はちみつが甘いから
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「今日は~何人でしたっけ」
「2人」
「2人です!ほぼ0ですね!」
元も子もない質問をスマホ片手に受け流しながら、店長と電話する後輩の会話を耳だけでそれとなく聞き流す。
最近は、店長もこんな数字を聞いて声を上げることはなくなった。それどころか、もう店にも来ようとしていない。
都内のアンティークショップでアルバイトを始めたのは、ちょうど半年前。
なんとなーく本当にきまぐれで店に入ってみると、レジにいた従業員の男女が仕事もそっちのけで致しているところを目撃してしまい、それから店長に謝られてなんかこの店やばいなと思っていたのだけど、大学から近かったこともありなんだかんだでこの店で働くことに決めたのだ。
ちなみにその致してた2人はもうとっくに店を辞めている。
最近流行し始めたなんとかっていうウイルスのせいで、街に出る人は少なくなり、ただでさえお客が少ないこの店はもう看板を下ろさなくてはならないような事態になっていた。
正直、こんなことになるとは思ってなかったから、通っている大学もほぼ遠隔授業になってしまったしもう友だちとも会えていない。
隣で「おれクビになります?」と呑気に店長に聞く後輩も私と同じ暇だから、という理由でこの店にいる。
夕方になり、閉店時間が近づいてきたのでそろそろ切り上げるかと座っていたイスからどっこいしょと立ち上がったと同時に、カランと店のドアの飾りが揺れた。
「おっ、いらっしゃいませ~」
まさかお客が来るとは思っていなかったから少し反応が遅れた私より先に、後輩がとっさに声をかける、
と同時にドアをすり抜けて来たグレーのレインコートを着た長身の男性が、レジにいる後輩に向かいずんずんと歩き出しポケットから何かを取り出した。
その男性の、レジに向かってくる姿が異様に見えて何かナイフでも取り出したんじゃないかと危惧していたが、男性が後輩に差し出したもの、それは錆びて動かなくなった懐中時計だった。
良かった、本当に焦った。
ほっとしたのもつかの間、男性はそれを後輩に手渡すと何も言わずにレジを後にし、店を出て行ったのだ。
これには流石に能天気な後輩も「え!?」と声を上げる。
それもそうだ、ここはアンティークの店だが買取はしていない、それに動かなく錆びたものなんて商品として扱えないではないか。
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男性が店を後にし、私たちはポカンとしたまま顔を見合わせた。
それから、店長に電話することも考えたのだがもう一度電話をかけるのも忍びない。一応あの人には家庭があるわけで、小さいお子さんもいて自粛期間中きっと育児に疲れていることだろうし。(奥さんがちゃんとしたところで働いてるからね)
それにしても、その動かない懐中時計は不思議だった。
時計の知識がない私たちから見てもどこか「おかしい」ことは一目瞭然だった。
ないのだ、針が。
「あれですかね…時を止める的な」
「AVの見過ぎでしょ」
「違います~ドラ●もんですぅ~」
針がない時計なんてあるのか。
初めて見たその不可思議な懐中時計に、私たちは途方に暮れていた。
もしかしたら、針のない時計を珍しがったお客さんが買っていく可能性もあるけど、今こんなところに足を運ぶ人は少ない。
どうしたものかと、その時計の処理に迷っていると後輩が「フリマアプリで売っちゃいましょ!」なんて言い出したので、仕方なく今日のところは私が家に持って帰ることにした。
「絶対売れますよ~1000円ぐらいで」
「バカが」
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自宅に帰って来た私は、なんとなくあの懐中時計のことが頭から離れずに、まだ誰も帰って来ていないリビングで灯かりを点けることも忘れて時計を眺めていた。
窓から漏れるオレンジ色の夕日に照らされたそれは、針がないにも関わらず「カチ、カチ、カチ」とどこからか秒針が聞こえてくるようだった。
なんだか嫌な感じはしない。逆にどこか懐かしく心地いい。
本当は家に持って帰るつもりはなかった。
実を言うと後輩がフリマアプリで売りそうだったからというのは口実で、なんとなくこの時計を手放したくなかったのだ。
あんな不気味な男性が置いていったものだというのに、この懐中時計を持っているとそんなことはどうでもよくなっていた。
「だれ!?」
「ぎゃっ」
─────────パリンッ!
