42.狂怖の登山④
─今から下山を始めます
その話を聞いたツアー客の男性が詰問する。
「ちょっと待ってくれ、小屋に行かないのか?休憩はとらないのか!?」
「天気予報を確認したところ、今日1日これから益々天候が悪化していくとのことでして。申し訳ございませんが、休憩はなしということになります」
当然ながら、皆んな不服そうな顔をしていた。
ぶつぶつと文句を言う人も何人かいたが、声を上げて反対する人はいなかった。ガイドが決めたことだから、仕方ないと我慢しているのだろう。
「大変なことになったね」
佐目野君は、右手を口に当ててジッとガイドたちを見つめていた。
「……佐目野君?」
「ッ!すいません、何でしょうか?」
「いや、ただ声をかけただけさ。それより、大丈夫かい?」
「ええ。ちょっと考え事をしていただけです」
「そう?ならいいんだけど」
伝承の通り呼びかけに応じなくなってしまったのかと一瞬危惧したが、要らぬ心配だったようだ。
彼が何か考え事をしている時に反応が鈍くなるのはいつもの事だ。
一体何を考えていたのか聞こうと思った矢先、佐目野君がガイドたちの方へ小走りで向かった。気になってコソッと後をつける。
「すいません、本当にこのまま下山するんですか?」
「はい。そうですよ」
「小屋で休んだ方がいいんじゃないですか?」
「あのですね?先程申し上げた通り、雨はこれからどんどん強くなるんですよ?」
「天候が悪化するのは今日1日のことですよね?」
その一言に中島さんが苦笑いをする。
「泊まるってことですか?帰りの飛行機のチケットはどうするんですか?貴方がそこまで責任をとってくれるんですか!?……君、今いくつ?言っとくけどね、そんな自分勝手なこと社会じゃ通用しないからね!」
「おい、お前!お客様に対してなんて口の利き方をしてんだ!……申し訳ございません」
リーダーの前田さんが制止する。
「いえ、私は別にいいんですよ?……あなた方が下した判断。それにきちんと責任をとってくださるのであれば」
そう言い捨て踵を返すと、私が近くにいたものだから驚かれた。
「なんだ、居たんですか。盗み聞きとはお人が悪い」
いつものように軽口を言ってきたものの、その表情にいつものようなニヤケ顔はなかった。
「いえいえ、お代官様ほどでは」
いつもなら何か突っ込んでくるのに何も返答はなく、無表情のまま列の最後尾へと移動をした。
やはり、おかしい。
私はボケがスルーされて小っ恥ずかしい思いをするとともに、彼が何故ここまでピリピリしているのか疑問を抱かずにはいられなかった。
「佐目野君、一体何をそこまで焦っているんだい?」
「手津田さん、ひょっとすると今回の登山……伝承の通りになってしまうかも知れませんよ」
「え!?」
一瞬『君が今まさにそうなっているんじゃなくて!?』という軽口が喉まで出かけたが何とか呑み込んだ。
「真っ先に症状が出るのは、中島さんでしょうね」
真顔で淡々と言ってのける。先程、自分が貶されたから当てつけで言っているわけではないだろうね?
それから30分。我々はまたしても渓流へと差し掛かった。ただでさえ渡りづらいというのに雨風が強く、渡るのに慎重になり時間がかかる。前方の人たちが渡った段階で15分が経過していた。
次は、中央のメンバー達の番。ところが、中島さんは動こうとしない。不審に感じたツアー客女性が声をかける。
「ちょっと、どうしたんですか?渡らないんですか!?」
「…………」
「聞いてますか!?」
女性客が思わず「ヒッ」と声にもならない声を出す。
慌てて駆けつけてみると、中島さんが無表情のまま女性の方をジッと見つめ、ただひたすらに声にもならぬ声を発していた。
「さ、佐目野君!これ!」
「……まずいですね。非常にまずい」
言うが早いか、彼はこの雨風の中渓流の石をトントンと跳んだいき、あっという間に向こう岸に移動した。
若さ故できる技なのか、彼だからこそできる技なのかは分からない。
佐目野君は、向こうにいるガイドリーダーの前田さんと何やら話している。
雨風が強くて何を喋っているのかは全く分からないが、ガイドだけでなく、他の客たちとも口論を繰り広げている。
雨風が強くて何を喋っているのか全く分からない…それでも、彼が最後に発した声だけははっきりと聞こえてきた。
「あなたたち、死にたいんですか!」
自分の世界に入り込んで人の話聞かなくなる系男子




