50.逆転しない裁判③
1番:40代おっちゃん 2番:30代サラリーマン 3番:50代おばちゃん 4番:30代ねぇちゃん
5番:チャラ男 6番:茶髪JD 補充:佐目野
裁判長:黒田 右陪席:溝口 左陪席:佐藤
「これから冒頭手続きがあります。入廷する前に、携帯電話の電源を切っておいてください」
私は携帯電話の電源が切れていることを何度も確認した後、鞄の中にしまいこんだ。
万が一、途中で鳴ってしまってはマズいからな。
いや、待てよ?評議室は法廷のすぐ隣にあるのだから万が一携帯が鳴ってしまった場合、法廷まで音が漏れてしまうのではないか?であれば、万が一鳴ってしまったとき、すぐに止められるように法廷まで持って行った方が良いのではないか?
いや、待てよ待てよ?冷静に考えて電源切ってんのに鳴るわけないわな……
評議室の扉を開け、最初に裁判長が入廷し、次に裁判員が番号順に入廷していく。その次に補充裁判員。最後に裁判官2人が入廷する。皆が裁判官席の前に並ぶ中、私だけ(裁判長から見て)右端にポツンと置かれた簡易テーブルの前に着く。
「それでは、開廷致します……礼」
裁判長の号令で一礼した後、皆が着席する。
「それでは審理を始めます。被告人は証言台の前に立って、氏名、年齢、職業、住所、本籍を言ってください」
被告人が立ち上がる。元々なのか、それとも弁護士がそう指示したのか?頭を丸めている。
緊張で顔が強張っているためか、凶悪さは滲み出ておらず、犯罪者面には見えなかった。
「陣 太賀。29歳。工場で働いてました。住所は……事件当時のですか?」
「はい。そうです」
「三重県松阪市浅尾町12-35。本籍もそれと同じです」
「はい。ありがとうございます。では次に、起訴状を読み上げます……検察の方、お願いします」
「本件は2007年の7月15日。被告人は当時交際関係にあった黄瀬 郁子さん当時30歳を複数回に渡って包丁で刺して殺害。殺害後は遺体をブルーシートに包み車に乗せ、自宅から3km程離れた山中に遺棄。これらの行為は刑法第199条の殺人罪及び190条の遺体遺棄に該当します」
「どうも、ありがとうございます。えー……被告人には黙秘権、つまりは自分に不利になることを言わなくてもいい権利があります」
被告人がコクリと頷く。
「今検察官に読み上げてもらった起訴状に間違い等はございますか?」
「物証なんかも出てきていますから、間違いはないと思います。ただ、やったのは私ではありません。私の意思ではありません。全て『リュウマ』がやったことです」
「んー……はい。そ、れ、に、か、ん、し、て、は……もう弁護人の方から説明してもらった方がいいですかね?」
裁判長が弁護人と検察席へチラチラと目配せを行う。
本当は検察の冒頭陳述に移る流れなのだが、先に今の説明をしてしまった方がスムーズになると考えたのだろう。
双方、無言のまま首を大きく縦に振る。
「では、弁護人。お願いします」
「被告人は解離性人格障害を患っており、本件は今出ている主人格の『太賀』ではなく、もう一つの人格『リュウマ』が起こしたもので、事件当時は心神耗弱状態にあったと言えます」
「ご説明ありがとうございます。では、一旦ここで休廷と致します。次は……1時間後の午後一時からの開始になります」
もうそんな時間か……私は慌ててメモ用紙を束ね、席をあとにした。
評議室に戻ると、裁判員は皆くたびれた顔をしていた。
が、私はあまり疲れていない。あくまでも「補欠」という気楽さがあるからだ。
「皆さん、お疲れ様でした。どうでしたか?初めての裁判は?」
皆、無言のまま苦笑いを浮かべている。まだこの場で喋ることになれていないのか?それとも裁判官に面と向かって「疲れた」というのに抵抗があるのか?……その両方か。
ちなみに私はどちらでもない。「裁判は初めてではありません!」と言いたくないので黙っているのだ……もっとも、民事裁判の方ではあるが。
とはいえ、そこは裁判長。皆の顔色を見てすぐに察する。
「皆さんお疲れのようですね。30分まで休憩とし、残りの30分で話し合いでもしましょうか」
何?休廷時間は休憩時間ではないのか!?
急いで弁当を平らげ、トイレに向かう。別に今、用を足したいわけではないのだが、コーヒーをよく飲むので行けるときに行っておかないとマズい。
戻ってきて、早速インスタントコーヒーを淹れる。インスタントは不味いものしかないと思っていたのだが、ここに置いてあるのはドリップに勝るとも劣らない旨さだ。さぞお高いものなのだろう。
最初は私が独占して飲んでいたのだが、裁判官2名も飲み始め、それにつられて裁判員たちもゾロゾロと手を出し始めた。周りに合わせないと行動できないのは日本人の悪い癖だ。
「では、皆さん食べ終わったみたいですので予定より少し早いですが話し合いしましょうか」
時刻は12時20分。こんなことならもっとゆっくり食えばよかった……
「さっきので何か分らないことはありませんでしたか?」
分からないも何も、なにも始まってないと思うのですが?ってか、こういう話し合いに補充裁判員も参加していいの?
「あ、補充の方も何かあれば遠慮なくどうぞ」
っ!この人テレパシーでも使えるのか!?
「では何もないようですので……」
お!休憩ですか!?
「量刑の決め方について簡単に説明します」
アッ、ハイ。そうですか。
「では、初めに刑罰の在り方について簡単に説明します。まず、皆さんに誤解していただきたくないのは、刑罰は何も犯罪者を懲らしめるためだけのものではないということです。犯罪者の更生を促すものでもあるのです。なので感情論だけでむやみやたらに刑を重くしてはいけません」
前者の考え方を応報刑論、後者の考え方を目的刑論といったな。
私も法律をかじっていたので「感情論だけでむやみやたらに刑を重くしてはいけない」という言い分は大いに分かるのだが、感情論を反映させるのが裁判員の役割じゃないのか?
「次に、皆さんには有罪か無罪か?有罪の場合どのような刑が相応しいか?死刑なのか、無期なのか、懲役なのか、禁固なのか、有期刑なら何年なのかまで決めてもらう必要があります。これが、外国の陪審員なら豪快にギルティorノットギルティだけ決めて終わりなんですがね。
さて。今回の被告人は殺人と死体遺棄の容疑で起訴されているわけですが……複数の犯罪を犯して有罪、有期刑となった場合は、最も重い罪に1.5倍した懲役を科すことになります」
異議あり!
「すいません。併合罪について質問なんですが、[最も重い刑に1.5倍したもの]あるいは、[犯した全ての罪の懲役を足したもの]そのどちらか軽いものを選ぶんじゃないですか?」
ドヤッ!?よく知ってるやろ!?
「んー……あのね、確かにそうなんですけどね、普通に考えて1.5倍した方が軽くなるに決まってるでしょ?」
裁判長が滅茶苦茶面倒くさそうに……いや。『面倒くさいやつが来ちまったよ』と言わんばかりの口調で答える。
……すんません。
裁判長の方が知識あるに決まってるのに、生意気にも楯突いてすんません……
私はただ、皆の前で恰好つけたかっただけなんです!知ってる知識ひけらかしたかっただけなんです!
「……で、いいですか?補充の方」
「……はい」
滅茶苦茶恥かいたわ。
被告人の住所は架空のものです。