後ろから突然聞こえてきた声に、私はつい手に持っていた時計を手放してしまい、凄まじい音と共にガラスが床に砕け散った。
聞きなれた声、多分母親だ。
とっさに振り返ろうとして、目の前が真っ暗になっていることに気が付く。
あ、落ち─────
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あ、死ぬ!
と反射的に体を丸めて頭を守るようにうずくまる。
時計を床に落としてどうしてそんなことを思ったのかはわからない。けれど確実に、私は自宅ではない別の場所にいた。
暗くて、何も見えなくて、何も感じない───
「!」
ゆっくり目を開くと、そこは自宅でもなく暗闇の中でもなく全く見知らぬ山奥だった。
なにがどうなっているのか理解できず、辺りを見渡してみるが本当にここがどこなのかもどうしてこんな場所にいるのかも見当もつかない。
文字通り未曾有の事態に陥ってしまっていた。
(どうしよう!とりあえず警察に連絡…いや先に家に連絡か)
スマホを手に取ろうとするが、そこには石ころが転がっているだけでいつもみたく傍にスマホはなく、そこでようやく自分が身ひとつでこの山奥にいることに気が付いた。
なんてこった!と思わず頭を抱える。
すると、しどろもどろになり道端に座りこんでいる私の後ろの方から何かが駆けて来る音が聞こえてきた。
ドス、ドス、ドスと何かが遠慮なしに地面を踏みつけるようなそんな…
土埃と共に向こうの方から顔を出したのは、数頭の馬だった。
「あがっ」
───やばい!
そう思う数秒前に私の体は後ろに勢いよく引っ張られてそのまま森の茂みの中で誰かに口を押さえつけられながら、道端を駆けて行く数頭の馬を目だけで見送った。
間の前に広がっていく土埃と、遮られている口元が相まってつい涙目になってしまう。
馬に蹴飛ばせれなかったのは助かったけど、一体だれが──。
「馬鹿野郎!死にてんか!!」
私が振り返る前に、すぐ耳元で物凄い声量の怒号が鼓膜を突き破る勢いでこだました。
思わず耳を押さえながら振り返ると、いかにも時代劇とかに出てきそうなTHE農民っぽい恰好をした男性が私を睨みつけている。
その姿を見た私の脳内は(?????)だったのだが、パッと塞がれていた口元の手をはがされ、考えるより先に大きく息を吸い「ここはどこですか!」と叫んだ。
すると、
男性は後ろにいた仲間らしきガタイのいい男性と目配せをして何かを確認したかと思うと、その仲間の男性が私にヌッと大きな手を伸ばしてそのまままんまと俵担ぎにされてしまった。
───────(え?)
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(ぎゃあああああああああ犯されるぅぅぅぅぅぅぅぅ)
男性の大きな肩に乗せられてどこかに運ばれていく様を見ながら、私は涙目になってジタバタともがいてみるが男性の表情が変わることはない。
前を歩いていたもうひとりの声のデカい男性が、小屋の前で足を止める。
その小屋を一目見て察した。
きっとここがこの人たちの住処で、私はいまからこの人たちに無惨に体をいたぶられて山奥に捨てられるのだと!
