9.霊能探偵の過去②
いつの間にやら、私はベッドの上に寝かされていた。
(ここは一体……)
「気がついた?」
声のする方を振り向くと、40代と思われる白衣を着た女性が立っていた。
「自分の名前分かる?」
この人は、なんでそんなこと聞くんだ?分かるに決まっているじゃないか。
「佐目野宝次郎です」
「そう、よかった。意識ははっきりしているみたいね。あなた、いきなり地面に倒れて気を失ったのよ。びっくりしたわ」
……なんとなく思い出した。正しくは、私は地面に倒れて正気を失っていたんだ。
そのことを言わなかったのは、私に気を使ってのことだろう。
ん?まてよ?それをこの人が知っている……ということはここは病院ではなく、警察学校の保健室というわけか。
今まで一度も来たことないからわからなかった。
「ご迷惑をお掛け致しました」
「いいのよ。それじゃあ、あなたの担任教官呼んで来るからその人の名前教えてくれる?」
「山本広正教官です」
「わかったわ。ちょっと待っててね」
10分程して、山本教官が来た。
「調子はどうだ?」
「はい。ご心配をおかけしました」
「お前、試験でカンニングをしたそうだな」
私の心身についての心配は終わりで、もうその質問をするのか……
「していません。あれは間違いなく嵌められたものです」
警察学校の生徒も法的には警察官、すなわち公務員に当たる。だから、試用期間中とはいえど余程のことがない限り解雇されることはない。
そうであるが故に、無能な生徒は教官たちによる徹底的な指導を受け、辞職するよう詰め寄られることになる。
現に入校から3ヶ月ほどで、既に同期の1割が辞めた。
私は勘違いをしていた。
辞めた同期たちはメンタルが弱いからだと。
過激な指導を耐え続けていればいずれ、その努力が認められる時が来るのだと。
だが、実際はどうだ?
公務員である以上、無理に解雇できず、辞職するよう迫っても辞める気配のない奴。そういう奴を辞めさせるにはどうすればいいか……その答えがこれだ。
その生徒が[解雇するに値する程の不正行為を働いた]ことにすればいい
「監視官の言うことが間違っていると言うつもりか?」
顔を赤くし、山本教官がこちらを睨みつける。
「はい。山本教官は監視官に騙されています。あるいは……私はあなたもグルになって私をはめようとしているのではないかと思っています」
「それは本気で言っているのか?」
怒りを押し殺した声、否。押し殺しきれてない声で尚詰問してくる。
私は深呼吸する。緊張して手に汗が出てくるのが分かる。だが、言うしかない。
私は覚悟を決めた……
「はい。本気です。そして……そんなことをしてくるようなこの学校に嫌気がさしました。本日づけで退職させてください」
覚悟を決めた?いや、違うな。覚悟がなくなったのだ……ここで努力し続ける覚悟が。
2〜3秒程の沈黙があった。
普段、山本教官が間を開けることなどないから、そんなわずかな時間も私にとっては1分にも、2分にも感じられた。
「……そうか、わかった」
山本教官は静かに頷いた。
それから、別室に連れられ退職に必要な様々な書類を記入した。
私が辞めると言った途端、他の教官たちは今まで見せたことのないような笑顔を見せていた。
「そうか。次の会社でも頑張れよ」
などと煽るように無責任な励ましをしてくるやつもいた。
一通りの退職手続きを終えると山本教官が
「親御さんに連絡する。誰か連絡のつく人はいるか?」と尋ねてきたので父の携帯番号を伝えた。
「もしもし、私愛知県警察学校の山本と申しますが……えぇ。はい、宝次郎君の件で。
実は、今日ですね、急なんですけども辞めるということになりまして。えぇ、はい。はい……そうですね」
山本教官が通話状態のまま受話器を私に渡す。
「……もしもし、父さん?」
『おお、宝次郎。大変だったな』
「急に辞めるって言って怒らないの?」
『父さんも……お前が週末、家に帰ってくる度に死にそうな顔してるのを見るのが辛くてな。正直なところ、ホッとした気持ちもある』
そんな酷い顔をしていたのか…
「……そっか。ありがと。そっちには、今日の夜頃戻ると思うから。それじゃあ」
それから程なく、私は荷物を整理して校舎を後にした。
私を見送る人は誰一人いなかった。
父さんには、今まで心配かけてきた。迷惑をかけてきた。早く恩を返したかった……でも、これから更に迷惑をかけてしまうことになるなんて……
あまりにも悔しくて、あまりにも情けなくて……涙さえ出てこなかった。
過度のストレスから一瞬、発狂しちゃうことは誰にでも起こりえますよ。