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52.逆転しない裁判⑤

「……」


この静寂が何とも心地よい。


昨日、裁判の後に思わぬ依頼が舞い込み心身ともに疲労していた私は、評議室に入るや否や挨拶もそこそこに机に突っ伏していた。流石に寝ることは出来なかったが、頭の中を無にして脳をリフレッシュされるには十分だ。


「……」


「……さん?」

「………員さん?」

「補充裁判員さん!?」


いつの間にか来ていた裁判長に呼びかけられ、のそのそと頭を上げる。

『何の用だ?』という疑問はすぐに消し飛ぶ。

辺りを見渡すと裁判員も全員集まっている。時計を見ると既に集合時間になっていた。

気づかぬうちに眠っていたらしい。裁判長がにこやかに語りかける。


「おはようございます。お疲れですか?」


『すいません』とだけ言って謝ろうかと思ったが、それだと[疲れている]ということだけを肯定することになる。下手をすると、『裁判員裁判とか慣れねぇことして疲れるんだよ』というニュアンスでとられてしまうかもしれない。


「えぇ。昨日あの後、急に仕事の依頼が来たものですから」


なんだか妙に言い訳がましくなってしまったな……これなら『すいません』とだけ言っておいた方がまだマシだったか?


「あれ?会社には裁判員に選ばれたと言っていないんですか?」


うーむ……なんて答えるべきか?

確かに『選ばれた』と言ってはいません。が、そもそも会社に勤めていないと言いますか。

でも、働いていないわけではないといいますか……


私が考えあぐねていると、チャラ男が割り込んできた。


「いやいや、俺もあの後引き継ぎあって大変だったんすよー!裁判員に選ばれた次の日にもう裁判やるって……ちょっと早すぎますよぉー!」


数名の裁判員がこくりこくりと頷く。


「それは失礼しました。今後の裁判員裁判の参考にさせていただきます」


いえ。私は引継ぎがあったとか、そういうわけではないんですがね?

そもそも会社に勤めていないんですがね?


「昨日、裁判の後マスコミや事件関係者に声をかけられた方はいらっしゃいますか?」


マスコミは兎も角、事件関係者にも呼び止められることあるのか。怖いな。


皆、黙ったまま身動き一つとらない。無言でいるということは、何も問題はなかったということだろう。


「はい、わかりました。では、この後証人尋問がありますのでよろしくお願いします」


時間になり、入廷する。心なしか、昨日よりも傍聴人の数が増えている気がした。


「それでは、開廷致します。証人は証言台の前に立ってください」


50代の眼鏡をかけた知的な男性、これすなわち被告人の精神鑑定を行った本田先生が証言台の前に立ち、住所・氏名・年齢を答える。


「はい、ありがとうごさいます。次に宣誓書を朗読してください」


「宣誓 良心に従って真実を述べ、何事も隠さず、偽りを述べないことを誓います」


宣誓が終わると、弁護人が立ち上がる。


「本田さん、被告人の精神鑑定の結果を教えてください」


「そうですねぇ……精神鑑定というのは非常に難しくてねぇ。私一人の意見で全てを判断するというのも……」


この人、本当に弁護人側の証人なのか?


「本田さん、本田さん。言われたことだけ答えてください。[あなた]の診断[結果]のみ答えてください」


「解離性同一性障害の()()がありますね」


本田先生が『恐れ』という言葉を強調して言う。

日本で犯罪者の精神鑑定を専門にやってる人なんてそういないからな。

ただでさえ見極めが難しいというのに、相手が責任逃れのため嘘をついている可能性が高いときたもんだ。

その判断を一人にさせるというのは酷だろう。


「その解離性同一性障害とは一体どのようなものなのですか?」


「その人本来のものとは異なる複数の人格が現れる……いわゆる、多重人格というやつですな」


素人にも分かりやすく伝えるためにそう言ったのだろうが、[多重人格]という言い方は好きではない。

人格を複数持つことは当然なのだから。


[人格]の英語であるpersonality

これは舞台上で役者がつける仮面のラテン語persona(ペルソナ)が語源になっている。

人格というものは仮面のようにコロコロと代わっていく。上司、部下、顧客、家族、友達等を相手に同じ態度をとる人などいないだろう。


多重に人格があるのが問題なのではない。

人格の同一性が解離しているのが問題なのだ。


「どのような場合に解離性同一性障害に罹るのですか?」


「強いストレスやトラウマがあったときになると言われております」


「仕事が変わることも強いストレスに……解離性同一性障害の要因になりますか?」


そういえば、冒頭陳述で被告人は仕事を転々としている

と検察が言っていたな。


「あり得ることです」


弁護人の尋問が終わり、続いて検察の反対尋問へと移る。


「本田先生、正直にお答えください。『被告人は解離性同一性障害だ』と断言できますか?」


まぁ、当然そこを突きますわな。


「精神鑑定で断言なんてできませんよ。超能力者じゃないんだから、個人の内面なんて覗きようがない。ただ、そうである可能性は高いです」


「被告人はいつ頃、解離性同一性障害に罹っていたとお考えですか?」


「そういうものは、本人の話を聞いて考えるしかないのですが……本人の話を信じるのであれは今の職場に就いて間もなくですね」


「被告人は被害者を殺害した後、ブルーシートに包んで山に遺棄しています。心神耗弱状態の人間にこれだけのことができると思いますか?」


本田先生が鼻で笑う。


「心神耗弱状態がどうとか、責任能力がどうとか、そういうことを決めるのは私ではなくあなた達でしょう?私が言えるのは『被告人は解離性同一性障害の可能性がある』ということだけです」


弁護人が言うべきところを検察が補足したり、検察が言うべきところを弁護人が補足したり。

裁判員裁判は予定調和的なところがある。

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