絶対そう!雰囲気的にそう!結局ここがどこなのかわからないし、本当にまずい。
「降ろし」
前の男性が私を担ぐ男性に告げると、すっと地面に降ろされたのでどうにかして逃げる機会を探ろうと目線を向こうに広がる山道へと動かす。
すると、そんな私の心情を見透かすようにガタイのいい男性の方がゆっくりと口を開いた。
「あそこは熊が出んで」
初めて聞いたその男性の声は、思ったより高くてなんというか心を見透かされたことよりもその声とガタイのよさとのギャップについ目を丸くしてしまった。
すると、
それを見ていた声のデカい方の男性が、「ぎゃはははは」と腹を抱えて大笑いするものだから、びっくりしてそちらを見ると男性と目が合い笑いの合間に口を開く。
「そいつ声の高さに悩んでんよ!おもろいわあ」
「……死ね」
ああ、なるほど。
だから彼の声のギャップに驚いた私を見て大笑いしたのか。
馬鹿にされている彼は、まだ笑う男性に向かって鋭い眼光を向けている。
なんだかんだ仲がいいことが伝わるその2人のやり取りに、さっきまでどうやって逃げようかと考えていたことも忘れて同じように頬を緩めてしまう。
まだ確証はないけど、この2人は多分私をどうこうするためにここまで連れて来たわけではなさそうだ。
こんなことで信用してしまうなんて、自分でもチョロいとは思うけど、知らない地で初めて少し心が休まった気がする。
「笑ったわー…そやさっきの、ここはどこかって質問」
「あっはい!」
目に溜まった涙を拭いながら、男性がおもむろに口を開いた。
今度こそ答えてもらえる…!
「オレたちの手伝いしてくれたら教えたる」
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「いらっしゃいませー!のどごしさっぱりおうどんいかがですかー!!」
「…すかー」
もっと声出しや!と勢いよく背中を叩かれる。
そんなことを言われても、いきなりこんなことになるなんて聞いてないよ…
時は遡り、あの小屋の前でのこと。
「オレたちの手伝いしてくれたら教えたる」そう言われた私は、できることならなんでもすると言ったのだが、その返事を聞くや否や服を着替えさせられ町人が着るような法被を被せられ額にはちまきを巻かされ、火の用心で使うあの木の棒を持たせられ、なされるがままここに立っていた。
木の棒をコンコンと叩きつけながら、私は心の中でため息をつく。
私たちの屋台の後ろには、荷台に乗せたうどん粉をせっせと高津さんがこねている。
高津さんはガタイのいい彼のことで、隣で声を張る彼は山崎さんというらしい。
これは彼らから直接聞いたわけではないけど、互いに呼び合っていたからすぐにわかった。
…まあ多分だけど。
彼らはいわゆる出稼ぎの商人らしく、道中出会った2人は意気投合してそのまま一緒に売り出しに行くことになり、たまたま見つけた私を人手が足りないという理由で攫っていった。
っていう設定なのかな。
そろそろ終わってもいいと思うんだけど、夢なら夢で、芝居なら芝居でね。
でも夢にしてはちょっとリアルすぎるか……
「そこのお姉さん見てってー!うまいよ!」
山奥から出て町はずれのような場所でうどんを売っているわけだけど、
人通りもまばらで、正直言ってうどん代を払うお金を持っているのか不安になるような人ばかりが通って行く。
隣の山崎さんの無言の圧がすごいから、私も必死にすれ違う人たちと目を合わせてはにっこり微笑む。
それにしても本当に時代劇の中にいるみたいだ。
はた、
とひとりの青年と目が合って、見られてると感じた私はこれでもかと言わんばかりの営業スマイルで「どうですかー」と彼に向かって声を掛ける。
それに気づいた青年は少しうろたえたように、目線を逸らしたが気になるのか屋台の方へ向かって来た。
隣の山崎さんがグッジョブ!と目配せをしたので、伊達に接客業してませんからと一息つく。
「…そばはないのか」
「ごめんなさい、うどんだけなんです」
そう言うと、青年はそうか、と私の方へ視線を落とした。
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そのままじっと私の顔を凝視してくる彼に、困惑しつつも「どうですか…?」と促してみると彼は何かを思い出したようにうどんを一束注文した。
どういう感情で見られたのか、ずっと無表情の青年からは心情が読み取れず困ったが、山崎さんの助けもあって無事にうどんを売ることが出来た。
