の人とか。誰もが部長と親し気に言葉を交わしていた。
坂口部長は色んなところに知り合いがいる。それも多分、坂口部長が積極的に色んな人に話しかけて、気を使ったりして。そんな人だからなのだろう。
私が送別会をやりたいと言った時も皆がこぞって会費を出してくれたから今がある。
坂口部長も、やっぱり素敵な人だ。
……いや、まぁ恋愛感情は流石に歳が離れすぎていて持てないけど。坂口部長が言っていたように、私から見ても坂口部長はお父さんみたいな人だ。
私が会社に入ったばかりから面倒を見てくれていた。そんな部長が転勤と言うのはやっぱり、寂しい。
「あ、そういえば……」
恋愛感情で思い出したけど。
私はトイレに行くふりをして少しだけ辺りを見渡す。
色んな人が楽しそうにお酒を飲んで、お肉を食べて。良いなぁ。送別会の用意頑張って本当に良かった。
……と、やっぱり端っこの方で、黙々とご飯を食べている人がいた。
そう、脇本さんだ。
楽しそうにお肉を食べている皆の横で黙々とお肉を焼いて、黙々と口に運んでいる。
もちろん私は話しかけた。今日は幹事だから。話しかけても違和感なんてないはずだ。
顔は大丈夫かな、赤くなってない?赤くなってるって言われたらお酒のせいにしよう。
「こんばんは脇本さん、美味しいですか?」
……美味しいですかって、何を聞いてるんだ私は。美味しいに決まってるでしょうよそりゃあ。
逆にここで美味しくないって言われたらどうやって返せばいいんだ。
「あぁ、小日向さん。美味しいよ。……と、座る?」
「あ、は、はい!小日向、座ります!」
わざわざ脇本さんが端に寄ってくれたので、私も横に入れてもらう。こういうことができるのはお座敷席ならではなんじゃないだろうか。
座布団からじんわりと、さっきまで座っていたであろう脇本さんの温もりが伝わってきて、こそばゆい。
脇本さんの華奢な肩と少し服が触れ合って、座りが悪い。
でも、嬉しい。
「小日向さんが幹事なんだったよね今日。お疲れ様、大変だったでしょ?」
「え、あ、いやそんなことないですよ!皆さん色々本当に手伝ってくださって……!」
「それでも店の予約とか、出席者名簿とか、会社外で頑張ってたんだから小日向さんは本当に凄いよ」
そう、私は家に帰って、植木鉢とにらめっこしながら名簿を作ったりしていたのだ。
正直言って疲れました。でも、脇本さんも楽しそうなのでそんな疲れは関係ないのです。
「あ、このお肉もう焼けてるから小日向さん食べたら?」
「え、良いんですか?」
「うん。小日向さん痩せてるから、もっとしっかり食べないと倒れちゃいそうで……」
うぁあぁ……好き……。
でも私別に痩せては無いんです脇本さん……。スーツだと若干引き締まって見えるだけなんです……。
恥ずかしくなって、思わず私は話題を変える。
「そ、そういえば脇本さんがこういう飲み会に参加してくれるとは思ってませんでしたよ。今までもあんまり見なかったし……」
「あぁうん。そうだね。実は僕結構ワイワイしたところが苦手で……。それに、僕が居たら空気も悪くなっちゃうんじゃないかな、とか」
「そんなことないですよ!」
思わず大声をあげてしまい、周りを恐る恐る見渡す。
……良かった。気にしている人は居なさそうだ
元が宴会なのだから、皆が皆騒いでいる。誰にも気にされてなくて、本当に良かった。
今度は少し声量を抑えて。
「脇本さんが居てくれたから、私は楽しいです。空気が悪くなるなんて、そんなこと……」
「小日向さんがそう言ってくれると嬉しいね。ありがとう」
「……えと、でも人が苦手なんだったらどうして来てくれたんですか?家に早く帰りたかったんじゃ……」
「まぁそれはそうなんだけどね。坂口部長に結構押されなかったら僕は来てなかったかもしれないかな。……あ、もちろん今は来て良かったと思ってるよ。ご飯美味しいしね」
はにかむ脇本さん。今日は仕事じゃないから眼鏡を掛けていない。
ので、眼鏡が焼肉の湯気で曇ったりしないのが少し残念だ。絶対可愛いのに。
「でも、どうしてまた坂口部長はそんな……」
坂口部長はあんまり人が苦手なことを強制しない人だ。だから脇本さんを無理に連れてきたとは考えにくい。
私はただ、純粋に気になったからそう聞いた。聞いてしまった。
脇本さんが、いつものように少し疲れた目で、笑った。
「僕ね、転勤するんだよ。長野の支社にさ」
ヒント12:『愛の成る木』は九月の誕生花のうちの一つです。