44.狂怖の登山⑥
恐怖の登山:完
「あー、こりゃ高山病だな。この山を、この天気の中、人ひとり担いで走ってきたんだ。無理もない。ま、症状は軽いみてぇだし寝かしときゃすぐ治るさ」
一時はどうなるかと思ったが、仮眠室に移動された佐目野君は気持ちよさそうにスヤスヤと寝息を立てている。
「そうですか。それを聞いて安心しました。それで、他の人たちの容態はどうですか?」
「完全に低体温症だね」
「低体温症……」
「個人差はあるが、人間の体温は35度になると、感覚が麻痺して、歩行が遅れがちになる。 34度になると口ごもるような話し方で、意味不明な言葉を発するようになる。 無関心な表情をしたり、軽度の錯乱状態で判断力が鈍ったりする。34〜32度になると、歩くことも困難になり、不整脈を起こす。32〜30度では、立つことさえままならない。意識を失う者も出てくる。30〜28度では、半昏睡状態になり、28〜26度にもなると最悪の場合死んでしまう」
「では、ここに運ばれた人たちは……」
「あと少し遅れていたら死んでもおかしくなかったよ」
あのまま下山を続けていればあと1時間はかかっていた。もし、ガイドの指示通りに行動していたならば……
想像して思わず身震いしてしまう。
夏場とはいえ、北海道の高山。只でさえ気温は低い。それに加えて今回は強い雨風で衣服が濡れ、体温が奪われやすい状態にあった。川に落ちた人なら尚更だ。
待てよ?……低体温症の症状。これって、伝承にそっくりじゃないか!?
それから数時間後。連絡を受けた救急隊が到着し、低体温症の症状を訴えた5人がヘリで搬送されていった。
騒音に気付いた佐目野君が目を覚ましたため、救急隊が「君も乗るか?」と提案したのだが「寝たらスッカリよくなったので大丈夫です」と答えた。無理して言っているのではないかと疑ったが、顔色はほぼ元に戻っていた。
「君が倒れた時は本当に心配したんだぞ!」
そう言うと、彼はどこか浮かない顔をする。
「自分でも、何であんな無茶なことをしたのか分かりません。私は今まで、事件が起きて、死人が出ても何とも思わなかった。むしろ……不謹慎な話、事件が起こることを楽しみにしていたくらいなのに……なのに、どうして今回に限ってこんなことしたのか……」
「人間ってのは、自分の手の届かないところで起きた事柄はどうしようもないと諦め、知らぬふりをする。けど、自分の手の届く範囲であれば助けようとする。そういうものさ」
特に、君のような青い人間はね。
「そう……ですか」
そう言って彼は微笑んだ……皆まで言わないが、私は君の微笑みの正体が全力の愛想笑いであることを知っている。
「ところでだ!佐目野君!私は重大なことに気づいたのだよ!」
「……なんですか?もったいぶって。まさか、『伝承の正体が低体温症による症状だった!』なんてしょうもないことじゃないですよね?」
「え、あ、うん……いやいや、ちょっと待ってくれ!君は気づいてたって言うのか!いつから!?」
「最初に聞いた時からなんとなく症状が似てるなー とは思ってましたよ。確信したのは、実際にここに来てから。今の時期にこんなに冷えるんですから、冬の時期なら言わずもがな ですよ。それに、ここには悪霊の気配がありませんでしたし」
『確信がなかったにせよ、最初からそこまでのことが分かっていたのなら、ここまで来なくてもよかったんじゃないか?』
そう言葉にしようとしたが、やめた。
彼がここまで来なければ救える命も救えなかったのだから。
佐目野「勝手に殺すな」