青年は一言「また来る」と言って屋台を後にした。
結局、売れたのはこの青年を含めて3人だけ。
この町は外れやったかなぁ、そう項垂れる山崎さんを見ながら私と高津さんは苦笑いをしたのだった。
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それから根気強く、私たちはこの町はずれの川沿いでうどんを売り歩いていた。
屋台は組み立て式で、(よく出来てるなぁ、あ。舞台セットか)となるが組み立てる時は3人ががりで作業しなければならない、なんとも要領の悪い出来だった。
小屋の近くからは出来るだけ離れたくないということで、この一週間はこの付近で屋台を開くそうだ。
お察しの通りまだここはどこなのか教えてもらえていない。
高津さんがこっそり教えてくれようとしてくれたり、お客さんにこっそり聞いてみようかと試みたが、全部山崎さんに阻止されてしまった。
一体いつまで続くのだろうか…これは。
そういえば、私が初めてうどんを売った青年はあの日から頻繁に屋台に来るようになっていた。
そしていつも私の方にうどんを買いに来る。隣の山崎さんには目もくれることなく。
なので最初は彼に話しかけていた山崎さんも、彼の態度を見て日に日に話しかけることはなくなってしまった。
うどんが売れるので私は助かるのだが、無視された山崎さんの彼を見る剣幕がもの凄いから、そろそろ答えてあげてほしいのだけど。
何日かこの場所で過ごして、気付いたことがある。
ひとつはここが私が住んでいた街の気候によく似ていること、そして山崎さんも高津さんも私のことを余計に詮索しないいい人だってこと。
小屋で生活していても、私の居心地が悪くないような空気感を作ってくれるし、寝る時はどこからか持って来たしきりで隔ててくれたり、服を着替える時は2人そろって小屋を出ていってくれたりね。
初めてあった日、あんな失礼なことを考えてしまって本当に申し訳なくなる。
誤解しちゃってたこと謝りたいな、いつか。
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このうどん売りの生活にもなんとなく慣れてきた5日目のこと。
今日も私たちはいつものように屋台を組み立てて、木の棒(山崎さんに聞いたら拍子木というらしい)を打ち鳴らしながら、前を歩く人たちに声を掛ける。
最近は声を張ることも、隣の山崎さんのお陰か慣れてきた気もする。アンティーク店はこうやって声を張って接客しないから、最初はやっぱり抵抗しかなかったけど。
よし、今日も頑張ってうどんを売りまくるぞ!
なんて心でひとり鼓舞していると、ふわり、いい香りがして思わず私はその香りの主である女性に声を掛けてしまった。
自分でもびっくりした。
山崎さんより先に私が女性に声を掛けるなんて、滅多になかったから。しかも同い年ぐらいの女性には、特に。
───────息がつまった。
私の声に振り返ったその人の顔があまりに既視感があったから。
いや、正確にはちゃんと顔が見えているわけではなく布で顔の半分を覆っていたのだけど、すぐにわかってしまったのだ。
私に顔がそっくりだと──。
「…あ」
自分の口から出たことのないか細い声がしたと思うと、私の腕はその女性に掴まれていた。
着物の袖から覗く白く細い腕からは想像のできない力で掴まれた私の体は、屋台の台を軽々とまたいでその女性の傍にあった。
何がなんだか理解できないまま、その人は驚く私と絶句する屋台の2人のことも然程気に掛けずタッタと軽い足取りで近くの坂を下って行く。
「待って」とも「誰ですか」とも聞こうと思ったのだけれど、なんだか心の奥で”知っている”ような感じがして、私は何も言わずに彼女について行った。
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はあはあはあ、
と自分の荒い息づかいか聞こえる中、ついに彼女の足が止まり私は彼女を見定めた。
──────本当に似ている、私に。
芸能人の○○に似てるとかのレベルじゃなく、もはや入れ替わっても誰も気づかないレベルの───。
彼女は警戒するように辺りを見渡したあと、汗ばんだ私の手を取り涼しい顔で言った。
────────「私の身代わりになってくれませんか」と。
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